第23話 あまあま
五月二十六日、日曜日。夜。
我が家に、同居人ができた。一人目は僕のカノジョ、橋本美穂。眠れる教室の美少女にして、元子役スター。三六五日・三六〇度、いつどこから見ても完全無欠の美少女で、世界的インフルエンサーで、超絶人気アイドルの中山環奈。
そして、二人目。
「おかえりーっ。いさぽん、ミーちゃん」
町田聖子。僕をいさぽん呼びするのはいただけないが、両手を前に突き出して手を振って迎えてくれる、ありがたい存在だ。パワーアップした手を振る美少女。僕よりちょっぴり大人な十九歳。美穂と同じく元子役スター。聞けば、現在は複数のホテルの総支配人をしているらしい。そんなすごい人だったとは!
「お兄ちゃん、おかえりーっ。今日は胡桃特製のカレーライスだよ!」
元から一緒に住んでいた胡桃は、僕のたった一人の妹で中高生に人気のモデル。何の違和感もなく、二人の同居人を受け入れてくれる。
「胡桃ちゃん。今日からお世話になるね」
「ミーちゃん。悪いけど、お世話するつもりないよ。家事は分担するから」
「はい、はーい。それいいよ、くるちゃん。私、ゴミ出しは得意だから!」
胡桃の望む通り、家事は分担することになった。ゴミ出しに得手不得手があるのかどうか、聖子さんはちょっと天然。積極的なのはうれしいけど。
「ミーちゃんは、何か得意な家事はある?」
胡桃に、環奈が首を捻りながら応える。
「んー、料理……かな」
なんてことを言うんだ!
「やめてーっ。料理は胡桃が得意だから! 美穂のイメージ、崩れるから」
「何よ、それ。まるで私が料理下手みたいじゃない!」
必死に止めるが、環奈も食い下がる。
「いやっ、下手だよね。レベルを超越してるよね!」
「ひどい。ホットケーキの撮影のとき、ちょっと間違えたからって」
「間違え方が尋常じゃないでしょ。砂糖とガラムマサラって、色、違うじゃん!」
「茶色い砂糖だってあるよ。チューブ入りのチーズってマヨネーズみたいだし」
泥沼化する僕と環奈。胡桃と聖子さんが仲裁してくれる。
「まあまあ。とりあえず、食べよう、食べよう!」
「そうだよ二人とも。お腹空いてると、イライラするし!」
と、タイミングよく環奈のお腹がグゥーッと鳴る。そういえば、環奈はライブが終わった直後だった。
「しかたないわね。本当はエプロン姿を勲君に愛でてもらいたかったのに」
そんなふうに考えてくれてたのか。
「僕もお腹空いてイライラしてたみたい。悪かったよ。ごめんなさい、美穂」
素直な環奈の前で、僕も素直になってしまう。胡桃や聖子さんも同じ。
「じゃあ、こうしましょう。ミーちゃんが盛付け・配膳係」
「それいいよ! ミーちゃん、激辛特盛、しくよろ!」
こうして、食事の時間を迎えた。
テーブルの四つの辺に四人が座る。席順は、僕から左まわりに、胡桃、環奈、聖子さん。どっちを向いても、普通以上にかわいい子ばかり。これって、いわゆる……。いや、そんな邪な気持ちは捨てるんだ、僕!
聖子さんは単なるおまけだし、胡桃は妹。僕の本命はあくまで美穂。普通の高校生活が送れれば充分じゃないか。今は環奈の姿であまあまな家庭生活を送っているけど、僕には過ぎたる幸せ。身の程をわきまえないと、破滅する!
いつも胡桃の作るカレーは、聖子さんが言うような激辛じゃない。僕好みの甘口だ。今日は甘口と激辛の二つの鍋を用意している。僕は環奈とおそろいの甘口。ちょっと盛付けがあれだけど、よそったのはもちろん環奈。
「お二人を歓迎して、僭越ながら胡桃が乾杯の音頭をとらせていただきます」
みんなの手に麦茶牛乳が行き渡る。これから、環奈との同居生活がはじまるんだという実感が湧いてくる。
「かんぱーい!」
「かんぱーい!」「かんぱーい!」「かんぱーい!」
直後。いつもなら、食事中は胡桃を鑑賞する僕だけど。
「はいっ、あーん!」
と、スプーンを差し出してくる環奈をじっと見てしまう。
「ちょっと! ミーちゃん、それはルール違反だよ!」
「くるちゃんの言う通り。順番にしよう、順番に!」
身を乗り出してくる胡桃と聖子さん。胡桃には申し訳ないが、二人の胸元には大きな差がある。鎖骨は一緒なのに。
「あら、あーんは盛付け・配膳係の務めよ。ねっ、勲君!」
やめてくれーっ。そんな上目遣い、やめてくれーっ! 『ねっ、勲君!』とか、反則級にかわいいんだから。あま過ぎるんだから。ぱくついちゃうじゃないか!
迂闊にそんなことをしたら、胡桃や聖子さんが怒る。世界中の環奈リストに飽和攻撃される。僕はどうしようもないジゴロの烙印を押され、世界から孤立。家庭不和から一家離散、はては世界大戦へと発展。それはイヤ。
ルールが必要だ。厳しいだけでなく、柔軟かつ節度をわきまえたルールが!
「あーんは、順番。日替わりってことにしよう」
平等かつ公平だ。
「ほぉーら。お兄ちゃんだってこう言ってますよ、ミーちゃん」
「それいいよ! みんなであーん。お互いにあーん。日替わりであーん係だよ!」
「しかたないわね。けど、トップバッターは譲らないわ、嫁として!」
『嫁』って! ちょっと眉を吊り上げる環奈、堪らない。
「そんなこと言ったら、胡桃だって妹だよ」
「私なんか、おまけだかんね!」
このあと『嫁』対『妹』対『おまけ』の三つ巴の闘いとなるが、今日は『嫁』の勝利に終わる。僕の皿に盛られたカレーは甘口で、環奈と同じ。胡桃や聖子さんの激辛とは違うというのが決め手だ。
「それじゃあ、改めて、いただきます」
なんてあまあまな生活。一生に一度でも、推しのアイドルにあーんされたら、人生勝ち組じゃん! しかもこれ、よく考えたら、間接キスイベントに発展するんじゃないだろうか。環奈のあーんに、顔を近付ける。スパイスが香り立つ。
「……かっ、辛い! これ、げっ、激辛じゃん!」
匂いだけでむせ返るほどだ。とても、食べようとは思えない。
「ダッ、ダメだーっ。僕にはムリ」
「何よ。私のあーんが食べれないっていうの? 勲君、おこだよ」
「そんな。胡桃の作ったカレーが不味いみたい。美味しく食べてよ、お兄ちゃん」
環奈のおこ、かわいい。胡桃があんなに慌てるの、見るのは久しぶり。けど、このカレーは僕には食べれない。聖子さんはブレない天然ぶりを発揮。
「もぐもぐもぐもぐ。うん、とっても甘くていいよ! ミーちゃん、お代わり!」
ことの真相は、配膳ミス。甘口と激辛が逆になっていたらしい。兎に角、僕と胡桃が、環奈と聖子さんが互いにお皿を交換して、辛さ問題は解決。
そんなことより、配膳ミスを聖子さんに指摘された環奈は、プライドをひどく傷つけられたらしく。
「私にエプロンは似合わないのかしら。とても、『あーん』をする気にはなれない」
と、落ち込んでしまった。これで今日の僕の『あーん』はお預け、もちろん間接キスイベントへの発展は期待できない。ばかりか、ステージ上や画面内では決して見せない、アンニュイな表情の環奈が心配だ。
「あれっ、私、ミーちゃんと間接キスしてる!」
聖子さんの天然は、僕をも落ち込ませる。
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