雨降って地固まる
晴人に説得されて来てしまった。幼いころから通い続け、数年前に辞めたピアノ教室。ソーニャの家。呼び鈴に触れる。
「ふぅ………」
快晴の空を見上げて、一呼吸。どうしようもないと分かっていても、緊張ばかりは抑えられない。だって、これは一生秘す気でいたから。事実上の絶縁宣言に他ならないから。美少女の在り方としては、何が正しいのだろうか。
指を押し込む。音が鳴る。少し待てば、どたばたと、中から響いてくる足音。車は停まってなかったから、両親は不在で。ソーニャが急いで向かってきているのだろう。
やがて、横開きの扉が開かれて、
「あっ……………」
「……お邪魔します」
見慣れた、綺麗な白銀色。会ったら何を話すか、考えていなかったなあ。
「……色々と、話に来た」
「……部屋、行こっか」
無言のまま、家に上がり、ソーニャの部屋まで移動する。第二の自室と言っていい程、長い時を過ごしてきた部屋だ。何が置かれているのは粗方把握しているが、改めて見回す。本棚に収められているラノベや漫画は、私が薦めたものも多い。ゲームも一緒に遊びたいからって同じタイトルを選んでいたね。あのフィギュアも誕生日プレゼントに贈ったものだ。私は与えてばっかりか………。どれだけ影響を及ばしてしまったのかな。
私はいつものクッションに腰を降ろし、ソーニャは対面に座る。
さて、どこから話したものか。
「千雪、ごめんなさい。私は………っ」
と、迷っていると先にソーニャが切り出してしまった。けれど、それは違うよ。
「謝ることはないよ。非は全部私にあるからね。私こそ、ごめんなさい」
「でも、私はあんなことを……っ」
「事実しか言ってなかった。だから、悪いのは私なの。そこは、了解して」
「でも、それじゃあ………っ! 私は、また…………」
そう言うと、ソーニャは顔を俯けてしまった。もしかして、彼女も責任を感じていたのだろうか。思い返す言葉は、庇護下の存在。……地雷を踏んでしまったかな? でも、これに関しては純度100%の自業自得だからね。ソーニャに咎を負わせるわけにはいかないのだ。
「ちょっとだけ、自分語りをしていい?」
「………うん」
「そうだねえ。馬鹿らしい話だけど、私は美少女になりたいの。どうしようもなく、美少女を求めてしまう。私の存在理由そのものだと言っても過言じゃない。引いた?」
「ううん、引かないよ」
「えっ、本当に?」
「本当に」
信じ難い答えが聞こえたから問い返してみれば、より力強い言葉となって返ってきた。普通にびっくり。懐かしのちーちゃんショック。
「だから、私の全ては美少女になる、ただそれだけのためにあるの」
妄執だけで動く亡霊。それが私だ。前世で叶わなかった美少女になるという歪な願い。私はそれを叶えるためだけに存在している。
「ソーニャにあんなことを言わせたのも、元はと言えばそれが原因だと思う」
お願いだから、私を見てよ。ソーニャはそう言ったが、ばかばかしい。そもそも、私は自分のことさえも見ていないのだから。天凪千雪を、ただ美少女になるための道具としか見ていないのだから。
「ソーニャに心配を掛けたのも、同じ理由だね。どうしても美少女になれなくて、そもそも美少女が何かも分からなくなって、美少女が妄想じゃないのか不安になって、それで落ち込んでた。意味が分からないでしょ?」
流石にこれを相談するのは無理だった。そう言外に告げる。本人でも気持ち悪いと思っているのだ。他者が聞けばどう思うか、想像するまでもない。けれど、幼馴染の少女の反応は予想を超えてきた。
「………何日前だっけ。千雪が、美少女とは何かって聞いてきたよね。その時、なんて答えたか覚えてる?」
覚えている。一言一句違わず、完璧に。履かせられた高下駄が、それを可能にするから。
「それなら、夢を与える……与えるのは違うか。憧れとか、一緒にいたい人とか、そんなのかなあ。そう言った」
「そんな精確に覚えてるの? ちょっと恥ずかしいなあ。これね、千雪のことだよ。美少女って言われて、最初に思い浮かんだのが千雪だったの。私にとって千雪は間違いなく美少女だよ」
「……ひひっ。それは、嬉しいね」
思わず、頬が緩んでしまう。何気に、美少女だと認められるのは初めてだったから。乾いた魂が、少しなれども潤うのを感じる。やっぱり私は私を美少女と認められないけど、それでも嬉しい。
「ねえ、千雪はどうして美少女になりたいの?」
「憧れかなあ。本を読んでて、ヒロインがとても輝いて見えて。かくありたいと思ったの」
これなら、前世の話も少しはしていいだろう。範囲はどれくらいに収めようか。引っ張ると、必ず矛盾が生じてしまう。ソーニャがそれに気付かないわけがない。なら、いっそ転生したことを伝えてしまっても良いかもしれない。この世界では、転生という事象は都市伝説レベルで認識されているから、うん。実証はされていないけどね。けど、晴人だって気付いた。なら、ソーニャも薄々勘づいていてもおかしくない。きっと。
「あっ、私って前世の記憶があるんだけどね。で、えーっと、初めは憧れだったけど、その内に心の拠り所になってしまったの。存在の比重が美少女への憧れに傾き過ぎた。色々と辛いことがあってね」
「だから、美少女になることが生きる目的になった……?」
「そうだね」
前世のくだり、全く驚かないんだね。不思議だ。どうしてか、愉快な気持ちになる。少し前までは感情がぐちゃぐちゃになっていたのにね。
あと、辛いことが何かってのは、語るほどのものではないよ。ただ、人間に嫌気が差したってだけだ。創作では世界は美しいってよく言われるけど、現実はそんなことないよね。あっ、これ上位存在系美少女っぽい。
「でも、そっかあ。じゃあ保護者って言うのもあながち間違いじゃないんだね。じゃあさ、全部、美少女になるための演技だったの?」
「そんなことないよ。私は不器用だからね。あくまで行動指針でしかない」
「ふふっ。やっぱりそうだ。なら、千雪は千雪だよ。前世とか関係ない。存在理由が美少女になることとか関係ない。千雪は私の大切な幼馴染で、私にとっての美少女だ」
そう言って、ソーニャは花がほころぶように微笑った。つられて、私も笑ってしまう。一体どうしてこれ程にも嬉しいことを言ってくれるのだろう。こんな前世を引き摺った生き方しかできない過去の亡霊を、それでもよしと、それを含めて天凪千雪であるのだと、そう言ってくれた。私を認めてくれた。もう、意外も意外だ。私はソーニャのことを見ていなかった。今更ではあるけれど、ようやく実感に至った。同時に、後悔も湧き上がってくる。
「………ごめんね、ソーニャ。私は、本当に酷いことをしていた」
「それなら、お互い様だね」
「そっか、お互い様かあ。………ありがとね」
「うん。私も、話してくれて嬉しかった。ありがとう」
沈黙が満ちる。それは決して気まずいものでない。心地よい、いつも通りの沈黙だ。しばらくボーっとソーニャの顔を見ていたら、銀髪の幼馴染は口を開いた。
「ねえ、これからも美少女になるために生きるの?」
「そうだね。それ以外の生き方は知らないし。でもまあ、美少女になれるかは分からないんだけどね」
「………ちょっと、いや、かなり傲慢なこと言っていい?」
「うん?」
すると、ソーニャは瑠璃の瞳に決意の光を宿して何かを言おうとし、けれどすぐに視線を逸らして口ごもる。また視線を合わせるも、目は揺れていて。何事だろうと、疑問に思いつつ見つめる。そんなに躊躇う程に傲慢なことを言おうとしているのだろうか。
やがて、覚悟を決めたようで。
「千雪! 私に人生を預けない!?」
「…………告白?」
傲慢というか、意味の分からない言葉が飛び出してきた。
「ちがっ、そうじゃなくて。さっきはああ言ったけど、それはそれとしてやっぱり私としては美少女になるためだけに生きるなんて不健康的だと思うの。最近も不安定になってたし。だから、千雪が辛い時に支えられたらなあって。さらに言うなら、千雪の心の拠り所になれたらなあ、なんて……。ごめん! やっぱり傲慢過ぎるよね!? これはなかったことにして!」
わあ、早口。取り敢えず、やっぱり告白じゃんって言葉は飲み込んで。
「そうだね。すっごい傲慢だね」
「うっ……」
「けど、嬉しい。でも知ってる? 私、美少女になりたいけど、普通に美少女も好きだよ。あっ、この場合は容姿が優れている少女のことね」
「……知ってる」
「ソーニャは紛れもなく美少女なんだよ? そんなこと言ったら、たくさん甘えちゃうよ? もう我慢もしないよ……?」
「全部、受け止めるよ」
「私、美少女であり続けるために、美少女になるために、その内老化を止めようとしてるんだよ……? 一緒に居続けるっていうなら、ソーニャにも強制するかもしれない……っ」
「ずっと若いままでいられるって、女としては本望だよ」
「まともな人生、送れなくなるよ……っ!」
「それでも、だよ」
「どうして、そんなに良くしてくれるの? 私、ソーニャに酷いことしたよ……? 貰ってばっかは嫌って、もう十分返してもらったよ……? 私は昔のことも割り切れずに迷惑かける、最低最悪な人間なんだよ………?」
ソーニャのことは大切に思っている。だから、必要以上に私に関わらせるわけにはいかない。だって、私は過去にしがみつくしかない、どうしようもない人間だから。きっと不幸を撒いてしまうから。
ソーニャには幸せになって欲しい。だから、義務感とかそんなのに囚われて欲しくない。自分の生きたいように生きて欲しい。自分の道を歩んで、幸せを掴み取って欲しい。
「覚えてる? 昔、千雪が言ってくれたよね。子供なんだからやりたいようにすればいいって。中二なんでまだまだ子供だから、私にはその権利がある。好きな人を支えたいっていうのは、当たり前のことじゃないかな?」
「やっぱり、告白じゃん………っ」
「…………そうだね。たしかに、告白かも」
けれど、ソーニャの言葉は至って純粋で。想いを全力で叩き付けてくるから。もう、感情がジェットコースターだよ。ぐっちゃぐちゃだったのが喜びになって、またぐちゃぐちゃに戻った。もう、どうしたいいのか分からないよ。視界が歪んでしまう。水滴が瞳から溢れて、頬を伝うのを感じる。
だけらこそ、私は頷けない。絶対に頷くわけにはいかない。私に縛り付けてはならない。
けど、私の心は強くない。ソーニャの覚悟を切り捨てることができない。きっと暖かいだろう未来を放り棄てることができない。
だから、
黙って、ソーニャに抱き着く。身長差が大きいから、膝の上に乗って。
背に手が回ってくる。より密着すれば、ふわり、ソーニャの香りに包まれて。
頭がおかしくなりそうだ。私の取った行動は責任から逃れ、けれど権利だけは享受する最低なものだ。罪悪感に胸をひしひしと貫かれる。
のに、同時に幸福も感じている。ソーニャと抱き合って、互いの温度を、鼓動を、何かもを共有して。自他の境界が曖昧になり、一体化していく感覚が酷く愛おしく思える。
どうしようもない感情が氾濫し、自然、涙が溢れてくる。背中をさすられる度に、嗚咽を漏らす。涙と共に老廃物を全部流して、心を純化させる。
やがて涙が枯れてくると、幼馴染の白銀色の髪の毛がよく見えてきた。そこに挿し込まれている黒色は、何時か送った雪をあしらった簪だと気付き。
久しぶりに見たけれど、やっぱりソーニャに似合っているなあと、そう思った。
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