第17話 セーちゃん

 同日、夜の十一時過ぎ。


 環奈ちゃんに会える、環奈ちゃんに会える、環奈ちゃんに会える! 動画撮影の現場で、環奈ちゃんに会える!


 興奮して眠れない。緊張してお目目はぱっちりだ。ベッドにいてもしかたがないので胡桃をおいて部屋を出る。エレベーターに乗り、十八階で降りる。


「あっ、勲くーん!」


 しまった。十八階には厄介なのがいるのを忘れてた。厄介だけど、ナイス美少女。手を振る美少女だ。鑑賞するのみがちょうどいい。ここは手短に!


「こんばんは、町田さん」

「今日ぶりだね!」


「はい、そうですね。それでは……」


 これにて失礼します。と、言う前に、聖子さんが僕を遮る。


「……お出迎え? ミーちゃんのお出迎え?」


 興味津々そうな顔つきだ。鼻の穴がぷくりと膨れている。


「違いますよ。ちょっと寝付けなくって、出てきただけです」

「ははーん。さては逃した魚の大きさに、今頃になって気付いたの」


 言いながら胸を強調してくる。魚ではないが確かに大きい!




 今日の昼、僕と聖子さんはラブ・ホテルに入った。聖子さんが熱射病になってしまったから、しかたなく。そしたら、何となくラブ・ホテルですることをする流れになってしまったんだ。


「お風呂、入ってくーるね」


 言いながら、最後の布切れを脱ぎ捨てようとしていた。


「ちょっと、待ってください!」

「何で? お風呂に入っちゃいけませんか?」


「いけませんに決まってるでしょう!」

「えっ、でも。ここって、そういうところでしょう」


「たしかに、そうなんですけど、いけません」

「どうしてよ。ミーちゃんのパートナーなら、私のパートナーでもあるんだから」


 何と! 二人がこれほど深い絆で結ばれているとは思わなかった。


「そのミーちゃんとだって、こんなこと、してませんって!」

「ウソ。まだだったの? それじゃあシェアにならないね」


 シェアって! 


「まだも何も、僕たちまだ高校二年生ですから!」

「そうだね。私は、順番はどうでもいいけど、勲くんがまだって言うなら待つよ」


 こうして、僕たちは何もせずに、ラブ・ホテルをあとにしたんだ。たしかに、逃がした魚は大きいのかもしれない。僕がほんの少し非常識だったら、学級委員長のように卒業できたんだ。




 だからといって、聖子さんと何もなかったことを後悔してはいない。


「違いますよ、本当に!」

「そういう誠実なところだね、ミーちゃんが勲くんをパートナーって呼ぶのは」


 パートナー? そういえばラブ・ホテルでも言ってた。けど、それこそが聖子さんの勘違いの引き金。ちゃんと訂正すれば、おかしな誘惑をされずにすむだろう。僕と美穂は恋愛的に無関係だって伝えないと。


「パートナーっていうのは、ダンスパートナーのことですよ」


 僕は、美穂との関係を正確かつ丁寧に説明した。


「というわけだから、お互いあまり者のダンスパートナーってわけなんです」


 これで僕と美穂が恋愛的に無関係だって信じてもらえるだろう。


「じゃあ勲くんってば、あのミーちゃんと踊ったの?」

「それは、まだですけど」


「そうなんだ。やっぱり恋人同士じゃないですか」

「恋人同士って! 何でそうなるんですか!」


 かなり喰い気味にツッコミを入れてしまう。


「あのミーちゃんが踊ってもない人をダンスパートナーって呼んだんだよ」


 あのミーちゃん? どういうこと? 何も分かってもらえてないのだけはたしか。どうしたら分かってもらえるかが分からないんだ。




 と、地上からのエレベーターが到着する。ひとり降りてきたのは美穂だった。僕たちに気付いて寄ってくる。


「あら? フロントっていっても前に出過ぎじゃない?」

「ミーちゃん。お疲れーっ! パートナーのお相手をしてたんだよ」


「それ、辞めてって言ってるでしょう」

「どうして? 最初にパートナーって言ったの、ミーちゃんだよね」


「ダンスパートナーって、言い直したでしょう!」

「でも、言霊っていうのがあるんだよ、きっと」


 どこかで聞いたことのある件だ。


「知らない。それより、荷物を運んでちょうだい。仕事でしょう」

「はーい。人使いがあらいんだから」


 悪態をつきながらも、笑顔の聖子さん。最後はあからさまにニヤリとする。


「あとは若いお二人にお任せしましょうか」


 若? お任せ?


「余計な気、まわさなくっていいから」

「お部屋のクーラーはまわしとく?」


「それは、お願い。ついでにバスルームのお湯張りも」

「じゃあ、十分後ってことで」


 聖子さんが行ってしまう。残された若い僕たちを長い沈黙が支配した。




 何か言わなきゃと思えば思うほど、何を言えばいいのか分からない。お互い様のようで、美穂もだんまり。共通の話題といえば、体育祭のこと、環奈リストのこと、聖子さんのこと。けど、聖子さんがこの場を去ってしばらく経つ今となっては、聖子さんのことははなし辛い。


「シークレッ……」「麦茶牛……チッ」


 被った。舌打ち、怖い。女王様、怖い。眠ってるときはあんなに癒しなのに。


「先によろしいですか、師匠?」

「どっ、どうぞ」


 気圧された。


「まずは、麦茶牛乳、ありがとうございます。あと、セーちゃんのことも」

「あはははは。倒れそうになったときは、どうしようかと思ったよ」


「それで、ラブ・ホテルに連れ込んだんだ」


 そんなことまで知ってるんだ! 美穂と聖子さんの仲良しは伊達じゃない。


「いやっ、それは不可抗力で」

「へー」


「焦ってしまって」

「へー」


「何にもなかったし」

「へー」


「本当だって!」

「信じるわ。セーちゃんが私にウソをつくことはないだろうし」


 妙な自信だ。


「そういえば、セーちゃんなんて気軽に呼んでるけど、どういう関係?」

「どういうって、私が親代わり? みたいな」


「橋本さん、歳下だよね」

「歳は関係ないでしょう」


「あると思うけど。それより、町田聖子って、元、子役だよね」

「あら、知ってるんだ」


「知ってるも何も、映画『ホテル少女』で手を振るシーンが大好きだったんだ」


 そう言ったとき、ドサッという鈍い音がした。音の方を見ると、聖子さんが膝から崩れていた。大粒の涙が滝のように流れ落ちている。


「セーちゃん、セーちゃん。しっかりして!」


 何が起こっているのか、僕には分からなかった。

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