第3話 美穂とライナー

 四月二十四日、水曜日。始業三分前。


 教室の片隅に声が響く。 


「宮崎君、スマホを出しなさい」


 高圧的に迫ってくるのは美穂、眠れる教室の美少女だ。女王様の素質は充分だが、右手に持っているのはムチではなくて高機能スマホ。今日発売の、環奈ちゃんがCMをしているモデルだ。カラーはオレンジ。


 高機能スマホなんて、僕には不要。最低限のコミュニケーションが取れれば充分。今のスマホだって使いこなせてない。高機能スマホを必要とするほど充実した私生活をおくってない。今、欲しいのは、おまけのポスターだけ!


 言われるままにスマホを内ポケットから取り出しながら言う。


「僕のスマホ、転売しても大した額にはならないよ」

「カツアゲなんかしないから。今直ぐ、ライナーをインストールしなさい」


 ライナーというのは、人気のモバイルメッセンジャーアプリ。ユーザー同士で音声通話やビデオ通話、画像や動画のシェアもできる優れもの。高校生ならみんな持っている。インストールしろと言われたのはこれがはじめて。


「持ってるよ」

「本当に?」


 すごい驚きようだ。そんなに世間ズレした男に見えるだろうか。冴えない者同士、ディスりあってもしょうがないのに。


「IDもある」

「宮崎君って、思ったより社交的なのね」


 放っといてくれ。ライナーなんて、高校生なら誰でも持っている。僕だって高校生。IDを持っているだけでは、社交的かどうかの目安にはならない。僕の場合、胡桃のIDを持っているのが自慢ポイントだ。環奈ちゃんのIDとか持ってたら、もっとすごいけど。


「家族以外と使ったことはないけど」

「でしょうね」


 けど、オシャレとは程遠い美穂が、ファッションリーダーとして中高生にもてはやされている胡桃の存在を知っているかも怪しい。僕と胡桃の関係など知らないだろう。それくらい、美穂は地味で、オシャレには無頓着に見える。


 ちょっとは反発したくなり、空々しく大声で言う。


「昨日は、妹の胡桃と画像をシェアしたんだ」


 反則級のマウントだ。実際、クラスの何人かはこちらに振り向く。羨望などではなく、憎悪にまみれた重い眼差しだ。睨んでいると言った方が相応しい。


 けど、美穂相手では空振りに終わる。


「声が大きい。妹さん、画像見て卒倒しなかった?」


 対応が素っ気ないし、若干毒気味。


「しないよ。シェアしたのは胡桃の画像だし、兄としてそこそこ愛されてるから」


 少なくとも、感謝されているのは本当だけど、迂闊だった。まわりの視線が一段と厳しくなる。決して慣れることのない重い視線に、居た堪れなくなる。これだから、美少女とはお近付きになりたくない。


「兄妹って、そんなものなの。今朝、会った子も似たようなこと言ってたわ」


 朝から人に会うなんて、美穂の方こそ社交的じゃないか。


「普通だよ。兄妹は仲よくも悪くもないんだって」


 まわりに聞こえるように言う。その方が風当たりがいくらかやわらぐ。安心安全、人畜無害が僕の信条。


「なるほど。やっぱり宮崎君って、社交的なのね」

「んーなわけ、ないでしょう」


 あー、疲れる。美穂のはなしのツボが全然分からない。正直、全く楽しくない。相手が環奈ちゃんだったらもっと心ときめくだろうに。


「このアプリってビデオ通話や動画シェアもできるんでしょう」

「ときどき、胡桃から動画が送られてくる。僕から送ったことはないけど」


 高校生にもなれば、当たり前のコミュニケーションの一つだ。自分からシェアしないのは、僕がコミュ障なだけ。美穂の場合は、コミュニケーションに興味がないといった感じがする。


「そうよね。こんな高機能、使いこなせる人なんていないでしょうね。はい」


 妙な同意をしながら、スマホを僕に差し出す。面倒なID交換の全ての操作を僕に押し付けようというわけだ。お望み通りにいたします。


 スマホを受け取ったとき、ちょっとした違和感を覚える。環奈ちゃんがCMをしているモデルで間違いないけど、どうにも古びている。一、二ヶ月は使っているみたいだ。発売は今日なのに古い。どうして? まっ、いいか。


「高機能といえばこのスマホ、かなり値打ちがあるんじゃないか?」

「そうらしいわね。こんなのが未明だけで二百五十万本も売れたらしいわ」


 なんてことを言うんだ! 環奈ちゃんがCMをしているモデルだぞ。こんなのとは失礼過ぎる。思わず、美穂のスマホを握り締めてしまうが、込み上げてくる怒りをギリギリ抑える。美穂が環奈ちゃんのポスターに価値を見出していないなら、ワンチャンもらえるかもしれない。ここは、冷静に対処すべし。


 ID交換の終わったスマホを美穂に返しながら言う。


「はい。きっとみんな、ポスターが欲しいんだろうね」

「まったく、あんなののどこがいいのかしら。ありがと」


 あっ、あ、あんなのだとぉー! 環奈ちゃんのポスターに対して、失礼極まりない。今度は自分のスマホをきつく握る。


 同時に、確定。美穂は環奈ちゃんのポスターに興味がない。もらえる! もう少し、仲良くなったらもらえる! その機を待つしかない。それにはもう少しだけ、おしゃべりを続けるのが一番。疲れるけど、頑張らないと!


「じゃあ、あとはよろしく。おやすみ」


 えっ? 眠るの? まだ、授業がはじまってもないのに? 何のためにIDを交換したんだ? もっと仲良くなりたいのに。ポスターのはなししたいのに。


 地味な顔が隠れ、代わりに丸まった背中が出現する。


 思い出した。美穂は眠れる教室の美少女。学校にいる間は、わずかな時間を除いてずっと眠っている。美穂はやっぱりこれでいい。


 僕は美少女鑑賞者。その人の最も美しい瞬間を見逃さない。うしろの席には眠れる教室の美少女がいる。けど、僕が鑑賞できるのは一日に数回程度。プリントをまわすときだけ。それでいいんだ。

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