決意 ①

 ――絢乃さんの元へ戻る途中、小川先輩に声をかけられた。


「桐島くん、あたしもう帰るね。あなたはどうするの?」


「俺、加奈子さんから頼まれたんですよ。絢乃さんをお宅まで送ってきてほしいって。なんで残ります。……絢乃さんもさっき目眩起こされたみたいで、ちょっと心配なんで」


「そっか。――で、そのトレーはそれと何の関係が?」


 先輩から指摘された僕はハッとした。トレーに載った二人分のスイーツとドリンク、これをどう言い訳しよう?


「これは……、えーっと。絢乃さんに召し上がってもらおうかと思って。俺もついでにごしょうばんにあずかろうかなー、なんて。アハハ……」


「……………………ふーん。まぁいいんじゃない? 絢乃さんにダサいって思われなきゃいいけど」


「…………はい」


 先輩は白けたような視線を僕に投げてよこした後、興味を失ったようにコメントした。彼女は昔から僕がスイーツ男子だということをよく知っているので、こうして僕のことをよくいじってくるのだ。僕ももう慣れた。


「とにかく、あたしは帰るわ。絢乃さんによろしく」


「はい。お疲れさまでした」


 ――そうしてテーブルまで戻ると、絢乃さんはスマホでメッセージアプリの画面を見ながら眉をひそめていた。お父さまの様子が心配で仕方なかったのだろう。


「――お待たせしました! 絢乃さん、どうぞ」


 ケーキの皿と飲み物のグラスをテーブルに置くと、僕はお礼を言って受け取った絢乃さんから名前を訊ねられた。どうやら彼女の方も、僕に名前を訊きそびれていたことを気にされていたようだ。


「ああ、そうでしたね。申し遅れました。僕は篠沢商事総務課の社員で、桐島貢と申します。今日は課長の代理として出席させて頂いてます」


 僕はアイスコーヒーを一口飲むと、彼女に自己紹介をした。所属部署や、課長の代理だったことまで言う必要はあっただろうか? というのは頭をもたげるポイントだが。


「桐島さんっていうんだ。代理だったんだね。そんなの、イヤなら断ればよかったのに」


 心優しい絢乃さんは、その「言う必要のなかった情報」から僕のことを気遣って下さった。

 そんな彼女に、僕は事情を話した。他に引き受けてくれる人もいなかったので、課長の強引さに押し負けて引き受けざるを得なかった、と。


「桐島さん、それってパワハラって言わない?」


「そう……なりますよねぇ」


 眉をひそめて問うてきた彼女に、僕はその事実をあっさりと肯定した。


「でも結果的には、今日この代理出席を引き受けてよかったかなぁとも思ってます。こうして絢乃さんと知り合う機会にも恵まれたわけですし」


 つい調子に乗って本音がポロッとこぼれてしまった僕は、絢乃さんから不思議そうな顔で見られて我に返った。


「……あっ、別に逆玉に乗れそうだからってあなたに近づいたわけじゃありませんからね!? 本当に打算なんて一ミリもありませんから!」


 慌ててそこを強調すると、絢乃さんは「あなたがそんな人じゃないことは見ただけで分かる」と言って、声を出して笑ってくれた。「そんなに必死に否定しなくても」とも言われたが、自分ではそんなにムキになっていたつもりはなかったんだけどな……。


 そして彼女は僕に、自分の名前を知っているのは加奈子さんから聞いたからかと訊ねた。僕がそのことを認め、彼女が高校二年生だということも聞いたと答えると、うんうんと頷いていた。どうやら、やっぱり彼女は僕がお母さまと話しているところを見かけていたらしい。


「……美味しい。甘いもの食べるとホッとするなぁ」


 疑問が解決したらしい絢乃さんは美味しそうにケーキを食べ始め、顔を綻ばせる彼女を見ていると、その可愛さに僕の心もほっこりした。

 絢乃さんは感情表現が豊かな女性のようで、思っていることがすぐ表情にあらわれるところも可愛いなと思ったし、今でも思っている。


「本当ですねぇ」


 僕もフォークが進み、そのまままったりとした空気が流れそうだった。が、絢乃さんにとってはお父さまが倒れられたすぐ後なのだ。心の癒やしにはなったかもしれないが、いつまでも二人で和んでいる場合じゃなかった。


「……そういえば、お父さまは大丈夫なんでしょうか」


 この穏やかな空気をブチ壊すのは申し訳ないと思いつつも、僕は現実的な問題を口にした。何より、絢乃さんご自身が気になっていることだと思ったからだ。


「うん、気になるよね。さっき、わたしからママにメッセージ送ってみたんだけど、まだ返信がないの」


 彼女は心配そうに眉尻を下げ、そう答えた。ケーキの甘さにも、彼女の心配を取り除く効果まではなかったようだ。

 そして、テーブルに戻った時に彼女がメッセージアプリの画面を見ながら顔を曇らせていたのはそのせいだったのかと僕は理解した。


「そうですか……。実は社内でも以前からウワサされてたんです。『会長、最近かなり痩せられたなぁ』と。社員みんなが心配していたんですが、まさかここまでお悪かったとは」


 僕は会場で小川先輩と話していたことを、絢乃さんにも伝えた。その時も絢乃さんはショックを受けているようだったが、僕はそんな彼女に、もっと残酷なことを告げなければならなかった。


「あの……ですね、絢乃さん。非常に申し上げにくいんですが」


「はい?」


 彼女は表情を固くしたまま首を傾げた。でも頭のいい人だから、僕が何を言おうとしているか察してはいたのかもしれない。


「お父さまはもしかしたら、命に関わる病気をお持ちかもしれません。ですからこの際、大病院で精密検査を受けられることをお勧めしたいんですが」


 この宣告を聞いた時、絢乃さんは一瞬泣きそうな顔をしたが、僕にひとかけらの悪意もなく、お父さまを気遣って言ったことなのだと分ってもらえたようだ。すぐに気を取り直し、フォークを持ったまま眉根にシワを寄せた。


「そうだよね。わたしもそう思う。でもね……、パパって病院嫌いなんだぁ。だからちゃんと聞いてもらえるかどうか」


 そうだろうな、そうなるよなぁと僕は思った。加奈子さんもおっしゃっていたからだ。「ウチの夫は病院に行きたがらない。だからといって、犬じゃあるまいし、リードをつけて無理矢理引っぱって行くわけにもいかない」と。

 絢乃さんから病院での受診を勧められたとて、ヘソを曲げられて彼女が災難を被る可能性がゼロだとは言い切れなかった。もしかしたら、言い出しっぺの僕にも火の粉が降りかかるかもしれない。


「でも、そんなこと言ってられないよね。ママにも協力してもらって、どうにかパパを説得してみる。桐島さん、アドバイスしてくれてありがとう」


 彼女はそんな僕の心配も読み取ったのか、お父さまの説得を頑張ってみると言って下さった。


「いえ、そんな感謝されるようなことは何も……」


 僕のこの言葉は決して謙遜なんかじゃなかった。僕たち社員一人一人に家族のように温かく接して下さるボスの体調を心配するのは、ごく当たり前のことだと思っていたからだ。

 それに柄にもなく、想いを寄せる絢乃さんにいいところを見せたいという僕の欲というか、浅ましさもあったように思う。

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