第7話 異世界も悪くないかも
宿屋酒場に着いたころにはほとんど日が暮れかかっていた。ギャル美が町の住人のひとりから聞いたおすすめの店とのことだったが、なにぶん道が分かりづらくて少々迷ってしまい、遅くなってしまったのだ。
「うっわ、めっちゃうまそー!」
注文した料理がテーブルに運ばれると、ギャル美は瞳を輝かせた。
ゴロっとした肉の入ったビーフシチューに似たなにかと、適度な厚さに切られたパン。見た目と匂いは普通に美味そうだ。再び腹が鳴る。
「いっただっきまーす!」と言ってギャル美は料理を食べはじめた。
おれはスプーンで恐る恐る肉をすくいあげてみる。
なんの肉だろう? メニューには“シチュー”としか書いていなかった。牛か豚か鶏か、あるいはそれに類するなにかであればいいが、ひょっとしたら元の世界には存在しない動物の肉かもしれない。
ギャル美も他の客も美味そうに食っているので食べても問題ないとは思われるが、しかし……。
おれは迷った末に、スプーンを皿に戻した。
「どしたん? 食べないの?」
「…………」
俯き、口ごもる。なぜ食べることに抵抗があるのか、その理由をうまく伝えられる自信がない。
しばしの沈黙がおれたちの間に漂った。
ギャル美はしばらく気遣わしげにおれの顔を見つめたあと、スプーンを静かに皿に置き、組んだ両手に顎を乗せて穏やかな笑みを浮かべた。
「なんか悩み事? うちでよければぜんぜん聞くよ?」
「……その、なんというか……」
おれが言いよどんでいる間も、ギャル美は傾聴の姿勢を保ってくれていた。
体が震える。出そうとした声が喉につかえる。
それでもおれは、ギャル美の厚意に応えなければならない気がした。
震える声で、言葉を紡ぐ。
「……怖いんだ」
「怖い?」
「その……、食べたら、この世界を受け容れることになる気がして……」
ギャル美はおれの言葉を受け止めるように頷いてみせた。
「この世界を受け容れることが、怖いの?」
おれは下を向き、頷いた。
「……この世界で生きていく自信がないんだ。おれには、その……なにも、できることがないから……」
「そんなことないよ」
ギャル美はそう言ってくれたが、気休めだ、とおれは思った。
目の前の料理に視線を向ける。
「この食事だって、ギャル美が稼いでくれた金がなければありつけなかった……。この世界ではおれは、なにもできない役立たずだ……。もし一人になったら、きっと生きていけない……」
ギャル美はそんなおれの肩に手を置いて言った。
「なにもできない、なんてことないよ。オタクくん、うちのことスライムから守ろうとしてくれたじゃん?」
「でも、結局守れなかった」
「それでも、うちは嬉しかったよ」
その一言に心を動かされて、おれはおずおずと顔を上げた。ギャル美は柔和な笑みでこちらを見つめている。
少し、心が温かくなった。
「いまはなにもできないって思ってるかもしれないけどさ」ギャル美が言う。
「これからきっと、いろんなことができるようになるよ。そうなるように、うちが一緒にいて応援してあげる」
おれは耳を疑った。ギャル美の口から、こんなおれと一緒にいてくれるという言葉が出るなんて……。
だが、続く言葉はさらに耳を疑わせるような内容だった。
「だからさ、オタクくんもうちと一緒にいてよ」
「え……?」
「なんていうかさ。オタクくんってうちにとって、元の世界との、その……ユイイツ? の繋がりっていうか? だから、オタクくんが一緒にいてくれるとうちも安心できるんだよねー」
「…………」
目の奥が熱くなるのを感じた。
いかん、泣くなおれ。今日はすでに一度、みっともない泣き顔をギャル美に晒している。ここでまた泣いたら泣き虫キャラみたいに思われてしまう。
こみあげてきたものを必死でこらえ、おれは頷いて見せた。
ギャル美の顔にパッと明るい笑顔が咲く。
「ありがと、オタクくん。これからもよろしくね!」
「お、おう……」
「それじゃ、冷めないうちに食べよ? おなかいっぱいになればテンションも上がるし!」
おれは頷き、スプーンを持つ手を震わせながらシチューの肉を口に運んだ。得体のしれない肉を口に入れ、咀嚼する。
「……うまい」
心からの言葉が、自然とこぼれた。
一口、また一口と、スプーンを運ぶ手が止まらなくなる。
「でしょー? 異世界の料理もなかなかイケんのよ!」
ギャル美は自分が褒められたかのように自慢げに胸を張った。
おれは忘れていた空腹を急に思い出したかのように、パンをちぎってはシチューに浸し、次々と口に放り込んだ。いままで食べたどんな料理よりも美味しく感じた。枯渇していたエネルギーが体内にみなぎっていくのを感じる。
異世界も悪くないかもしれないな――そんな考えがふと頭をよぎり、俺は少しだけ微笑んだ。
その夜。
宿屋の親父によって薄暗い物置部屋に通されたおれは、「ほらよ、寝床だ」と親父に言われたものを見て呆然としていた。
石畳の床の上に藁がこんもりと積まれていて、その上に一応は清潔そうなシーツが一枚敷いてある。その他には「寝床」と形容できそうなものはなにひとつとして存在していなかった。
「これが布団替わり? あはは、ウケるー!」
「すごいなおまえ……」
ギャル美のポジティブさには感心するしかない。おれにはどう好意的にとらえても寝づらそうだという印象しか持てなかった。
だが、致し方ない。一応は屋根の下で、それも無料で泊めてもらえるというのだから、文句は言えまい。
数分前。
ギャル美が宿屋の親父に宿泊費を尋ねたところ、一部屋で一泊につき6000クロネかかることが判明した。
この時点でギャル美の残金は夕食代を差し引いて5000クロネあまり。宿泊費にはわずかに足りなかった。
どうしようかと迷っていると、宿屋の親父は親切にも、物置になら無償で泊まらせてやる、と提案してくれたのだった。
「はー、今日も頑張った。偉いぞ、うち!」
誰にともなくそう言うと、ギャル美はシーツの上に横になった。
「そんじゃ、おやすみー」
「え、ちょ……」
おれがなにか言おうとしたときには、ギャル美はすでに寝息を立てていた。
……のび太くんかよ。
というか、ちょっと待った。おれの寝る場所は?
部屋の中をぐるりと見回す。
相変わらず、寝床らしきものは藁の上に敷かれたシーツ以外には見当たらず、それはすでにギャル美に占拠されている。
いや、厳密に言えばギャル美が寝ている横にスペースが空いていないでもないが……。
“
慌てておれはその言葉を振り払った。
待て待て待て。そもそもからして若い男女が同じ部屋で寝ること自体に問題があるのに、あまつさえ寝床を共にするなんて言語道断だろ……。
というか、ギャル美も無防備すぎだろ。男と同じ部屋で寝ることに対して、少しは警戒するのが女子ってものなんじゃないか?
――といった具合に、おれの頭の中でさまざまな想念が駆け巡っている間も、ギャル美はスヤスヤと気持ちよさそうに眠っていた。
「…………」
安らかなその寝顔を見ているうちに、おれは考えるのが馬鹿らしくなってきた。
ギャル美から少し離れた位置の床に腰を下ろし、横になる。
床は固く冷えており、とても眠りやすい環境とはいえなかった。
しかし、おれも疲れていたのだろう。規則正しいギャル美の寝息を聞いているうちに、ゆっくりと瞼が重くなっていくのを感じ、そして意識が暗闇の中に溶けていった。
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