後悔だけが謳うもの
「何で私はあんなこと言っちゃたのかなあ」
後悔が、胸を衝く。けれど、覆水盆に返らず。あの発言を無かったことにすることはできない。
「ほんと、何してるんだろ」
昨日から、何の気力も湧かない。情緒が不安定になっているのを感じる。さっきも、事情を聞きにきた晴人にぽつりぽつり話すうちに泣いてしまった。
ベッドの上、枕に顔を埋める。視界は暗くなっても、感情はぐちゃぐちゃで。今日の学校での出来事がフラッシュバックする。千雪は辛そうな表情をしていた。普段は大人ぶっているけど、取り繕ったりするのは下手だから。
なら、千雪もあんなことを言わなかったら良かったのに。違う、そうじゃない。元はと言えば悪いのは私だ。酷いことを言ってしまった。そんなつもりじゃなかった。そんなつもりじゃなかったけど、それでも。
このまま、仲直りはできないのかな。難しいだろうなあ。もしかしたら、無理かもしれない。幼馴染だから、千雪の性格は分かってしまう。きっと、彼女は受け入れてしまう。どんな形であれ、私のことを想ってくれているから。
何であんなこと言っちゃったのかな。
◇
昨日はいつも通り、放課後に千雪の部屋で遊んでいた。幼稚園の時からの習慣は、頻度の低下という形で現れようと、根強く残っていた。
千雪は椅子に座ってパソコンでゲームをし、私は部屋の隅でラノベを読む。空間を共有するだけで、会話は発生しない。けれども、それが心地良かった。不思議な安心感があった。
ただ、今日ばかりは安穏とその時間を享受するわけにはいかなかった。
「ねえ、千雪。少し、いい?」
「うん? どうしたの」
「最近、何かあった?」
問わずにはいられなかった。最近の千雪の様子は、傍から見ていてもおかしい。この前、私の髪を触っていた時もそうだ。千雪は、学校では自分からは誰とも関わろうとしない。ずっと席に座っていて、私が話し掛けなければ一言も会話せずに一日を終える。そんなだから、あんな甘えるようなスキンシップは明らかに異常だ。
それに、時折辛そうな、迷子の子供のような、そんな表情をしているのを見かける。いつも気高に振舞っている千雪が、だ。幼稚園の頃からの付き合いだけれど、あんな顔は見たことがない。だから、心配しないのは無理な話だった。
「いや、何もないよ」
「ううん、絶対何かあった」
「……困ったね。本当に何もないし」
「………何もないなら、そんな表情しないでよ」
「……そっか」
そう言って、千雪は曖昧に微笑む。誤魔化すように、この件には触れないで欲しいと懇願するように。それなら、ちゃんと取り繕ってよ。泣きそうにしないでよ。
「分からないよ。言ってくれないと分からないよ。私はそんなに頼りないの? 幼馴染なんだから、辛い時くらい助けさせてよ」
「……それでも、これは私の問題だからね」
ああ、イライラする。大人しく助けを享受すればいいのに。重荷は私にも背負わせればいいのに。どうして自分一人で抱えようとする。どうして頼ってくれない。
「昔からそう。勝手に孤独を気取って、全部一人でやろうとする。愚痴くらい漏らしてよ。それすらも駄目なの?」
「それは………」
「言い淀まないでよ……! そこで言い淀んじゃったら、本当に………っ!」
沈黙が満ちる。何時の間にか力が入っていたようで、拳がぎゅっと握られていた。深呼吸する。弛緩させる。一拍、二拍。駄目だ。落ち着くのは無理そうだ。それでも、形だけでも、冷静に。
「初めて会った時から、千雪はいろんなものをくれた。日本に来たばっかで不安だった時に、友だちになってくれた。日本語を教えてくれた。千雪のおかげで、晴人と識とも友だちになれた。私に居場所を作ってくれたのはあなたなんだよ」
「小学校に入って、いじめられていた時も千雪が助けてくれた。それで自分が怖がられるようになったのに。でも、私にとってはヒーローだった」
「コンプレックスだった目も、髪も、千雪は褒めてくれた。おかげで今は誇れるようになった。髪を梳きながら綺麗だって言ってくれたの、私はそれに救われたんだよ」
「サブカル趣味だって、あなたの影響だよ。それにさ、熱心に説得して私にコスプレさせようとしてきたの、覚えてる? 恥ずかしいから断り続けたのに一時間も粘ってきて。でも、いざ着てみたらすっごい似合ってた。私、可愛かった。懐かしいなあ。今思えば、あれが自分に自信を持てるようになった切っ掛けだった」
「そういえば、コスプレしてTRPGみたいなことをした時もあったね。あの時、子供なんだから無邪気でいていいって言ってくれた。高学年になって色々と言われる時期だったからね。あれも、嬉しかった」
「今の私があるのは千雪のおかげなの。だから、私だって何か返したい! 貰ってばっかは嫌なの……! 与えるだけじゃなくて、大人しく受け取ってよ………っ」
紛れもなく、本心だった。ただ、恩返しをしたいと。それだけの言葉。のに、千雪は目を逸らした。逸らしてしまった。
「……それでも、駄目なんだね」
これじゃあ、貰ったものの重みで、私が潰れてしまいそうだよ。
「ねえ、千雪にとって私は何なの……?」
「……友だち」
「違うっ! 友だちなんかじゃない……っ。こんなの、ペットと変わらないよ……」
こんなことを言いたかったわけじゃないのに。重荷を少しでも分かち合いたいと、思っただけなのに。
「ペットだなんて思ってない……!」
「ならどうして対等に見てくれないの!? 一方的に与えるだけじゃん! 庇護下の存在だとしか、見てくれないじゃん……っ!」
どうして私は泣いているんだろう。どうして、こんなに悲しいのだろう。
「何なの? 自分を親か飼い主だとでも思ってるの? そんなの傲慢だよ……っ!」
なのに言葉は止まらなくて。
「お願いだから、私を見てよ………!」
ああ、酷いこと言ってしまった。
◇
謝らないといけない。許してもらえるかは分からないけど、それでも。きっと、いや、間違いなく今まで通りの関係は維持できない。私が、引き金を引いてしまったから。
でも、私はまだ千雪と一緒にいたい。このまま仲直りできずに疎遠になるなんて、絶対に嫌だ。砂上の楼閣は崩れ落ちた。ならば、雨に流されてしまう前に。少しでも掻き集めて、掘っ立て小屋でも建て直す。
起き上がる。涙で湿った枕から、手を放して。ベッドから降りる。
机を見れば、髪飾りを筆頭として千雪からの贈り物が置かれている。昨日に出したっきり、戻していなかった。蓮の花のような形をした八百螺蒔蓮華髪飾と、雪をあしらった簪。それと、青に白の刺繍が施された紐。他にも白猫耳とか、色々。
過去の、感傷にひたる。瞠目。涙は、流さない。今はまだ、泣けない。
一つ一つ、仕舞っていく。思い出を噛みしめながら。覚悟を固めるために。
最後に簪だけが残って。髪を無雑作に纏めていたゴムを外し、代わりに簪を挿す。
よし、いこう。
そこで、ピンポーンとチャイムが鳴った。
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