第2話 アンタなんかクビ、ですわっ!

 トントントン。


 鳴りひびくノックの音に、スミレは返事をしなかった。ただ、プルプルと生まれたての小鹿のように震えていた。


「おじょうさま。まだ起きられていないのでしょうか……」


 外から女性の声がする。震えは少し弱まったが、妄想が、スミレの脳内を駆けめぐる。メイドの呼ぶ声にしたがえば、じいやが待ち受けており、スミレをコテンパンに𠮟りつける……思わず、ひい、と声が出た。


「入りますからね」


 扉が開く。足音がコツコツ近づいてきて、そうっと、かぶっていた毛布に手が伸びてくる。


「お嬢さま、朝ですよ、お嬢さま」


「……起きたくないわ」


「そう申しましても、お食事の時間が」


「勝手に食べればいいじゃない」


「旦那様が、お話があると……」


「――話なんてしたくないと伝えてくれるかしら」


 スミレは、有無を言わせぬ口調で、そう言った。毛布を少しずらして、様子を窺えば、メイドはオロオロしていたかと思えば、ついにはしょんぼりと部屋を出ていった。


 扉が閉まったのを確認して、スミレはため息をついた。


 毛布をどかし、体を起こす。


 枕もとにはスマホが転がっていた。ロックを外せば、動画サイトが表示される。その動画はやっぱり、昨日見たものと一緒で。


「夢じゃなかった……」


 スミレは手にしていたスマホをベッドへぶん投げる。




 午前十時すぎ、遅めの朝食を終え、自室に戻ろうとしたスミレは、一人の老執事と出くわした。


「げっ」


「スミレ様、おはようございます」


「お、おはようございますですの」


 挨拶だけして、さっさと立ち去ろうとしたスミレを、老執事は見た目から想像できない素早さで、スミレの前に立ちふさがる。


「お待ちください。少しお話があります」


「は、話ってなにかしら」


 冷静を装いながら、スミレは言ったが、背中は汗でびっしょり濡れていた。心当たりしかなかった。


「いえ、大したことではありません」


「じゃあ――」


「しかし、他ならない、旦那様が命じられたことですので」


「――――」


 旦那様、つまりは、スミレの父。


「わかったわ。どうせ、逃げられやしないのでしょう」


 ため息交じりに、スミレは言った。



 老執事の部屋に通されて少し。


 何を命じられるのだろうかと、ソワソワソワソワ、その時を待っていた。


 ――どーせ、ろくでもないことに違いないのですわ。


 父の考えることは、全部嫌いだった。というか、父親そのものが、スミレは嫌いだった。ついでに言えば、母親も。


 キョロキョロしながら、死の宣告にも似たことばがやってくるのを待っていたら、言葉ではなく、ノック音が部屋に響いた。


「どうぞ」


 老執事が言えば、扉が開いていく。


 そこに立っていたのは、メイド。


 だが、スミレの見たことがない、はじめましてのメイドだった。



「お嬢さまは、動画というものをご存じでしょうか」


 メイドがやってきたのを待っていたように、老執事が言った。


「ぜんぜん、まったく。そのような下々の方が見られるもの、見たことないのですわっ!!」


 まったくの嘘だった。スミレの視聴履歴はネコとイヌと切り抜き動画とで汚染されている。


 だが、老執事はその言葉を真に受けたように、ウンウンと頷いて。


「私もはじめて耳にしたのですが……ナズナはどうですか」


「み、みました。確か、全世界でバズってるとかなんとか」


「ばず……?」


「注目されているということですっ」


「はあ……トラックでダンジョンに向かうのがどうしてそうも有名になっているのかはわかりませんが、それが、旦那様には気に食わないようでして」


「どうして?」


「それが、少女という説がある。もしかしたら、うちの娘かもしれない、と」


「――――」


 まさしくその通りで、スミレは血の気が抜けていくのをはっきり感じた。歯を食いしばって、なんとか立ち続ける。


「それに、近頃はダンジョン? というものがあるそうではないですか。いつ、巻き込まれるかもわからない。だから、専属のボディーガードをと旦那様はおっしゃられました」


「それってつまり」


 スミレは、隣に立っている、おどおどとした少女を見た。メイド服を着た彼女は、スミレと同じくらいあるいは年下なのではないか。


 その気弱そうな目が、スミレを向く。


「わ、わたし、小野ナズナって言います! よろしくお願いしましゅっ!!」




 スミレは、部屋に入るなり、カギをかけ、大きくため息。


「なによ、ボディガードなんてっ!!」


 叫んだスミレは、クイーンサイズのベッドへダイブ。子犬みたいにふかふかの枕をポコポコ叩く。


 扉の方からはドンドンドンと音がする。


「お、おじょうさま、わたしです、ナズナです」


「ほうっておいて、一人になりたいの」


「そんなこといわれましても、わたしの仕事はあなたの護衛で」


「そんな仕事、ほっぽっていいわ。私が命じますの」


 そんなあ、という情けない声が扉の向こうからして、静かになる。


 ふうとスミレは息をつく。あの女も諦めてどっかに行ってしまったらしい。


「ボディガードなんてつけられた日には、自由なんかなくなっちゃうじゃない」


 スミレは起き上がり、机に向かう。カギのかかった引き出しを開き、その中から小さな金庫を取りだす。ロックを解除すれば、軽トラの鍵がコロリと出てくる。


 それをぎゅっと握りしめる。


 ボディガードなんて絶対許さない。あの車を乗り回すためにも。


 ――と。


 扉の方でカチャカチャという音がしたかと思えば、ゆっくりと扉が開いて。


「おじょうさま、カギをかけるのは危険ですから、おやめください」


「ど、どうやってカギを。まさか、この短い間にスペアをとってきたっていうの……!?」


「そのような手間をかけていたら、おじょうさまに何か危険があると思いまして。これで開けました」


 ナズナが気恥ずかしそうに取りだしたのは、ヘアピンだった。

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