第6話 私のヌードルス的生き方
私自身はキリスト教徒ではありませんが、天下りとかピンハネという発想は「意地汚い」という在来種日本人の倫理観で生きてきました。
「金を稼ぐ」からには「汗水流して働く」という考えです。
6歳のとき銭湯で、入れ墨のおじさんの背中を流して祖父とコーヒー牛乳をごちそうしてもらう、14歳の夏休みに仲間と新聞配達のアルバイトをする、なんていう、子供の頃の肉体労働体験から始まっているのかもしれません。
まあ、頭が悪いので家庭教師といった知的仕事はできませんでしたが、かといって、株屋とか人材派遣業といった仕事はやりたくなかった。
大学卒業後就職した商社でも「24時間営業」「体育会的ビジネス」「命がけの真剣勝負」という、汗水流して稼ぐ、というスタイルでした。
「24時間営業」というのは、日中、顧客回りをする8時間以外は、会社で徹夜したり土日出勤してワープロやコピー機を駆使して資料作りに明け暮れていたということです。当時は、パソコンもなく、(業務用)ワープロは200万円もしたので、会社でしかそういう仕事はできなかったのです。
各種半導体設計・製造業界新聞・雑誌の記事、各顧客用の資料、カタログ制作等で、3年間で100本以上の文書を執筆し、図版や写真を組み入れたり、なんてことをしていました。
夕方6時から翌朝3時まで資料作りをし、朝6時の新幹線で大阪・京都を回り、当日23時に会社へ戻り、そのまま米国へFAXを送信してから、深夜3時に帰宅。6時に起きて出社。そんな真剣勝負・肉体労働で5年間はあっという間に過ぎました。
売り込みをかける相手が東大卒のエンジニアだから、わが社の東大卒の上役に一緒に行ってもらうといった、コネや口利きで商売をするというやり方が嫌いでした。
なにしろ、日本のVLSI設計の仕組みを変えようというくらいの意気込みで、私も周りのスタッフ(エンジニア)も、しゃかりきになって毎日戦っていたのですから、単に注文をとって金儲けなんてイージーなことには、全く興味がなかったのです。
そんな私からすれば、現在の日本の政治屋・警察屋による「真剣味のない・お子様ランチ的イージーな金儲け」を見るにつけ、「降る雪や、田中角栄は遠くなりにけり」と、嘆くばかり。
1970・80年代は、もとずっと在来種純粋日本人的な活気のある、実のある社会だったのですが。
2024年4月5日
V.1.1
平栗雅人
Once Upon a Time in Japan マックスとヌードルス V.1.2 @MasatoHiraguri
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