第25話 三歩
五月二十七日、月曜日。朝。
登校する僕の横に、完全無欠の美少女アイドルの中山環奈がいる。地味メイクを施し橋本美穂という名で高校に通っているから、誰も気付いてない。もしもみんなに知れ渡ったら、平穏な普通の高校生活は送れない。橋本美穂が中山環奈だということは、僕たちだけの秘密。
付き合いはじめて二日目の僕たちは、まだぎこちない。恋人らしいことの一つもしていない。それでも、僕は満足だ。横に並んで歩くだけで充分。
「正直言って、夢のようだよ。美穂がOKしてくれるとは思ってなかったから」
「私も、美穂を好きになってくれる人がいるなんて思ってなかったわ」
たしかに、どこからどう見ても、環奈の方がかわいい。艶のない黒髪にそばかすだらけの肌、大きい黒縁メガネ。美穂は、あまりにも地味なんだ。
「僕だって思ってなかったさ」
「それ、傷付く。もっと甘やかしなさい」
美穂は眠れる教室の美少女。その寝姿は美しく、癒しだ。体育祭をきっかけに自然な会話ができるようになった。女王様なところを受け止める自信はある。けど、僕はまだ美穂の手を握れていない。いつか、普通の高校生カップルがするように手を握り合って登下校したい。
今のところ、僕のカレシとしての勤めは、麦茶牛乳を作ること。
「美穂様には、特別な麦茶牛乳をご用意しております」
「うむ、ご苦労。で、右手に持っているのは何?」
A4ポスターだ。高機能スマホの購入特典で手に入れた、僕の宝物だ。美穂には言ってないけど、今日、学級委員長に渡すことになっている。体育祭でグランパドドゥになる見返りの品だ。
「男には、内緒にしなくてはいけないことがあるものなんだ」
「へー」
あからさまに不機嫌な顔をする。そんなところもカノジョだと思うとかわいいから不思議だ。
「けど、体育祭で優勝できたのはコレのおかげなんだ。影のMVPさ」
「へー。どう考えても、私の手柄だと思うけど!」
違いない。キレッキレのダンスが踊れたのは美穂の指導のおかげだし、ポスターには中山環奈が写っているのだから。本人を前にしては言い難い。
「それは、否めない、かな」
「分かればよろしい!」
ちょっとだけど、美穂が機嫌を直してくれたのがうれしい。
正門へと続く登り坂のふもと。
カノジョとお手手を繋いで歩く学級委員長を見かける。僕に気付き、カノジョの手を振り払って、近付いてくる。僕と美穂は足を止める。
「やぁ、宮崎君、橋本さん。おはよう!」
「学級委員長、おはよう」
「…………」
「橋本さんは相変わらずだね。でも、体育祭は二人に任せて正解だったよ!」
「特訓したからな。正直言って自信はあったよ」
「…………」
美穂は無言を貫く。学級委員長が僕の首に腕を絡める。美穂を背にして小声。
「でさぁ、宮崎君。約束、覚えてるよね」
「もちろんだよ。コレだ。持って行ってくれ」
と、僕も小声で応じ、ポスターを筒の容器ごと渡す。とても名残惜しいが、学級委員長が大事そうに受け取ってくれたのが救いだ。これで、A4ポスターとは永遠のお別れだと思うと、ちょっと淋しい。
「ありがとう。けどこのことは、くれぐれもみんなに内緒だよ、いいね」
念を押され、自虐を込めて返事をする。
「もちろんさ。僕は友達少ないし、口が堅い方だから安心してくれ」
「うん。恩にきるよ」
言うなり、カノジョの方へと戻ってしまう。『うん』と肯定されたのは密かなショックだ。そこは普通『ご謙遜を!』とか言うべきじゃないか。けど、学級委員長は学級委員長で、カノジョのために必死なんだと思う。お互い、カノジョをよろこばすために共闘できればいいなと思う。
差し当たっては、自然な手の握り方をご教授いただきたい。ポスターとの別れを引き摺る僕に勇気を!
僕と美穂は再び歩き出す。
「……何なのよ、あれ。デリカシーがないんだから!」
「どうした、急に。たしかに間に割って入られたのは許せないけど」
登下校も貴重な二人の共有時間。大切な思い出になることだろう。
「そんなの、どうでもいい。見なかった? 学級委員長の手の解き方」
「どうでもいいんだ。あれはたしかに、乱暴に感じられたけど」
見ているところが同じだった。
「そう。乱暴な人は嫌い。大っ嫌い! 気に食わないわ!」
「まぁ、まぁ。そこまで怒らなくってもいいじゃん」
美穂も凶暴化している。とても完全無欠の美少女アイドル中山環奈とは思えないし、眠れる教室の美少女の面影もない。女王様であり、暴君だ。
「それに、何アレ!」
「まだ、何か?」
「体育祭で優勝したのは自分の判断が正しかったからってツラ」
「あー、そんな感じだったね」
美穂のプライドの高さも相当なものだ。
「でも、学級委員長は一つだけいいことしたわ」
「? 僕には分からないな、いいことって何だろう」
見当がつかない。
「右手よ。勲君の、み・ぎ・て!」
「はて、右手がどうかした?」
目の前に持ってきて、グーパーする。特に変わったところは見つからない。そのまま下ろす。
「変な荷物のせいで塞がってたでしょう」
「大事なものだから、直接握っていたんだ」
「でも、今は空いてる。どう使うかは、勲君の自由」
「なっ!」
肋の辺りの服に右手を擦り付ける。何事もなかったかのように、なるべく自然な感じに腕を下ろす。手首を外側に直角に曲げているのだけは、不自然だったかもしれないけれど。兎に角、手を繋ぐ準備は整った。
でも、なかなか手が触れることがない。右下をそっと見る。美穂は顔を真っ赤にしている。くっつきそうでくっつかない僕と美穂の、手と手。顔がどんどん熱くなっていく。意識すればするほど、近付くことができない。
学級委員長のような強引さが僕に少しでもあれば、簡単なことなのに!
恥ずかしがっていてもはじまらない。最後は思い切って手を握る。正門までの一、二、三歩が、僕たちの思い出になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます