第16話 専属カメラマン
同日、午後四時。件のヴィラの正門前。
胡桃と合流する。表情は明るく、興奮気味。胡桃が「あっ、お兄ちゃん!」と言いながら駆け寄ってくる。表情は意外と明るい。この時点で悪いはなしでなかったと確信するが、念には念を!
「胡桃、どうだった? 酷いこと、されなかった?」
「大丈夫だよ」
「そうか。よかった」
「うん。お兄ちゃん、胡桃にも弟子ができたんだ」
「へ? どういうこと?」
「分からないかなぁ。環奈ちゃんだよ」
「それは大物だな!」
「うん。いつどこから見ても正真正銘の美少女様が、胡桃の弟子なんだ」
「何の弟子?」
「パンケーキだよ!」
環奈ちゃんは、先日のパンケーキが失敗作であると気付き、上手になるための師匠を求めたらしい。そんなときに目に留まったのが僕の撮った胡桃の写真。ふわふわのパンケーキにかぶりついてVサインをする胡桃だ。胡桃がパンケーキを完食して感想を述べたことも思い出し、声をかけることにしたらしい。
「なるほど。それなら胡桃はいい師匠になれるね!」
「もちのろん。胡桃の知る技の全てを環奈ちゃんに伝授したよ」
「そこは『パンケーキ作るから、兄もいるけど家に来ませんか? 作戦』では?」
「長いって、却下したのお兄ちゃんだよね! 麦茶牛乳のとき」
「たしかに」
「でも、不思議。環奈ちゃんはマヨネーズのウラ技を知ってたんだ」
「ふわふわにするために僕が生み出したウラ技を、どうして?」
「それが分からないから、不思議なんだよ」
本当に、不思議だ。けど、ネットのどこかに隠し味にマヨネーズなんて情報は、あってもおかしくない。
そのあとも胡桃はずっと明るく環奈ちゃんとのひとときをはなしてくれた。パンケーキの名店のはなしや、作る際の火加減のはなし、ひっくり返すタイミングの見極め方、果ては保存方法まで、あらゆることをはなしたらしい。
「お兄ちゃんのこともはなしたよ」
「なんで! なんて?」
「近々、体育祭があり応援合戦を頑張ってるとか、マッサージさせられたとか」
「あれは相互関係じゃん!」
僕だって胡桃にマッサージしたよね。
「まだまだ。おしゃれに無頓着過ぎて、ランドセルで中学に通ってたとか」
「最近のランドセルはモノがいいんだ。六年で捨てるのはもったいないんだ」
「あと、シースルーの観覧車にビビってたとか」
「やっ、やめてーっ!」
「SPAにスマホを忘れたりするうっかり屋さんだってことも」
「あーあ」
「環奈ちゃん、苦笑いしてたよ」
「で、でしょうねぇ」
余計なことを言われた。完璧な環奈ちゃん、ビビりでうっかり屋さんじゃ嫌われる。出会う前から好感度がバク下がりだ。
「でもね、ちゃんとフォローしといたよ」
「胡桃、偉いぞ。さすがは僕の妹だ。で、何て言ったんだ?」
「麦茶牛乳を作るのが天才的!」
「おいおい。それ、フォローになってないって」
環奈ちゃんにはカレシか思い人が作ってくれるんだから。
「あと、私がそばにいて欲しいときには必ずそばにいてくれる人だって!」
「大袈裟だなぁ」
「そうかな。ここまで付いてきてくれたこともデートしてくれたこともはなした」
「そそ、そんなことまで!」
「環奈ちゃんに大ウケだったよ」
「ウケるようなことじゃないだろう」
「それが『ビビりでもうっかり屋さんでも誠実な人は好感が持てる』だって」
好感という言葉が救いだった。それに。
「胡桃が楽しそうでよかった」
「そうだ。お兄ちゃん、楽しいついでに寄り道したい」
「いいな。どこへ行こうか」
「限定キャベツジャムを買いたい」
「キャベツジャム? 味が想像できないな」
「キャベツは愛知県の名産品だからでしょう。モールの地下街にあるらしいの」
「モールの地下街? 実は、さっき行ったんだ」
胡桃を待っている間のことだ。
「どうして?」
「麦茶がないかなーと思って」
「どうして?」
「言いそびれてたけど、ホテルで橋本さんに会ったんだ」
隠し立てせず正直に言う。
「どうして、橋本先輩が名古屋にいるの?」
「環奈ちゃんのイベントに参戦したんだって」
「ふーん。それで麦茶牛乳」
「まあな。一応、専属ソムリエみたいなものだからな。はははっ」
胡桃がしばらく考え込んでから言う。
「ねぇ、お兄ちゃん。結局はどっちを選ぶの?」
「どっちって? 本当に美穂とは何もないんだって!」
聖子さんとのことの方が疑われるだろうから、言い出せない。
「じゃあ、環奈ちゃんで決まりってことね」
「何言ってんのさ。出会うのさえまだなのに」
「明日、出会えばいいじゃん!」
「言うだけなら簡単だよ」
「実はね、パンケーキを作る動画を撮影しようって流れになったんだ」
「いいな、それ」
「けど、胡桃は摂食シーンの撮影は専属カメラマンにお願いしてるって言ったの」
「そんな人がいるのか。モデル業も大変だな」
「お兄ちゃんのことだよ!」
「僕が? いつから?」
「今日でも昨日でもいい。小学生のころからだって」
「そんな大ウソ、ついていいものなのか!」
「全部大ウソってことはないよ。実際、摂食シーンの仕事なんてないし」
「だよな。みんな、胡桃の本当の魅力に気付いていないんだ」
胡桃は、もの食う美少女なんだ。
「兎に角、明日は午前十時から。撮影、しくよろ!」
完全に押し切られた。
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