第7話 ネガティブな感情

 同日、昼下がり。


 結局、僕も胡桃も全国の環奈リストも、環奈ちゃんの水着姿を拝むことはできなかった。部屋着なのをツッコむ十日市場アナに、環奈ちゃんは恥ずかしそうに『ひょんなことから水着に対してネガティブな感情が芽生えてしまいました』と弁明していた。


 環奈ちゃんにその気がないなら諦めるしかない。それが正しい環奈リストの生き方だ! けど、匿名型SNSは大騒ぎ。ひょんなことって何? 誰が環奈ちゃんにネガティブな感情を芽生えさせたの? と、犯人探しだ。見つけ出してしばくとか、過激な意見が大半を占める。僕だって一発ガツンとお見舞いしてあげたいけど、発言は控える。


 しばらくして、スマホがなる。ライナーということは美穂。音声通話だ。


『なんで私が宮崎君の水着姿を見なきゃいけないの。』


 開口一番が、これだ。やるせない気持ちを必死に抑える。


『橋本さんだって、水着姿だったじゃないか』

『それには理由があるのよ』


 分かる。理由が分かったから、僕は水着になったんだ。


『水着だと、筋肉の動きが分かり易い、とか?』

『分かってるなら、なんで宮崎君まで水着になるの。ネガティブになるでしょう』


 分かってるのが分かったなら、引いてくれればいいのに。美穂は絶対に引こうとしない。女王様気質もいいところだ。眠っている姿はあんなに穏やかで癒されるのに、はなすとキツい。ブータレて言う。


『橋本さんが指導し易いかと思ったんだ』

『あら、私だったら服を着てたって筋肉の動きが分かるわよ』


 ダンサーとしての格の違いってやつか。美穂のダンス動画を観れば、力量差は歴然。こうなったら僕が引くしかない。


『分かったよ。直ぐに服を着させていただきます』

『分かればよろしい!』


 なんだってんだ! 釈然としない。


『で、僕のダンスは何点でしょうか、師匠』

『二点ってとこね』


『それは何点満点でしょうか?』


 恐る恐る聞く。三点か、五点満点だったらまずまずと言える。十点満点とか言われたら、さすがに悲し過ぎる。あと八点なんて、取れる気がしない。


『百点満点よ』

『先が長いな……』


 あと、九十八点。想像を絶する。


『安心して。協力すると言ったからには、できるようになるまで付き合うわ』


 そりゃ、どーも。


『なぁ、ダンス練はビデオ通話にした方がいいんじゃないのか?』

『なるほど。やり方なら、私、分かるわよ。さっきも使ったし』


 普通、分かる。ツッコむ気がなくなるくらい、弾んだ明るい声をしている。自分で使えるのが、そんなにうれしいんだろうか。相手は誰だろうなんて余計なことまで考えてしまう。


『着替えたりするから十分後でいい?』

『そんなに時間がかかるものなの?』


 そうではない。ビデオ通話に切り替えるなら、美穂だって着替えやメイクが必要かもしれないと思ったんだ。はっきり言えないから、適当な言い訳をする。


『まぁ。あと、麦茶牛乳を飲むんだ』

『むっ、麦茶牛乳! 私も飲みたい』


 妙にテンションが上がる。食いつき方が半端ない。ポジティブな気持ちになってくれたんならうれしい。


『好きなのか? 麦茶牛乳』

『以前もはなした朝に会った子にもらって飲んだの。一発で好きになったわ』


 出た、謎の朝活。そのおかげで僕は眠れる教室の美少女に会えるのかもしれない。授業前後もぐっすりだもの。


『じゃあ、お互い着替えて麦茶牛乳飲んだあとに集合』

『待って。私、材料が分からない。作り方も』


 とんだ箱入りだ。


『今度、学校に作って持ってってあげるよ』

『いや。今、直ぐに飲みたいの』


『今、直ぐ、届けろと?』

『それはムリでしょ。私、今、九州なの』


 たしかに無理だ。


『旅行中だろ。作れるの?』

『それなら平気。キッチンならあるし』


 美穂、麦茶牛乳作るのに、テーブルがあれば充分だぞ、とは言えない。滞在型の旅行中にもダンス練に付き合ってくれるんだから、むしろ感謝しないと。


『材料は麦茶と牛乳。あと、お好みで砂糖』

『まんまね。で、作り方は?』


 混ぜるだけ。それを伝えるのに、ある方法を思いつく。


『だったら、ビデオ通話で実演するよ』

『えぇ。そうしましょう』


『じゃあ、五分後』

『二十分。料理するとなれば、いろいろと準備があるから』


 料理というほどじゃなのは兎に角、こうして僕たちは二十分後にビデオ通話で再開することになった。




 水着の上からTシャツとジャージを着る。麦茶と牛乳と砂糖を用意する。二十分はちょっと長かった。暇なので匿名型SNSを開く。誰がネガティブな気持ちにさせたか、環奈ちゃんの話題でもちきりだ。


 まっ、そのうち水着姿を拝めるだろう。気長に待とう。


 そんなどうしようもない気持ちでライナーを立ち上げる。スマホに映し出されたのは、広々としたアイランドキッチン。全体的に白と木目を基調としたデザインの空間だ。はて、どこかで見たような気がする。


 作業台に乗っているのは麦茶と牛乳とシュガーポット。美穂が立っているのだが。その格好が、ちょっと、エロい。


 そばかすはいつも通りだし、黒縁メガネもそのまま。相変わらず髪にツヤはないけど、いつもと違うのは結われていること。サイドに流した三つ編みだ。あと、エプロン。その下は……。

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