第2話 異世界?

「う……」


 後頭部に痛みを覚えながらおれは意識を取り戻した。

 うっすらと目を開ける。

 同時に、強烈な違和感に襲われた。


「なんだ……ここ?」


 目に映るのは染みるほどの青空。背中にはガサガサとした感触。

 上体を起こし、周囲を見回す。

 辺りは一面の草原だった。いや、荒野と言った方が正確かもしれない。

 遠くに見えているのは……城壁か? それも日本のものではなく、西洋風の……。


「なんで、こんな……?」


 そうだ。こんな場所には見覚えも来た覚えもない。

 では、なぜおれはこんな場所にいるのか?

 記憶を反芻する。

 さっきまでおれは、学校の教室でギャル美と共に〈チキンレース〉に興じていたはずで……


「ん……」


 微かにうめくような声が聞こえ、ドキリとする。

 この声は――

 視線を向けると、ギャル美がおれの傍で仰向けに倒れていた。


「お、おい。ギャル美……?」


 おれの声が聞こえたのか、ギャル美はうっすらと目を開けた。上体を起こして辺りを見回し、眠たそうにあくびをする。


「ふわぁ~。オタクくん、ここどこ?」


「……わからん」


「あはは、だよねー。うちもまったくわかんない」


「わ、笑ってる場合かよ」


「? なんで?」


「なんでって……おれたちはさっきまで教室にいたはずなんだぞ? それなのに、気づいたら知らない場所にいて……。おかしいだろ、こんなの」


「まー、たしかに?」


「いったいどうなってるんだ……」


 おれが頭を抱えていると、ギャル美はとんでもないことを言った。


「アレじゃない? ほら、最近流行り? の”異世界転生”ってやつ」


「いやいやいや、ありえないだろ……」


 その可能性は考えたくなかった。

 異世界ファンタジーものの作品はラノベなどでいくつかたしなんでいるが、あれはあくまでフィクションだ。現実の人間が異世界に飛ばされるなんてことはありえない。

 それに、そのような前提をあえて無視したとしても、おれのような地味で根暗な陰キャが異世界に来たところでなにも面白くないではないか。おれには主人公属性なんてないし、異世界に来たってせいぜい序盤で雑魚モンスターに殺されるモブくらいにしかなれないだろう。そんなのは絶対に嫌だ。


「てか、もし異世界転生したんだとしたら、うちら元の世界で死んじゃったってこと?」


 ギャル美は少しだけ表情を曇らせる。

 なんとなく、その不安を取り除いてやりたくなった。


「い、いや、そうとは限らないと思うぞ。異世界モノには“異世界転移”ってのもある。だから、必ずしも死ななきゃ異世界に来られないってわけでもなくて……」


 ……って、なに異世界に来たことを前提に話してるんだ、おれは?

 転生にせよ転移にせよ、異世界に飛ばされるなんてことはありえないのだ。


「そっか、死んじゃったわけじゃないんだ。なら異世界でもいっか。なんか楽しそうだし!」


 ギャル美は吹っ切れたように立ち上がり、思い切り伸びをした。


「よ、よくねえよ! 異世界なんて、おれは認めないからな!」


 立ち上がる。自分でもなにを言っているのかよくわからなくなってきていたが、とにかくおれはここが異世界であるという可能性を否定したかった。

 とりあえず周囲を探索してみよう。ここが異世界でないと証明するなにかが見つかるかもしれない。


「あ!」


 ふいにギャル美の声が上がった。


「ど、どうした?」


「見てオタクくん、めっちゃデカいタンポポ!」


 ギャル美が指さした先には、人の背丈ほどもある黄色い花が咲いていた。ヒマワリと見紛うほどの大きさだが、葉や茎や花の形状は紛れもなくタンポポのそれだ。


「…………」


「ヤバー、めっちゃ異世界っぽい! ウケるー!」


「い、いや、まだ異世界って決まったわけじゃないから……」


 落ち着けおれ。デカいタンポポくらい、現実世界にも探せばあるかもしれないじゃないか……。


「あ!」


「こ、今度はなんだ?」


 再びギャル美の指さした先を見る。

 それは雑多に生えた草の間をのっそりと歩く、柴犬ほどの大きさの……。


「めっちゃデカいあり! 超強そう! ウケるー!」


「…………」


 これはその……アレだ。きっと産業廃棄物かなにかの影響で動植物が突然変異して巨大化したに違いない。断じて異世界に来たわけではない。断じて……。

 まあなんであれ巨大蟻は普通に怖いので、おれはギャル美に身を屈めて隠れるよう言った。


「おっけー☆」


 と小声で返したギャル美は素直にその場で屈み、おれたちは丈の高い草むらに隠れて巨大蟻が通り過ぎるのを待った。

 ほっと溜息をついて立ち上がると、ギャル美がおれの肩をつついてくる。


「ねえねえオタクくん。うち、めっちゃいいもの見つけちゃった♪」


 ニヤニヤしながら話しかけてきたギャル美は、背中になにかを隠している様子だ。

 ……おい、まさか巨大ミミズとか言うんじゃないだろうな?


「じゃーん! めっちゃいい感じの棒! ヤバくない?」


 ……男子かよ。

 ギャル美が嬉々として振り回し始めた木の棒は閉じた傘くらいの長さと太さがあり、たしかにいい感じではあった。ちょっとした武器としても使えそうだ。

 とはいえ、武器が必要になるシチュエーションなどおれは望んでいない。ここは異世界なんかじゃないんだから、人間に害意を持つ魔物じみた存在などいるはずがない。いないったらいないのだ。


「オタクくんがモンスターに襲われたら、うちがこれで守ってあげるね!」


「……それはどうも」


 そんな状況にはならないけどな、と心の中で思った直後だった。


「ぐはッ――!?」


 突如背中を貫いた、素手で殴られたような衝撃。

 たまらずおれは地に膝をついた。


「ちょ、どしたん!? オタクくん大丈夫!?」


 駆け寄ってくるギャル美の足音。

 背中の痛みに呻きながら、おれは背後を振り向く。

 そして〈それ〉を目にした。

 サッカーボールほどの大きさの〈それ〉は、透き通った水色のゴムまりのようにポヨポヨと跳ねてこちらを威嚇しているように見える。

 瞬時に悟ってしまった。

 いわゆるファンタジー異世界に必ずといってもいいほどよく登場する〈それ〉の名は――


「スライム……!?」

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