第15話 ホテル

 胡桃と環奈ちゃんの面会は四時間の予定。間があるのでホテルに戻る。


「あっ、ミーちゃんのパートナーさん!」


 と、見覚えのある女性の声。ホテルの制服姿よりセクシーな私服姿だ。僕に思いっきり手を振ってる。上ではなく前へ突き出すスタイル。


 それで思い出した。この人、惜しまれつつ早期に引退した、元子役。僕より二つ年上の十九歳で、名前は町田聖子。手を振る美少女だ。


 そんな聖子さんとはなすのは、とても緊張する。油断すると胸元に視線が向かってしまう。美少女とおしゃべりしてもいいことなんかないに決まってる。なるべく早く、ここを離れよう。


「はは、はい。なっ、なんでしょうか?」

「待ってたんだよ。ミーちゃんが、これを渡しといてって言うから」


 受け取ったのはタンブラー。それでミーちゃんの正体が分かった。この上品なオレンジ色は、美穂に違いない。


「麦茶牛乳を作れと」

「すごい! よく分かったね」


「麦茶と牛乳、お好みで砂糖を加えて混ぜるだけですよ」

「ミーちゃんは難しいって言ってたけど、そう聞くと私にもできそう」


「やってみてください。それでは……」


 これにて失礼します。と、言う前に、聖子さんが僕を遮る。


「……買ってきてあげよっか?」

「えっ? あっ、いや、その。今、なんて言いました?」


 聞き間違えかと思った。


「だからーっ、麦茶と牛乳、私が買ってきてあげるって」

「いっ、いいですよ。そんなの申し訳ないです。自分で買いますから」


 これ以上、聖子さんと一緒にいると、緊張して頭がおかしくなりそうだ。


「じゃあ、決まり。一緒に買いに行こう!」


 なんでそうなる? 美少女は鑑賞するためにのみ存在する。決して会話したり、仲よくなるためではない。ましてや、腕に絡めるためではないんだ。


 そんな僕の矜持を無視して、聖子さんが僕の腕に絡み付く。温もりを感じる。


「こう見えて私、一見さんお断りの麦茶ショップの常連なんだよ!」


 ウソーん。


 そんな店が成立してしまうなんて、名古屋ってすごい。どんな店か、めっちゃ気になる。気になるけど、聖子さんとは、なるはやで別れるべき。一緒に行動するのはキケン! 僕の身体が保つかどうか。でも、気になる。


「そっ、それじゃあ、案内してもらってもいいですか」

「うん。えっと……」


「宮崎勲です」

「私は町田聖子。よろしくね、勲くん!」


 馴れ馴れしいとは思っていたが、まさか名前で呼ばれるとは思ってなかった。陽気のせいか、とても熱い。




 麦茶ショップは天国だ! 黄金の麦茶に、麦茶色の麦茶。渋目から甘目まで各種取り揃えている。一見さんお断りも納得だ。僕は普通の麦茶をチョイス。ホテルに戻ることにする。


「暑いね、勲くん」


 人の右腕に抱きついておいて何て言う。おまけにときどき体重をかけてくるから困る。胸の柔らかさが、直に伝わってくるんだ。


「そうですね。少し離れたらどうですか?」

「そうじゃ、ないよ、勲くん。麦茶、飲ませて、よ」


「飲んじゃダメでしょう。麦茶牛乳作るんですから」

「ちょっとくらいなら、いいでしょう。道にも、迷ったし……暑いし」


 今、何て?


「本当ですか、町田さん」

「うん……めっちゃ……暑い」


「そこじゃなくって、道に迷ったって!」

「こんな……薄暗い……路地……今まで……通った……覚えが……ない……んだ」


 たしかに薄暗。それでいて熱気がむんむん。僕はそっと立ち止まる。地図で確かめるために、左手でスマホを取り出すが、操作までは難しい。右手に持ち帰るとき、手を滑らせてしまい、誤ってカメラが起動。聖子さんの立派な胸が下から写される。服を着ていても分かる大きさだ。


「いや……だ、勲くんっ……たら。エッ……チ」

「町田さんがいけないんですよ。ずっと僕の腕にしがみついてるから!」


 人のせいにするなんて、我ながら格好悪い。


「ごめ……ん……徹夜……明けで……眠いの……よ」


 勝手な人だ。これだから美少女はキライなんだ。


「シャワー……浴び……て……スッキリ……した……い」


 勝手な人だ。


 カメラを閉じ、地図を確認。ホテルまでの経路を検索。次の角を右に曲がれば直ぐにホテルだ。


「そこを右に曲がれば、かなり近いですよ」

「勲……くんっ……て、スマホの……達……人?」


 右に曲がる。路地さらに細く薄暗くなる。


「普通です」

「そう……なんだ……勲くん……私……普通に……ヤバい……か……も」


 体重をかけられることが多くなる。ヤバいのはこっちだ。


「ヤバいって?」


 言いながら振り向くと、聖子さんの顔が近い! 近くて熱い! ん、熱い? 熱いのは僕じゃなくって、聖子さんだ。


「町田さん? 町田さん!」


 ぬかった。全く気付かなかった。聖子さん、かなり熱っぽい。熱射病じゃないだろうか。倒れそうなのをギリギリ支えているが、これ以上は歩かすわけにはいかない。引き摺るのもよくない。


 水分を与えないと! どこかで休ませてあげないと! 身体を冷やしてあげないと! 僕は咄嗟に聖子さんを負ぶって、手近なところに入った。




 聖子さんを横にならす。美穂には悪いが、今はこれしかないし、少しくらいなら問題ないだろう。麦茶を聖子さんに与える。


「これ……ただの……麦茶じゃん……麦茶……牛乳が……いい」


 勝手な人だ。けど、叶えてあげられないことではない。


「分かったよ。今、作るから待ってて」


 胡桃と行った神社で塩をいただいたのを思い出し、麦茶牛乳に入れる。魔除けの塩だけど、病魔という言葉があるくらいだ。熱射病には塩分補充が効果的というのも聞いたことがある。今、使わないでどうする!


 塩入特製麦茶牛乳を持っていく。


「お待た、せって! 町田さん、なんて格好を!」


 パンツ一丁だ。服を脱ぎ、ブラジャーの前についたホックを外している。


「熱いし……締め付けられて……苦しいから……脱いだの」

「そっ、そうですよね。気付かなくってごめんなさい」


 目を瞑り、さらに目を逸らす。これだけしても残像が浮かんでくる。美しいものにはそれだけの引力があるんだ。手が重なり、コップが持っていかれる。『ゴクッ、ゴクッ、ぷはぁ』という豪快な声を聞く。


「ありがとう。なんか、塩っぱいね。でも美味しい」


 うれしい。自然と顔が綻ぶと、背中に残る負ぶっていたときの感触がうずく。数枚の布を挟んで、今、僕の目の前にあるたわわなお肉が乗っかっていたんだ。必死だったから味わえなかったけど、かなりのものだと思う。もう二度と味わえないだろうけど、目を開ければ直に拝むことができる。どうしよう、どうしよう。この状況で、僕はどうするのが正解なんだ?


「よしっ、回復、回復! 勲くんの麦茶牛乳のおかげだね」


 だって、僕たちがいるこの場所は、いわゆる、ラブ・ホテルなんだもの。


「お風呂、入ってくーるね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る