第28話 衣装持ち

 その日の午後四時過ぎ。


 玄関先。


 美穂とのデートのことで頭がいっぱいになる。僕の目の前には聖子さん。僕の同居人で、『嫁』でもなく『妹』でもない、ただの『おまけ』の人。パワーアップした手を振る美少女でもある。


「おかえりー、いさぽーん!」


 早速、僕を出迎えてくれる。至近距離で手を振ってくれるのはうれしいけど、香しい匂いを撒き散らすのはいただけない。


「ただいま、聖子さん」


 と、一先ずはご挨拶。


「うーん。元気ないね。どこか痛いの?」

「いや、特に何もないですけど」


 聖子さんは意外にもお世話好きだ。




 僕に元気がないとすれば、原因は美穂との約束にある。デートだなんて、したことないし、どうすればいいんだろう。ブランコに乗る? まさか!


 近所の公園でデートってわけにはいかない。以前付き合ってた満里奈とは何度かブランコに乗ったけど、小学生の頃のこと。今や行動範囲が全然違う。


 満里奈と別れてからの数年間、僕はずっとフリーだった。募集中の看板さえ傾いていた。ひょんなことから美穂と付き合うことにはなったけど、自信がない。


 どうしよう、どうしよう、どーしよーっ!


「おやおやーっ。いさぽん、お困りのようだね」


 こんなときに限って、家にいるのが聖子さんだけだなんて。ワル絡みされてしまう。どうせまともな答えはないだろうし、気付かないフリをする。


「ミーちゃんのこと、知りたいならいろいろ教えるよ」


 何という悪魔の囁き。けど、興味を抱いた瞬間に、僕はきっと天然娘に巻き込まれるのがオチ。負けちゃダメ、負けちゃダメ、負けちゃダメだーっ。


 気付かないフリを続けると、聖子さんが顔を僕に近付けてくる。鼻がくっつきそうなほどに。目鼻立ちの整った、並以上の美少女だ! しかも、中山環奈に負けないフレグランス! おまけに。


「なっ、なんですか? その格好は!」

「あーコレ? いいでしょう、清楚で!」


 聖子さんは言いながら広いところへ出て、優雅に回転する。衣装持ちとは聞いてたけど、まさか、実在するとは思っていなかった。白のブラウスにふわふわな淡い水色のロングスカート。足元は白い靴下なのか、ニーハイなのか、はたまたタイツなのか。確かめたくなる衝動に駆られ、抑えるのがやっと。


 清楚と言えば清楚だけど、聖子さんが着るとまた違う味わいになる。何というか、エロい! そうか。隠せない大きさの胸がアクセントになっているんだ。


 僕は、どうすればいい? どうなってしまう? 童貞のまま殺されるのか?


「はい。正直に申しまして、よくお似合いかと思います」


 敬語になってしまう。


「やったーっ、褒められたーっ! ありがとう」


 言いながら僕に抱きつくのは本当にやめてほしい。




 やっとの思いで聖子さんを剥がす。


「いい加減にしてください。聖子さんは大人なんですから」


 胸の辺りは特に。胡桃が憧れるのも頷ける。


「いいじゃん。今は二人きりなんだし。いさぽんは、私の王子様でもあるんだし」

「王子様? 僕が? 何で?」


 白馬に乗ったことは一度もない。


「手を振るのを褒めてくれたじゃん」

「あっ!」


 思い出した。聖子さんは、名古屋のホテルで突如として泣き崩れた。僕はお呼びでなく、美穂がフォローしたんだった。聖子さんはベースがレベル高いから気付き難いが、前に突き出して手を振るときが一番かわいい、手を振る美少女だ。


 そういえば最近、僕は美少女鑑賞三箇条をなえがしろにしている。こんなに近くでおしゃべりしたり、ふわりと香る匂いを嗅いだり、抱きつかれたりしてる。よくないことが起こる前触れかもしれない。だとすれば……いや、だからこそ僕は一緒に住んでいる三人の味方でないといけないんだ。


「だからって、王子様ってことはないでしょう」

「えー、でもミーちゃんが言ったんだよ」


「何て?」

「セーちゃんは手を振る美少女だから、きっと王子様が見つけてくれるよって!」


 そんなことがあったのか。


「映画公開当時は全く話題にならなかったけど、十二年の時を経て巡り会えた!」


 僕は不思議でしょうがなかったけど、全く話題にならなかった。あの映画は主演の中山環奈が全部持って行ったんだ。美少女でありながら誰にも気付かれなかった聖子さん。


 十二年もの間に、聖子さんはたしかに成長している。胸なんか特に著しいほど。パワーアップした手を振る美少女になった。対する僕はどうだろうか。これっぽっちも成長していない。


 やっぱり僕は、美少女と関わってはいけないのかもしれない。聖子さんはあくまで『おまけ』なんだし、深く関わらない方がいい。


「だから、私はいさぽんのために生きるって決めたんだよ!」


 聖子さんは卑怯だ。そんな笑顔で見つめられたら、好きになってしまう。僕には、美穂という恋人がいるのに。聖子さんが右手をグーにして左手のひらをポンッと叩く。


「あっ、そうだ! いさぽん。具合悪いなら、ちょっと待ってて!」


 言うなり、どこかへと消えてしまう。呆気に取られていると、現れたのはナースキャップを被った、白衣の天使モードの聖子さん。衣装持ちとは聞いてたけど、こういうことだったのか!


「いさぽん、お熱測りましょうねぇ!」

「心配してくれるのはうれしいけど、ナースなら体温計を使って!」


 おでことおでこを突き合わせるなんて、原始的過ぎる。鼻と鼻がくっつきそうだ。緊張して、息ができない。


「うーん。微熱? 葛根湯がいいかしら。とりあえず、取ってくーるね!」

「いやいや。ドキドキして熱くなっただけ……」


 聞いてないよ、聖子さん。僕は、大きな溜息のあとは周囲の空気を思いっきり吸い込む。深呼吸に勝るリラックス法はない。はずなのに……。


 のっ、残り香だーっ。大人の香り! 僕は、聖子さんにメロメロになってしまう。ダメだ、ダメだ、ダメだーっ。僕には美穂という恋人がいるんだから。落ち着くんだ、僕!


「お待たせ。葛根湯だよ。あと、初物のメロンを用意したわよ」


 と言う聖子さんを見る。僅かの間に着替えている。今度は、フリフリな前掛けがキュートな、メイドモードだーっ。


「本当はあーんしたいけど、ミーちゃんに怒られるから自分で食ーべて!」


 僕は、本当に熱を出してしまったのかもしれない。

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