第20話 体育祭

 五月二十五日、土曜日。


 教室の片隅。


 今週に入り、僕は眠れる教室の美少女を鑑賞することが一度もできていない。プリントは何枚もまわした。無人の机に。さすがに周囲もザワザワする。


 美穂がずっと学校を休んでいる。先生は『体育祭には来るから安心しなさい』と言っていたが、体育祭当日の始業時刻になっても美穂の姿はない。ライナーに連絡だって、一度もない。


「宮崎君。橋本さんが失踪したからには、グランパドドゥを降りてもらうよ!」


 学級委員長が血相を変えて僕に詰め寄る。美穂の失踪に僕は無関係だけど、学級委員長の気持ちも理解できる。なんてったって、僕たちはダンスパートナー!


 美穂に言いたいことは山ほどある。何でもいいから連絡が欲しい。聖子さんのこと教えてほしい。どうして休んでいるのか知りたい。それに、こっちにだって名古屋遠征の土産ばなしの一つくらいはあるんだから!


「もう少しだけ、待ってはもらえないだろうか」

「そうも、いかないよ。分かってくれ、宮崎君」


「そんな……」

「あまり者のペアがクラスを優勝に導いてくれると期待したんだが、残念だ」


 重ねて言われればしかたない。しかたないんだ。




 カバンの中に入りっぱなしだった美穂のレジャーシートを取り出す。校庭の片隅の木陰に拡げて寝転ぶと、僕を呼ぶ声。


「人のレジャーシート、勝手に使わないで!」


 美穂の声! ギリギリ間に合ったんだ。うれしいが半分。これで一緒に踊れる! 残りは怒り。なんで連絡をしてくれなかったんだ! どちらも知られたくない僕の本当の気持ち。だから僕は、冷ややかに対応する。


「悪かったよ。半分、返すよ」

「全部、返しなさい!」


 美穂は少しばかり感情的。こっちの方が怒ってるのに!


「何だよ。一週間も預かってたんだ。ちょっとくらい使ったっていいだろう」

「今はホットケーキがないの。だから使ってほしくない!」


「そりゃそうだろうな。遅刻するくらいだもの」

「しかたないでしょう。これでも急いだのよ!」


「だったら、体育祭で優勝できないのもしかたないことだろう」

「何を言ってるの? 私がこうして出てきたのよ。優勝するに決まってるわ」


「遅いよ。グランパドドゥは、降りることになったよ」

「何ですって! そんな大事なこと、勝手に決めないで」


 学級委員長に言い寄られたあの状況で、僕にはこれ以上、美穂を待ってほしいと言えなかった。けど、もし、美穂がこんなにも真剣に優勝を狙っているのを知っていたら、間に合う時間に登校できると知っていたら、堂々と待ってと言えたかもしれない。美穂を信じることができたかもしれない。


「勝手にってことはないよ。学級委員長ともはなしたんだから」

「間に合うって言ってくれれば済んだでしょう」


「言ったさ。もう少し待ってほしいって。でも、橋本さんが遅刻したんだ」

「急に予定が入ったんだから、しかたないでしょう」


 本当のことだろう。環奈ちゃんの海外公演が発表されたのは日曜日の夜公演。そこから交通費や宿泊地を手配したとすれば、僕に直接伝えることはできなかっただろう。でも、ライナーがあるのに。繋がっているのに、どうして?


「予定が入ったんなら、ライナーしてくれればいいじゃないか」

「! あっ、そうね。そんなの、あったわね」


 なんてやつだ! ライナーを使いこなせよ! って言っても、ムリかぁ。


「何だか、心配して損したよ」

「心配? 何をそんなに心配するの?」


「事故に巻き込まれてないか、間に合うかどう。聖子さんのことも心配だった」

「そう。心配させたんなら謝るわ。ごめん、なさい」


 案外、しおらしい。


「いいよ。勝手に心配しただけだから」

「そうよ。そのおかげでグランパドドゥを降りることになったんでしょう!」


 美穂が、また強気に戻る。なんて傲慢な女王様だ! けど、今の状況は本当に美穂だけのせいだろうか? 僕に悪いところはなかったか?


 深く考えた結果、一つの結論を導き出す。


「橋本さん。学級委員長に今からでもグランパドドゥをやらせてと言ってみるよ」

「言ったところで、通るの?」


「何とかする。その代わり、聞いてほしいことがあるんだ」

「いいわ。体育祭で優勝できたら聞いてあげる」


「ありがとう。それだけ聞ければ充分。どのみち、一人でペアダンスは踊れない」

「そうよ。私たちがクラスを優勝に導くのよ」


 こうして、僕は改めて美穂と体育祭優勝を誓った。そして、学級委員長を説得しに向かった。




 学級委員長は案外あっさりしていた。


「そうだね、A4ポスターで手を打とうか。持ってるんだろう」


 名古屋でスマホを買った僕は、A4ポスターを手に入れた。壁に貼ると画鋲跡や両面テープ跡がついてしまう。だから筒型の容器に入れっぱなしだ。誰にも言ってないけど。


「どうして、それを?」

「僕のカノジョは環奈リストで、宮崎君がスマホを買い替えたのに気付いたんだ」


 なんて目敏い! あのポスターは僕の宝。手放したくはない。けど、体育祭優勝とポスターを天秤にかければ、体育祭優勝が勝る。ここまできたら、クラスメイトとの思い出が大事!


「いいだろう。ポスターは君にあげる」

「商談、成立だな! ただし、このことはみんなには内緒だぞ!」


 こうして僕は、環奈ちゃんのA4ポスターを手放す代わりに、グランパドドゥを取り戻した。




 いよいよ、応援合戦がはじまる。僕と美穂は真ん中で踊る。本番で、はじめて合わせたんだけど、何だかはじめての気がしない。美穂が上手にリードしてくれるから? いいや、違う。僕は、美穂がどうしようもなく好きなんだ。


 ダンスが終わり、クラスの全員がはけ、退場門まではキレイだった列がぐにゃりと曲がる。そのどさくさで、僕は美穂を見失う。けど、慌てることはない。裏門の前で待っていれば美穂は絶対にやって来る。自分の勘を信じて待つのみだ!




 同日、午後一時五十二分。裏門前。


 思った通り、美穂が来る。美穂は立ち止まると、バツが悪そうに一言。


「いいダンスだったわ」


 ありがたい一言だ。


「全部、師匠のおかげです。ありがとうございます!」

「こちらこそ、ありがとう。でも、まだ優勝が決まったわけじゃない」


「そうだね。優勝が決まるまでは、僕はお願いを封印するよ」

「じゃあ、どうしてこんなところまで追ってくるの?」


 言われて、隠し持っていたオレンジ色のタンブラーを美穂に差し出す。


「さっきはこれ、渡しそびれたから」

「ありがとう。うれしい。師匠は私が来るって信じてくださったんですね!」


 美穂が歩き出す。

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