第30話 庭園
同日、午後二時半過ぎ。
レストランを出た僕たちは、ホテル内にある庭園に向かう。歴史ある風光明媚な庭園、らしい。正直、今まで興味を持ったことはない。いいものだと知っていても、素通りする人生だった。
「すごいマイナスイオン。気持ちいいーっ!」
「景色もとてもいいね、みかん」
僕は環奈相手でも美穂相手でも、みかんと呼ぶことにしている。本当は、景色を見ているより環奈を見ている方が心地いい。屋根のないところを歩く開放感も手伝い、とても気分がいい。
「もう、ここは封鎖してあるんだから、環奈って呼んでくれてもいいのに」
やっぱり封鎖、してたんですか。道理で誰もいないはずだ。
「自信がないから。呼び慣れて、うっかり学校で言っちゃったら困る」
「ふふっ。勲君って、結構なビビリだよね。もっと堂々としてればいいのに」
今の生活を手放したくない。高級レストランとかホテルの庭園とか、僕にとっては異世界も同然。萎縮してしまうのも仕方ないんだ。
「勲君、ランチはどうだった?」
問いに対してどう答えようか、迷ってしまう。ランチメニューにはかなりの偏りがあった。環奈も気づいているかどうかだ。分からないうちは、なるべく当たり障りのないことを言う。
「うん、とってもおいしかったよ。評判なのもうなずける」
「よかったーっ。私、デートなんてはじめてだから、不安だったんだ」
そうだったんだ。環奈は終始、とても自然体だった。だから不安を覚えているなんて、気付きもしなかった。
「だって、勲君、顔がちょっと怖かったし」
場になれておらず、緊張していたんだ。加えてあのメニューだ。若干、顔が強張っていた自覚はずっとあった。環奈の言う通りビビってたんだ。
「そうかな、あははははっ。若干、ビビってたから」
「アミューズの岩牡蠣とトリュフの炙り焼き、怖かった?」
たしかに、バーナーを持つ聖子さんは、ちょっとしたホラーだった。何をしでかすか分からない天然だもの。
けど、僕が本当にビビったのはメニューそのもの。岩牡蠣に豊富に含まれる亜鉛は、精力を増強させる。トリュフには女性に対して催淫作用があるともいわれてる。炎の持つプラシーボ効果も手伝って、グググッと燃え上がってしまう。
「ダイナミックで、美味しかったよ。ちょっと高級過ぎて、ビビったのかも」
と、いうことにしておく。
「前菜の鰻の蒲焼サラダはどうだった?」
鰻は昔から精力増強・滋養強壮に効くといわれている。ドレッシングに使われてたアボカドは『食べる美容液』といわれ、肌をすべすべにする効果がある。このときはまだ考え過ぎだと思ってたんだ。
「もちろん、美味しかった。お代わりしようと思ったくらい」
「ふふっ。三皿目のボンゴレスープはどうだった?」
アサリとニンニクの最強タッグだ!
「美味しかった」
「メインのブラウンシチューは?」
牛赤身にブロッコリーが最高なのは言うまでもない。ここら辺ではっきりした。今日のメニューはどれも精力増強効果とか催淫効果が謳われているものばかり。部屋に戻って何をしろと言うのか!
「美味しかった! デザートのチーズプリンも!」
けど、今日のメインはシチューじゃない、君だっ! とか、言いそうになる。まずい。催淫効果が出はじめてるんだろうか。
「それは、よかった。でも、だったらもっと、楽しもうよ」
僕は、態度を改めるべきかもしれない。ビビってたってはじまらないんだ。環奈の言うように、もっと積極的に楽しむべきなんだ!
「高校生って、普通はこういうところに来ないんだよ」
お小遣いでやりくりできるレベルじゃない。
「私、物心ついたときからホテル暮らしで、これが普通なんだよ」
「そう、なんだ」
さすが、芸歴=年齢の元子役の大スター! 油田もらっちゃうだけある。
「あーぁ。デートプランって、考えるの難しい」
僕にとっては夢のようなホテルステイも、環奈にとってはド日常ってことだ。ビビってられないと、立ち直ろうとした僕に突きつけられる残酷な格差だ。お互いの不幸のはじまりなのかもしれない。
だけど、環奈が日常をテーマにデートプランを考えてくれたんなら、決して悪いことではない。僕が一歩を踏み出す勇気があればいいだけじゃないか。
「みかん、もう少し奥の方まで歩こうか」
言いながら手を差し出す。
「えっ?」
と、驚いた表情の環奈、やっぱりかわいい。怯んでいられない。
「僕も見たいんだ。みかんがいつも見ている景色」
「うん。私も見てほしい」
環奈は、笑顔だった。僕の手を取ると、勢いに任せて僕に身体を預けてくる。僕は、しっかり支えるって決意したんだ。
庭園の散策をしばらく続けたあと。
「ランチ食べてから、ずっと身体が熱いよ」
変な病気や風邪を疑う必要はない。ずっとベタベタしてるからってのも違う。百パー、ランチの効果だ。僕だけじゃなく、環奈にも効いてるんだ。
「プールに、行こっか!」
反論しなかった。できなかった。環奈の生水着が見たいって思ったんだ。
聖子さんから鍵を受け取り、ロッカールームに入る。開けると、中には水着とタオルと一緒に『環奈を一生支えます』と書かれたTシャツが入っている。きっと聖子さんのチョイスだろう。着ていくのはちょっと恥ずかしいが、スタンダードなジャージもあったので素直に中に着る。人がいないことを祈りつつ、プールの手前のジムまで進む。
そして環奈の「勲君、お待たせ!」の声に、僕は振り返った。
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