第19話 リアルペアダンス

 思いっきり拍手してくれるたったひとりの観客を見たとき、思う。


 今が僕の人生のピークかもしれない。


 だって、たったひとりの観客は、環奈ちゃん。三六五日、三六〇度。いつどこから見ても完全無欠の美少女だ。


「ダンス、とてもキレッキレですね」


 お褒めの言葉をいただいた。ついに師匠には褒められなかった僕だけど、努力した甲斐がある。環奈ちゃんの服装は部屋着だけど、オフショルで、ヘソ出し。形は、胡桃や聖子さんより美穂にそっくり。って、僕は何を考えてるんだ!


 疲れて喉がカラカラのせいか、返事が裏返る。


「はひっ! ありがとうございます」


 環奈ちゃんが拍手を辞めて、笑顔で歩き出す。一歩一歩、僕に近付いてくる。うしろに手をまわし、前傾姿勢をとる。遠近法をガン無視して顔が小さいのに胸の膨らみは大きい。完全無欠の美少女は、どこを鑑賞してもドキドキする。


「私、知っていますよ。いっぱい、練習したんですね」

「はひっ!」


 環奈ちゃんが、僕のまわりをゆっくりと一周する。その距離、数十センチ。まるで、僕を三六〇度鑑賞しているよう。不可抗力で僕の手が環奈ちゃんに触れたら、僕はきっとチョコレートのようにとろけてしまうだろう。


 今度は僕の正面に立つ環奈ちゃん。その場でゆっくりと回転。ケーキをデコレーションするときに使う台に乗っているみたい。けど、今以上に過度な飾りは不要。環奈ちゃんは、充分に美しい。三六〇度、どこから見ても美少女だ。


「このナンバー、有名ですよね。ダンスも」

「はひっ!」


 環奈ちゃんが僕の右で止まる。曲の出だしの決められたポーズをとる。ツヤツヤでサラサラな長い黒髪がばさーっとなり、鮮烈な芳香を放つ。これが噂に聞く環奈フレグランス。フローラルでオーガニックな美少女の匂い! ヤバい、ヤバ過ぎる! もう、思い残すことは何もない。僕はいつ死んでもいい。


「私にも、一緒に踊らせてください」

「はひっ!」


 いいや、死んでる場合じゃないだろ! 


 僕の反応は、とても滑稽だった。声が上擦りまともに返事もできないし、微動だにできないし。自分でもキモいって思う。けど環奈ちゃんは全く気にもせず、マイペースに近付いてきて、僕をダンスに誘ってくれたんだ。心根がとても優しいのか、僕のような反応に慣れているのか、あるいは両方か。


 兎に角、自然体だった。


 融けたい。環奈ちゃんに融かされたい。けど、ずっと一緒にいたい。僕は、どうすればいいんだ。融け合うことができれば、僕にも環奈ちゃんを魅了する何かがあれば、どんなに幸せだろう。だけど、僕には何もない。


 助けを求めて胡桃を見る。胡桃はニヤリとしてスマホを操作する。


「はじまるよ」


 と、環奈ちゃん。それまでの明るくて甲高いのとは違い、とても鋭い声。環奈ちゃんの真剣な声色は、どことなく美穂にも似ている。妥協のないダンス上級者特有の反応だろうか。僕も締め直す。浮かれてばかりは、いられない!


「はいっ!」




 本当にペアダンスがはじまる。十何年も前に作られた定番のダンスは、ヒップホップ・チア・ジャズ・タンゴ・日本舞踊にオタ芸と、様々なダンスのいいとこ取りの欲張り設計。ノリがよくってリズミカル。笑顔が決め手のナンバー。


 いきなり環奈ちゃんと踊るなんて、ハードルが高過ぎる。なるべく別人だと思って踊る。たとえば、美穂とか。ずっと踊りたいって思っていたんだから。


 それでも、ときどき香る環奈フレグランスが今のダンスパートナーは美穂でないことを示す。あぁ、環奈ちゃんはなんと芳しい。これが現実。想像よりもハッピーな現実だ。ずっとこのままでいたい。


 高揚が僕を支配し、冷静ではいられない。それでも、美穂から教わった動きを思い出し、丁寧かつ正確に踊る。序盤パートは無難にこなすのが精一杯だった。


 迎えた中盤の山場、僕は美穂に何度もダメ出しされたのを思い出す。




『音をよく聞ききなさい』

『もっと情熱的に』

『一歩目から大きく、シャープに動く』




 無理な要求ばかり。けど、何度も練習をした。何度も諦めかけて、何度も罵声を浴びた。また立ち直っては挫折した。苦しい戦いだったんだ。乗り越えられたかどうか分からないけど、今は自信を持って踊るしかない! 身体は自然に動く。曲がよく聴こえる。環奈ちゃんの動きが、手に取るように分かる。代わりに環奈フレグランスがしなくなる。


 ゆっくりと足を下げる。環奈ちゃんの足が遅れて床に着く音を聞く。逃さずに切り返す。一歩目から大きく、シャープ! 美穂に何度も叱られたパートを、上手く踊ることができた。そして、終盤の大技も決めたんだ!


 環奈ちゃんは満足げ。


「見ていたときより、キレッキレでした」

「あっ、ありがとうございます」


 また、褒められた。うれしい。


「ダンス、昔からされてるんですか?」

「いいえ。いい師匠に巡り会えたんです!」


 僕は胸を張る。


「そこは『パートナーが優秀だからです』とか、言われると思ってました」


 しまった! 環奈ちゃんの言う通り。ペアダンスは一人で踊るものではない。パートナーあってのもの。上手く踊れたら、パートナーを褒めるのがマナー。なのに僕は、環奈ちゃんの言葉をそのまま解釈してしまった。


 環奈ちゃん、笑ってるけどマナー違反に気を悪くしただろうか。


「もちろん、優秀な環奈さんに引っ張っていただきました。けど、僕がこれだけ踊れたのは、師匠のおかげなのも事実です。あーっ、でも、やっぱり、本当に、絶対、環奈さんあっての今のダンスだったと思います、です、はい」


「そうですか。今の勲さんのお姿を見た師匠さん、きっと笑い転げるでしょうね」


 言っている環奈ちゃんが、一番笑っていた。僕には笑えない。




 空気が変わる。


「改めまして、中山環奈と申します。今日は撮影、よろしくお願いします」

「宮崎勲。胡桃の兄で専属カメラマン。こちらこそよろしくお願いします」


 手を握り合う。撮影にかける環奈ちゃんの想いが伝わってくるようだ。


「私って、料理が下手なイメージがあるんです。今日で払拭したいです!」


 子役時代に『ひとりじゃムリだもん』という番組で料理下手を演じたのが元ネタだが、単なる噂じゃないことは胡桃から聞いている。


「胡桃は、昨日のパンケーキは美味しかったって言ってましたよ」

「いやだぁ。それじゃあ、前のやつは不味かったみたいですね!」


「あー、いや。そーじゃなくって……胡桃はパンケーキ作りが好きなんです」

「はい。私の師匠ですから!」


 力強い一言だ。環奈ちゃんが続ける。


「けど、よかったです。最初は心配でした。かなり緊張していたので」

「あははは、環奈さんに会えると思って眠れないくらいに緊張してますよ」


 次の環奈ちゃんの一言で思い知る。環奈ちゃんが僕なんかとペアダンスを踊ったのは、撮影を成功させるため。カメラマンである僕をリラックスさせるためなんだ。環奈ちゃんのプロ意識がなせるワザだ。


「本当ですよ。撮影に支障をきたすレベルでしたもの。いい仕事を期待します!」


 僕に期待されているのはカメラマンとしての腕。友達になるとか、出会いがどうとか、次につなげるとかじゃない。A4ポスターにサインを求めるなんてもってのほか。それが分かったから、必死にはたらいた。

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