第12話 呼び出し

 その日の夜、九時ごろ。


 制服のまま自宅のリビングで寛ぎながら、環奈ちゃんのことを考える。件のスマホの販売数が国内一千万を突破したとか、今日からの三日間は名古屋でサプライズイベントが行われるとか、テレビは環奈ちゃん情報で溢れかえっている。


 ネットを観れば、輝かしい功績に混じってブラックな噂もある。環奈ちゃんは何人もの芸能人を芸能界から追放していて、映画『ホテル少女』や『幸せ喫茶へようこそ』などで共演した子役が犠牲者と言われている。


 そんなときは決まって環奈ちゃんは豪華な接待をするらしい。通称、最後の晩餐。新幹線ならグリーン車、飛行機ならファーストクラスという具合。ただし宿泊先だけは別で、豪華さでは環奈ちゃんの宿泊先より数段劣るホテルの一室があてがわれる。そして、自分の宿泊先で会い、断罪、追放するとか。


 そんなどうでもいい噂を読み漁っている本当の理由は美穂。ライナーでの連絡さえない。かといって、こっちから連絡するのもアレだしな。




 ライナーが音を立てる。すかさずチェック。「なんだ、胡桃か」と、独り言。数日前まで、ライナーといえば胡桃だけだったのに、いつの間にか美穂からではないかと期待するようになった。


 深いため息のあと、ライナーを立ち上げる。音声通話モードだ。胡桃がビデオ通話じゃないのは珍しい。かなり慌てている証拠。イヤな胸騒ぎを隠して、あえてのんびりと応じる。


「どうしたんだ、胡桃?」

「どうしたじゃないよ、お兄ちゃん!」


「じゃあ、いかがいたした?」

「もう、遊んでる暇、ないんだからっ!」


 心細げに、声を震わせている。胡桃が何かに怯えているのは明らかだ。


「胡桃、落ち着くんだ。何があったんだ?」

「名古屋に行かなくちゃいけないの」


「何でまた?」

「呼ばれたの。二泊、直ぐ来るようにだって」


「? 誰に?」

「分からないの? 環奈ちゃんにだよ。中山環奈! 三日だよ。名古屋だよ」


 環奈ちゃんに呼ばれて急遽、二泊三日で名古屋に行くことになった。


 そう言えばいいのに混乱からか、支離滅裂になっている。イベントのスケジュール的に環奈ちゃんが名古屋にいるのは間違いない。


 胡桃の声の震えが一段と大きくなる。昨日はID交換を断られ、不味いパンケーキを食べさせられ、存在をほとんど認知されていないことが分かった。環奈ちゃんに格の違いを見せつけられたんだ。


 そして今日、名古屋の地に呼び出された。最後の晩餐の噂が僕の頭を過ぎる。


「環奈ちゃんとは、ID交換してないんだろう」

「胡桃のマネジを通して連絡があった。お兄ちゃんが一緒でもいいって」


 事務所が動いたってことは、おおごとだ。胡桃、どんな粗相をしでかしたんだ? 今は確かめようがない。


「分かった。どうすればいい?」


 胸騒ぎを抑えて、胡桃の言う通りに行動した。五分で荷物をまとめ、二分で火の元の確認、制服のまま家を出て最寄り駅まで三分で走る。地下鉄東西線に飛び乗って大手町駅から歩く。走っては迷惑だから、帰宅部員として鍛えた競歩的な歩き方だ。そうして東京駅は八重洲北口に到着したのが午後九時五十四分。


 付近に胡桃を探す。


「お兄ちゃん、遅いよ!」


 と、一瞬早く僕を見つけ、声を出す胡桃。思わず走り寄る。胡桃の頭を撫でて、手荷物を預かる。


「胡桃、もう心配ないからな」

「午後十時ちょうど発の、のぞみ四九九号」


「分かったよ。行こう!」


 胡桃から切符をあずかり、ホームへ行き、のぞみ号に乗り込んだ。


 新幹線が動き出す。座った心地がしない。ふかふかな座席を楽しんでいる余裕は全くない。胡桃の声はまだ震えている。


「なんで、グリーン車なの? お兄ちゃん」

「中山環奈ともなると、それが普通のことなんじゃないか」


「普通なわけないよ。胡桃はきっと、芸能界から追放されるんだわ」

「違うだろう。急に胡桃の顔が見たくなった、とかじゃない?」


「そんなの、鏡を見る方がよっぽど美しいものが観れる。何で私なの?」

「さぁ、何でだろうね」


 新幹線が品川駅を出るころには、胡桃は靴を脱ぎ、座席の上で体育座りをはじめた。くるみーごが観たら幻滅するだろう。


 手持ち無沙汰に胡桃から預かった封筒を覗く。新幹線の切符の他に、宿泊券が入っている。ホテルの名前をスマホでチェック。


「見ろよ、胡桃。すごいホテルだぞ。ラグジュアリーってやつだ」


 自然にテンションが上がるレベルの豪華さだ。ひょろりと覗き込んでくる胡桃も顔が明るくなるが束の間、直ぐに元より暗い顔になる。励ましの言葉を探す。


「こんなすごいホテルを用意してくれるんだ。悪いはなしじゃないだろう」

「これくらいが普通のことなんじゃないの。さっきお兄ちゃんが言ったように」


 違いない。励ますつもりで言ったのに、かえって落ち込ませてしまった。何か理由を捻り出す。


「新幹線と違い、嫌いな人のためにわざわざ同じホテルに部屋は取らないだろ」

「そうらしいね」


「胡桃、まさかネットの噂を信じてるのか?」

「信じてないけど、普通に気になるよ」


「たとえ噂が本当だとしても大丈夫。ここよりグレードの高いホテルはないよ」

「本当?」


「ない! どの記事を見ても、ここがホテルランキング一位だよ」

「じゃあ、普通に環奈ちゃんも泊まるよね。最後の晩餐じゃないのかな!」


 同じホテルであれば、少なくとも噂とは違うことになる。


 胡桃のお腹がグゥーッと鳴る。元気になって腸が活発になったようだ。


「何も食べてないのか?」

「うん。全然、食欲がなくって」


「じゃあ、アイスクリームは僕が一人で食べるかな」

「ずるいよ、お兄ちゃん。胡桃も食べる」


 結局、胡桃はアイスクリームの他、スナック菓子やサンドイッチを平らげた。悪いはなしじゃないと、必死に思い込んでいたんだろう。




 名古屋駅で降り、ホテルにチェックイン。フロントの女性には見覚えがある。見た目は美人で若く、自己主張の激しい胸の持ち主でもある。さすが、名古屋で一番のホテル。従業員のレベルも高い!


 でも、どこでお会いしてるのか? こんな美人の知り合い、いたっけ? 他人の空似ってこともあるかもしれないけど、フロントさんは至ってフレンドリー。


「二泊の割に、荷物が少ないね」

「はっ、はい。急に決まったもので」


 緊張して、しどろもどろになる。


「あー、そういうことか!」


 どういうことでしょう? 聞きたいけど、呂律がまわらないから自重する。




 胡桃と二人でエントランス、エレベーター、廊下でさえ豪華な空間を抜ける。カードキーで用意された部屋へと入る。ベッドやテレビ、調度品も豪華。電動のブラインドを上げれば、眼下に名古屋の夜景を一望できる。一生に一度、宿泊できれば人生勝ち組と思わせる佇まいだ。


 こんな素晴らしい部屋を用意してくれたんだから悪いはなしじゃないに決まっているという、僕たち兄妹の淡い期待を裏切るように、弧を描いて並べられたソファーの中心にあるシックなテーブルの上には、一通の手紙が置かれていた。

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