手紙
Mizuki lui
第1話
「遠藤光彦、遠藤光彦に皆様の清き一票をよろしくお願いいたします」
任期満了に伴う県議会議員選挙の候補者を乗せた選挙カーが、晶子の家の前をゆっくりと通り過ぎていった。
小春日和の優しい光が、南側の窓の障子越しに母親の部屋全体に差し込んでいた。晶子は、白く光る障子のすぐ下にある洋服タンスのそばにちょこんと座って、母親の衣類の整理をしていた。
あら? これは……
晶子は、母親の洋服タンスの奥に一通の封筒を見つけた。
それは、晶子が中3の頃に書いた恋文。当時同じクラスだった男子生徒に宛てたもので、未開封のままタンスの奥の方にしまわれていた。
なぜ母がこれを?
そのとき母親は留守にしていた。車を運転できる妹の和子に付き添われて月に一度の診察に出かけていた。今年でちょうど80歳を迎えた母は軽度の認知症を煩っていた。
ついさっき言ったことも忘れがちになってしまった母親に、40年以上も前のことを聞いてもまともな答えなど帰ってこないだろうと思われた。
中学を卒業した後、その男子生徒とは疎遠になってほとんど会うことはなかった。その生徒は県内一の進学校へと進み、晶子は看護学校に行くことになったのである。
晶子はその看護学校を首席で卒業して看護師となった。
晶子にとって看護師の仕事は、常に忙しくて大きなプレッシャーもかかるが、その分のやりがいは十分にあった。しかし、キャリアを積み上げてゆくほど、周囲とのコミュニケーションをうまく取れなくなるという問題も抱えていた。晶子は有能な看護師であったため、周りの看護師たちにも常に高いレベルを要求することが多かったのである。特に新人の看護師に対する指導は非常に厳しく、耐えきれずに辞めてゆく者が絶えなかった。
そんな晶子は恋愛も結婚もせず、ただひたすら悶々と働いていた。職場では孤立しがちで、もうどうにも居づらくなってしまうと、勤務する病院を躊躇せずに変えていった。学生の頃は嫌いだった煙草を吸うようになり、夜に一人で飲むお酒の量も年齢を追うごとに増えていった。
晶子は、そうして病院を転々としながら30年以上も看護師を勤めつづけた。しかしそうしたあるとき、父親が前立腺癌を煩って亡くなり、一人で暮らすことになった母親の世話をするため、看護師を辞めて実家に戻ってきたのである。
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