決意 ②

 ――それから三十分ほど、僕と絢乃さんは美味しいケーキを食べながら他愛ない話をしていた。


「――ねぇ、桐島さん。こういう個人的なパーティーを会社の経費でやるのってムダだと思わない?」


 お父さまのお誕生日祝いだというのに、絢乃さんの感想は率直で辛口だった。


「どう……なんですかね? 僕はそんなこと、気にしたことありませんでしたけど」


 僕も素直に答えた。社会人になってから毎年、ずっと当たり前のように行われてきたので、僕も何となく「そういうものなのか」と当然のことのように受け入れていたのだが、当たり前ではなかったのだろうか?


「このお祝いの会ってね、元々は有志の人たちがお金を出し合ってやってたらしいの。それがいつの間にかこんなに大げさなことになっちゃって、しまいには貴方みたいなパワハラの被害者まで出ちゃう事態になっちゃってるんだよね」


「へぇ……、そうなんですか。知りませんでした」


 実は本当に初耳だった。有志のメンバーだけで始めたお祝いの会がここまで大規模なものになるくらい、源一会長は人望に厚い人だったということだろう。役員になる前も営業部のエースと言われていたらしいし(これは小川先輩からの情報だ)。


「だからね、わたしが将来会長になった時は、思い切って廃止しちゃおうかなぁって思ってるの」


「……そうなんですか?」


「うん。わたし、大勢の人から大げさに誕生日祝ってもらうの、あんまり好きじゃないから。『おめでとう』の一言だけ言ってもらえれば十分。プレゼントは……まぁ、もらえるものなら嬉しいかな」


「なるほど……」


 この時の僕は、その方がいいだろうなと思う程度だった。まさか、それがあんなにすぐ現実になるとは思ってもみなかったからだ。


「……桐島さん、ケーキ美味しそうに食べるねー。わたし、スイーツ好きの男の人って好きだよ」


「…………えっ? そ、そうですか?」


 絢乃さんから天使の微笑みでそう言われた僕は、思わずドギマギした。


「うん。なんか親しみ持てる。お酒ガバガバ飲む人よりずっといいよ」


「はぁ、それはどうも……」


 僕はどうリアクションしていいか困った。これは褒められているのだろうし、絢乃さんが好意的に僕を見て下さっていることは分らなかったわけじゃない。

 でも、日比野のことがあったせいか、つい勘ぐってしまうようになっていたのだ。女性が何気なく言った言葉の裏に、何かあるのではないかと。

 だからハッキリ言って、この時は絢乃さんの言葉も信じられなかった。彼女は裏表のないまっすぐな女性なのに――。



 ――と、そうこうしている間に時刻は夜八時半。絢乃さんのスマホにメッセージの受信があった。テーブルの上にカバーを開いた状態で置かれていたので、僕もチラリと画面を覗き込むと、どうやら加奈子さんに送ったメッセージの返信らしいと分ったのだが……。



〈絢乃、返信が遅くなっちゃってごめんなさい! パパは寝室で休ませてます。

 あなたのタイミングでいいから、閉会の挨拶よろしく。招待客のみなさんにちゃんとお詫びしておいてね〉



 という最初のメッセージだけは読み取れた。が、二つ目のメッセージが届いた途端、絢乃さんは「えっ!?」という声を上げて慌ててスマホを持ち上げ、僕の目に入らないようにしてしまった。画面を二度見していたが、何か僕に読まれるとマズいことでも書かれていたのだろうか?


「絢乃さん、どうかされました?」


「ううん、別にっ!」


 僕が首を傾げて訊ねると、彼女は思いっきりブンブンと首を横に振ってごまかした。短く返信した後ですぐにスマホはクラッチバッグの中にしまわれてしまったので(これはダジャレではない)、その時は絢乃さんの慌てた理由を知ることができなかったが、彼女の首元まで真っ赤に染まっていたのは何か関係があるのだろうか。


 絢乃さんは「そろそろお母さまからの任務ミッションを果たしてくる」と言って席を立った。パーティーの閉会の挨拶を頼まれていたのだ。本当は九時ごろ終了の予定だったのだが、主役である源一会長が不在になったので閉会時刻を早める決断をしたのだろう。


「――桐島さん。わたしはそろそろ、ママからのミッションを果たしてくるね」


「はい、行ってらっしゃい。オレンジジュースのお代わりを用意して待っています」


 絢乃さんのグラスは空っぽになっていたので、挨拶を終えて喉がカラカラになって戻るであろう彼女のために僕は再びドリンクバーへ行っておくことにした。


「ありがとう」


 彼女はステージの壇上で篠沢家の次期当主、そしてグループの跡継ぎらしく堂々と挨拶をして、やりきったという表情でテーブルへ戻ってきた。ように僕には見えた。


「絢乃さん、お疲れさまでした。喉渇いたでしょう」


「うん。ありがとう」


 オレンジジュースのお代わりを美味しそうに飲む彼女を見ながら、僕もそろそろ加奈子さんからのミッションを果たさねばと思った。


「……ママからの返信に書いてあったんだけど、帰りは貴方が送ってくれるって?」


 ちょうどいいタイミングで、絢乃さんの方からその話題を振ってきた。……なるほど、彼女が僕に見せたがらなかったお母さまからの二つ目の返信には、そのことが書かれていたのだ。


「はい。お母さまから直々に頼まれました。まさかこういう事態になるとは思っていらっしゃらなかったでしょうけど」


「そうだよね……」


 源一会長が倒れられたのは、加奈子さんにとっても想定外の事態だったはずだ。彼女はただ、可愛い一人娘である絢乃さんと僕の間に接点を持たせたかっただけなのだから。


「そういえば桐島さん、お酒飲んでなかったもんね。それもこのため?」


 絢乃さんは、僕がパーティーの間にアルコール類を口にしていなかったことをそう解釈した。実際はそれほどアルコールに強くないのだが、マイカー通勤をしていることも事実なのでこう答えた。


「ええまぁ、そんなところです。僕、アルコールに弱くて。少しくらいなら飲めるんですけど」


「そっか。わざわざ気を遣ってくれてありがとう。じゃあご厚意に甘えさせてもらおうかな」


 彼女は僕に家まで送ってもらえることが嬉しそうだった。だがひとつ、僕には心配なことがあった。彼女に乗ってもらうクルマがそこそこボロい中古の軽だったということだ。

 父は国産メーカーながらセダンに乗っているので、そっちを借りてきた方が格好もついたかなぁ。そろそろ車検にも引っかかりそうだし、僕もセダンに買い換えようかな。……そう思ったのもその頃だったと記憶している。


「はい。……僕のクルマ、軽自動車ケイなんですけどよろしいですか?」


「うん、大丈夫。よろしくお願いします」


 彼女の返事を聞いて、僕はホッとした。軽に乗っている男を見下す女性も多い中、絢乃さんは違うのだと分って嬉しかったのだ。

 でも、今度買うクルマは絶対にセダンの新車にしようという決意は揺るがなかった。


 僕はそこで、パーティーのために戻ってきた時、自分のビジネスバッグをロッカーに置いてきたことを思い出した。ロッカーは鍵がかけられるし、どうせ財布に大した金額は入っていなかったので盗られる心配もなかったのだ。


「では、少しこちらで待っていて頂けますか? ロッカールームからカバンを取ってきますので」


「分かった」


 テーブル席で美味しそうにジュースを飲み干す絢乃さんをその場に残し、僕はエレベーターで総務課のロッカールームがある三十階へと上がっていった。

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