第3話 ダンジョンふたたび、ですわっ
小野ナズナというメイドがやってきてからというもの、スミレのプライバシーは消えた。
「ちょっと! どうなってるのよっ!」
ちゃんと鍵はかけているのに、扉が開いて。
「お、お嬢さま、すみません。でも、仕事ですので」
ナズナは言って、部屋に入ってくる。ちいさくぺこりとスミレに頭を下げてから、本を取りだして、ペラペラとページをめくりはじめる。
「どこか行ってちょうだいっ。これじゃあ集中できないわ」
「そう言われましても……」
ぎろりとスミレは睨む。雇用主の娘である自分が、睨みを利かせれば、たいていのメイドは逃げていく。
だが、ナズナは違った。オロオロとしながらも、その場に立ちつづけている。
スミレはため息をついて部屋を出ようとすれば、ナズナは本を閉じて、ついてこようとする。
「なんでついてくるの」
「し、仕事ですから」
「トイレくらいひとりにさせてちょうだい」
「じゃ、じゃあわたしも」
そういうことだったので、一人きりの時間というものがなかった。四六時中、文字通りおはようからおやすみまで、ナズナは付きまとってきた。
「ちょっと! なんらかの法に触れているのではなくて」
「かもしれませんが、旦那様の命令ですので……」
「だからって」
「不満は、旦那様に言っていただけると」
「…………」
スミレは、どかどかと執事の部屋を後にした。
「もう! イヤになっちゃうわ!」
自室に一人、スミレは叫んだ。
窓の外はもう、暗くなっている。スマホを見れば、午後八時。この辺りは、車の通りが少なく、ビルも建物そのものがあまりない。
今日は新月で、特に暗い。
――今なら、バレないのではなくて?
スミレは心の中でつぶやいた。盗聴されているのではないかと考えてしまうのは、夕食後、ナズナは部屋の中に入ってこないからだ。廊下に立って聞き耳を立てているのを、トイレに行ったときに確認している。
そっと、引き出しから軽トラのキーを取りだす。うっぷんがたまると、乗りたくなってくる。ハンドルとシフトレバーが握りたくてうずうずしてくる。
「今日は、お父様もお母様もお仕事だったかしら」
抜け出すなら、今日はチャンスだ。
軽トラのある小屋は、屋敷から少し離れた場所にある。そこまで行ければいいのだが。
――問題は、あのメイドですわね。
スミレは、邪魔にならないよう、髪をヘアゴムでくくる。とにかく準備をしなくては。
その夜、屋敷の人間は、突然鳴りひびいたシンバルの音に、心臓を叩かれた。
発生源は、屋敷二階のスミレの部屋。
スミレは、スマホで大音量のクラシックを流しはじめた。最初に『木星』、その次『フィンランディア』……できるだけ爆音のものを選んだ。
日付が変わるころに停止するように設定し、スミレは耳栓を突っこみ、準備完了。再生ボタンを押した。
それから、窓へ近づく。
顔を出せば、闇に包まれた芝生が見える。高さにして六メートルほど。手を伸ばせば、揺れる葉桜に指が触れた。
窓枠をつかみ、腕をこれでもかと伸ばし、枝をつかむ。そうっと、体重を移動させて、樹へ飛び移る。
桜が揺れ、枝がしなる。動けずにじっとしていたら、揺れは次第に治まっていって、スミレはホッと息をついた。
幹の方まで近づいていって、スルスルと降りる。
芝生に着地したところで、自室を見る。ひるがえるカーテンと、響くティンパニの音。それを耳栓越しに聞きながら、スミレはベーっと舌を出した。
爆音のおかげだろう、小屋までは、簡単にたどり着くことができた。
ここまで走ってきて乱れた息を整える。心臓がドキドキしている。だが、何よりも面白かった。
スミレは笑いながら、スニーカーを探し、履く。いつもはここで、動きづらいミュールを履き替えていた。ほかにもパーカーなどの着替えを前もってスミレは用意していた。
ジーパンにTシャツという姿に着替えおわったスミレは、闇のなかに目を凝らす。いろいろなものが目に入った。軽トラ、工具、釣竿、農機具……その中におじいちゃんの姿はなくて、さみしい。
「……こんなことしてる場合じゃないわね」
スミレは軽トラにカギを差し込み、扉を開けた。
夜をライトが切り裂いていく。
真っ黒に塗りつぶされた牧草地は、どこに何があるのかパッと見わからない。ごうんごうんと車が揺れる。お尻が浮き上がってしまうほどの衝撃が来ることもある。それが、ジェットコースターみたいで楽しい。
光が闇にそびえたつ物体をとらえる。ヒトのようで、スミレは思わずブレーキを踏んだ。ガリガリガリと音がして、エンストした。エンジンをかけなおしながら。
「スレンダーマン……?」
ギアを入れ直し、スミレは近づいていく。だが、それは、ただの樹だった。
「なあんだ、見間違えか」
長身の男みたいな影の間へと、軽トラを進めていく。
そのうち、闇のなかにぼんやりとひかりが見えてきた。ダンジョンへの入り口である。
「そういえば」
スミレは、先日のことを思いかえしていた。あの日、自分を追いかけてきたのは何だったのだろう。ヒトのような形をしていたが、それにしてはゾンビのようだった。
しかも、ダンジョンの中でひいてしまったときは、岩に乗り上げてしまったときほどの衝撃も感じなかった。
「あの時は大変だったわねえ。泥みたいなのがべったりついてて」
「ふんふん、それで?」
「洗うのが大変だったの。ベッタベタで――」
スミレは、背後を振り返る。見れば、そこには闇に溶けこむようにして、ナズナが立っていた。
ナズナはいつものメイド服ではなく、黒のカットソーにジーンズをはいている。ブーツは登山靴のようにごつごつしていた。
「な、なんで」
スミレは、驚きのままに、ナズナを指さした。その指はプルプル震えていた。
どうして、ナズナがついてこれたのかしら。盗聴対策に、うるっさいクラシックを流してたのに――。
そこで、スミレは気がついた。盗聴は気がついてたのに、なんで気がつかなかったんだろう。
「もしかして、監視カメラっ!」
「あはは……」ナズナが頭をかいた。「そこまではさすがに」
「じゃあどうして私の場所がわかったのかしら」
「発信機です。お嬢さまが身に着けているものにはあらかじめ、つけさせていただきました」
「でも、私は着替えましたわ」
スミレの今の格好は、こっそり通販で購入した服でできていた。ジーパンもTシャツもスニーカーも、小屋に隠していたのだから、発信機をつけられなかったはずなのに。
ナズナが頷いて。
「危なかったです。まさか、そこまで用意周到だとは思いませんでした」
「自慢はいいから、さっさと教えなさい」
「は、はい。えっと、ヘアゴムだけ、そのままですよね?」
「あ……」
スミレはヘアゴムを外し、控えめな飾りを見れば、ほんのわずかに光る物体があった。それこそ、発信機だろう。
手にしていたヘアゴムを、スミレは地面へ叩きつける。
「そこまでして、あなたは」
「し、仕事なので」
「仕事仕事って、どいつもこいつも――」
「誰のことを……?」
「いいから! 私のことは放っておいてもらえますの!?」
「そういうわけにはいかなくて、わたしにも生活が」
「クビよ! アンタなんかクビにしてやるのですわっ!!」
ナズナがスミレへと近づいていく。体格は同じくらいなのにその力は強い。暴れようにも、動けない。まるで、関節そのものを絞められているみたいに身じろぎできなかった。
「動かないでください。け、怪我するかも……」
「あなたが抱きついてくるからでしょ!? 離しなさいっ!」
ぎゃあぎゃあ言いあいながら、押し合いへし合いしていた二人は、奇妙な声を聞いた。
笛の音を低くしたような不気味な声。
スミレには聞き覚えがあった。前に来たときに聞いたうめき声に似ている。
「なにこれ」
「お嬢さま」
「なんですの?」
「わたしから離れないでください」
その声には、おどおどとした響きがなく、キリリと引き締まっている。軽トラのヘッドライトに照らされた横顔は、鋭い。
メイドの変わりように、スミレは困惑した。
「な、なんなの」
「わかりません。ですが、囲まれています」
ナズナの言っていることが、すぐには理解できなかった。だが、すこしすると、とりかこむ人影に気がついた。
だが、その人影たちは、てんでバラバラな方向へと手足を投げ出している。腕は奇妙な方向へねじれ折れ曲がり、パキパキ音が鳴った。何より、顔があるべきところには顔がない。
「アイツら、この前の……」
「見覚えが?」
「ダンジョンの中で見たわ」
「……まさか、お嬢さま」
ナズナは唖然とした様子で、スミレの方を見る。その視線は、化け物たちから、スミレ、それから軽トラへと移っていく。
「そうよ、そうなの! 何か文句でもあるかしら!!」
「お嬢さま、開き直らないでください」
「開き直ってなんかないわよっ」
「と、とにかく。お嬢さま、軽トラは運転できるということでよろしいでしょうか」
「ええ、それはバッチし」
「では、それで逃げてください」
「あなたはどうするのっ!?」
「わたしはメイドですので」
「返事になってないのですわっ!?」
そうこうしているうちにも、化け物たちは、二人へと迫ってくる。腕を伸ばし、抱きついてこようと、一歩、また一歩……。
「つべこべ言わずに乗れですのっ!!」
「へ、お、お嬢さま?」
「乗らなきゃ絶対動きません」
「ですけど、お命が」
「私、誰かを見捨てるくらいなら、一緒に死にますからね」
自分でも何を言っているのかわからなかった。頭がおかしくなっているのかもしれない。だとしたら、目の前の化け物のせいだ。
ナズナは腰のあたりに手を伸ばし何かを取り出そうとしていたが、
「わ、わかりましたっ」
スミレの気迫に折れたのか、助手席へと回りこむ。それを見届けてから、スミレも運転席へ。
「ですが、お嬢さま、これからどうするのですか!」
「それはもう、ダンジョンへ行くのですわっ!」
言葉とともにキーを回せば、一発でエンジンがかかる。アクセル全開で、軽トラは光の中へと突っ込んでいった。
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