第29話 女優

 五月二十九日、水曜日。放課後。


 デートがはじまる。


「まずはここ」


 と、美穂が案内してくれたのは、いきなり……ホテルだった。それもこの街一番のラグジュアリーホテル。


 あれよあれよと部屋に入る。


「なっ、何で?」

「勘違いしない。ちょっとシャワーを浴びるだけだよ」


 美穂がするすると音を立てて制服を脱ぐ。すでに下着姿になっている!


 そっか、そっか。油田持ってるセレブは普通にシャワーを浴びるためだけに、ラグジュアリーホテルの一室を借りるのかーっ。


 なーんて、かまととぶるつもりはない! 恋人同士がデートでホテルに来て、やることといえば、たった一つしかない。今日、僕はついに卒業するんだ。想定よりかなり豪華なホテルだけど、相手が相手だ。


 んーっ? 美穂がシャワーを浴びたらどうなる? 化粧も艶消し整髪料も洗い流され、素顔になる。いつ・どこから見ても完全無欠の美少女、中山環奈に! 僕は、中山環奈に授与されるんだろうか。いいのか?


 環奈がシャワールームからひょっこり顔を出し、溢れんばかりの大きく潤んだ瞳で僕を見る。離れているのに漂ってくるあまーいフレグランス! いいのか?


「私も、未経験なんだけど……」


 でっ、ですよねぇ! 高校生って、そんなもんですって。


「……美味しいランチのお店があるの。予約してあるんだ。行こっ!」

「そっ、そうなんだ。いいね。美味しいランチ。行こう、行こう」


 腹が減っては戦はできぬ! まずは、はじめてのお店で、腹ごしらえ!


「よかった。セーちゃんがね、すごくいいって言うから楽しみなんだ!」

「あー、ここ、聖子さんのホテルなんだ」


 それを聞いたら、何だか不安になる。


「じゃあ、そこのクローゼットにある服に着替えて待ってて」


 言われるまま、クローゼットをオープン。


「あー、これ? えっ、これ?」


 ピシッとした服だ。セレブ御用達には間違いない。


「急ぎで仕立ててもらったから流行の型ではないけど、生地は立派だよ」

「で……でしょうねぇ。早速着てみるよ、このタキシード」


 なるべく平気な顔で言うが、本当はちびりそう。見ているだけでビビってしまう。実際に着てみると、背丈はバッチリで身体にフィットしている。収縮性もとても高くて動き易い。いいものだということが、僕にでも分かる。


 これを着ていくとなると、普通の高校生が初デートで行くようなお店ではなさそう。僕たちの初デートは、どうなってしまうんだろうか。ここはまさか、本当にシャワーを浴びるためだけの部屋なんだろうか。


 環奈も着替える。


「お待たせ!」


 と、微笑む。上品なオレンジ色のドレスだ。胸元が強調されている。ドレスが環奈の美しさを引き立てているのか、その逆なのかは分からないが、その姿に見惚れてしまう。


「あんまり、じろじろ見ないでよ。恥ずかしい」

「ごごご、ごめん、ごめん。みかんがとってもキレイだから、つい」


 自分で言って恥ずかしくなる。環奈も顔を赤く染めている。お互いに恥ずかしがって、どうすんだよ。何か行動しないとと思っていると、一瞬早く環奈。


「よく言えました、ありがとう!」


 と、言いながら僕の右に立ち、身体を預けてくる。僕は自然に環奈を支えることとなり、そのうちに不思議と平常心を取り戻す。


「まるで、ハリウッド女優みたいだよ」

「あら、私、本当にハリウッド女優よ」


 そうだった。数年前に主演女優賞を受賞していた。最年少で。


「でも今は、勲君の嫁なわけ」


 本当に、夢のようだ。 




 ホテルの中を移動中、不思議なことに誰にも会わなかった。従業員さんはもちろん、他の泊まり客もいないようだ。エレベーターに乗って一つ降ったところにある高級なレストランが、今日の目的地の一つ。


 環奈と一緒に高級なレストランに入る。僕にも分かるほどの上物の調度品や、ふかふかの絨毯が出迎えてくれたあと、頭を下げた店員に遭遇する。部屋を出てからはじめて。雰囲気にマッチしたすらっとした燕尾服を着ているが、ミスマッチな挨拶をされる。


「いらっしゃいませーっ! ミーちゃん、いさぽん!」


 聖子さんだ。頭を上げるや、両手を前に突き出して振ってくれる。いい、とてもいい。けど。


「そんな挨拶、お店の雰囲気を崩しちゃいますよ、聖子さん」


 手を振る美少女に手を振って出迎えられたらうれしいけれど、お店の雰囲気を守るのも大事。


「あー、大丈夫。ミーちゃんのリクエストで封鎖してあるから私たちだけだよ!」

「大丈夫じゃない。私たちだって、二人でこのお店の雰囲気を楽しみたいのよ」


 ちょっとおこ顔の環奈、かわいい。僕には聖子さんに対してそこまではっきりは言えない。代わりに思いっきり首を縦に振る。聖子さんが渋々仕切り直す。


「それでは、改めまして。いらっしゃいませ、ご予約の宮崎様」


 嫌味のない四十五度のお辞儀をする。僕がつられてペコリと頭を下げそうになるのを、環奈が制する。身体を圧し付けて動き難くしたんだ。


「お出迎えいただきありがとう、町田さん」


 スマートに返事をする環奈。場慣れしてる感がある。僕はどうしていいか分からず黙っていると、ずっと待ち続ける環奈と町田さん。これは、何かお言葉が必要なのかと思い、慌てて言う。


「いつも、ありがとうございます、町田さん」


 思わず神様扱いしてしまう。恥ずかしい。顔が熱い! 聖子さんは華麗にスルーして、ややかしこまって言う。


「ごゆるりとお愉しみくださいませ」


 よく考えたら挨拶しただけなのに、何だか気を使うお店だ。僕たちの初デートは、どうなってしまうんだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る