第3話 スライム

 最悪だ……。

 スライムなんかが出てきた以上、さすがに認めざるを得ない。

 ここが現実世界のどこかではなく、いわゆるファンタジー異世界なのだということを。

 おれはよろよろと立ち上がり、背後にいたスライムと対峙した。


「オタクくん、あの青いのがスライムなん?」


「あ、ああ。魔物というかモンスターというか……要するに敵だよ」


 先ほどおれの背中に攻撃してきたのは、目の前にいる個体に間違いないだろう。


「あはは、なんかウニョウニョしててウケるー」


 ウケてる場合じゃないだろ……。

 大抵のファンタジー作品ではスライムは雑魚扱いされているが、それでも敵であることにはかわりない。実際、さっき受けた体当たりとおぼしき攻撃もかなり痛かった。舐めているともっと痛い目に遭うのは間違いない。


「と、とにかく逃げろ!」


 おれはギャル美にそう指示し、スライムとギャル美の間に立ちはだかった。

 この行動は当のおれ自身にとっても意外だった。陰キャであるおれがギャル美を守ろうとするなんて。

 だが、陰キャといえどおれは男。か弱い女の子を守ろうとするのは本能なのかもしれない。まぁ、ギャル美がか弱い女の子の範疇に入るかどうかは不明だが。

 そしてまた、心のどこかで「スライムくらいならどうにかなるだろう」という気持ちもなくはなかった。あらためて述べるが、ほとんどのファンタジー異世界ではスライムは雑魚中の雑魚。よしんば倒せなかったとしても時間稼ぎくらいはできよう。その間にギャル美に遠くに逃げてもらえば、あとはどうとでもなるだろう。


 ……結論から言おう。

 フルボッコにされた。

 スライム一匹に、である。

 おれは舐めたつらをしてボヨボヨ跳ねているスライムに強烈なオタクキックを見舞った。

 が、スライムはひょいと身をかわし直後に渾身の頭突きを放つ。

 みぞおちの辺りにクリーンヒットを食らったおれは仰向けにダウン。

 するとすかさずスライムはおれの顔をめがけて集中攻撃をしかけてきた。

 痛い。めちゃくちゃ痛い。まるで相撲取りの連続張り手のような痛さだ。

 かくしておれは徹底的にボコられた。両方の鼻の穴から鼻血が出ている。いま鏡を見たらとても見られない顔をしているに違いない。

 そうしておれが虫の息になると、スライムはおれの顔に飛び乗り、そのゲル状の体でおれの鼻と口を塞ぎ始めた。

 ……やばいやばいやばい。このままでは窒息死――


「せいっ!」


 頭上で響く声。

 次の瞬間、おれの顔に乗っかっていたスライムの体が爆散した。

 なんだ……なにが起こったんだ?


「オタクくん、生きてるー?」


 尋ねながらおれを上からのぞき込む顔。

 ギャル美だった。


「ギャル美……? 逃げたんじゃ……?」


 ギャル美はおれの手を取って引き起こす。


「あはは、オタクくんを見捨てて逃げるとかないわー」


 もう片方の手には、先ほど拾った“いい感じの棒”が握られていた。


「その棒で……?」


 おれがそう尋ねると、ギャル美はニッと笑って頷いた。


「言ったじゃん。うちがオタクくんを守ってあげるって」


 風が辺りに生えた草をざわざわと揺らす。

 おれはなんだか泣きたい気分だった。

 しかし、いまはそれどころではなかった。


「あ、見てオタクくん」


 言われて振り向いたおれは唖然と口を開けた。

 十匹……いや二十匹近くのスライムの集団がおれたちを取り囲もうとしている。さっきのスライムが仲間を呼んだとでもいうのだろうか。


「さ、さすがに逃げないとヤバいんじゃ……」


 おれが言うと、ギャル美は首を横に振った。


「オタクくん、その感じじゃ逃げ切れないっしょ?」


「で、でも……」


「任せて。こう見えてうち、剣道二段だから!」



 剣道二段と言われても、無学なおれにはそれが凄いのかどうかもよくわからなかった。

 だが、ものの一分ほどでわかったことがある。

 ギャル美は、おれなんか足元にも及ばないほど強かった。

 襲い来るスライムの攻撃を、わずかに体を逸らして避けては、一撃でスライムを両断していく。

 足元を狙った攻撃は跳んでかわし、かわしてはまた一閃。

 まるでギャル美を中心に見えない竜巻が発生しているかのごとく、スライム達はギャル美に飛びかかっては一匹また一匹と散っていく。

 そんな光景を見ているうちに、おれは恥ずかしさでいたたまれなくなっていった。

 ギャル美を守ってやろう、などと思い上がり、イキってスライムと張り合おうとして瞬殺された数分前の自分が思い出される。

 ああ、死にたい……。

 


 約五分後。

 ギャル美の足元は透き通った水色のグチャグチャしたなにかで埋め尽くされていた。


「ふぅ。いい汗かいたー♪」


 ギャル美は満足げに額の汗を拭う。


「てか、オタクくん大丈夫? 鼻血出てんじゃん」


「……殺してくれ」


「え?」


 おれは涙を流していた。あまりの情けなさに。


「ご、ごめんねー。助けるの遅くなっちゃって」


 ギャル美の気遣いが、かえっておれの自尊心を傷つける。


「うぅっ……。異世界なんて……異世界なんてもう嫌だぁあああッ!!!!」


 ガチ泣きだった。

 それほどおれが受けた精神的なダメージは大きかったのだ。


「お、落ち着いてオタクくん……。ほ~ら、よしよーし♪」


 ギャル美に頭を撫でられる。

 惨めさがさらに募り、涙が止まらなくなった。

 おれはしばらく肩を震わせて、みっともなく泣き続けた。

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