非存在追求

 いつの間にやら、私は中学生になっていた。もうすぐ中学生活二年目も半ばに差し掛かる。光陰矢の如し。時が経つのは早い。最近はそう思うよ。


 学校では、私は孤高系美少女ムーブをしている。方法は簡単。成績は常にトップを維持し、体育でも醜態は晒さず、そして休み時間は席を立たない。これで、容易く孤立できる。………言い訳をするとね。私は小学校の頃からあまり人と関わってこなかったから、今更きらきらしたキャラは作れないのだ。同じ小学校の人が大勢在籍しているのにそんなことしようものなら、私は中学デビュー系変人美少女になってしまう。


 まあ、孤高を貫けているわけでもないけど。まず見た目の問題がね。私はまだ成長期が来ていないようで、身長が低い。見た目に威圧感がない。理想は近付かば食らうって感じの虎だとすれば、今の私はひ弱な猫だ。人の輪から離れたところに身を置けど、近付かれたときに対処ができない。大人しく撫でられるしかない。そう、今みたいに。


「いつまで触ってるの?」


「いつまでだろうねえ。千雪の髪はさらさらだから触りたくなるの」


「髪ならソーニャの方がさらさらで、綺麗なのに」


「流石に自分のはちょっと………」


 口では強がるけれど、温かいなあ、と思う。三十秒のハグで一日のストレスの三割は解消されると言うように、人との触れ合いというのは不思議な力を持つ。特に、相手が美少女だと一層だね。うん、見た目は美少女。精神性も美少女。行為も、観測も申し分ない。けれど、本当に美少女か? 分からないなあ。最近は、何にも分からなくなってしまった。


「ちょっとこっち来て。私の上に座って」


「いいけど、潰れない? ほら、ちっちゃいから」


「失礼な。久しぶりにもふりたいの」


 横に周って来たから、椅子を引く。そろそろと膝の上に腰がおろされ、視界が銀色でいっぱいになる。すごい、何も見えない。手を前に回して、顔を埋める。うむ、相も変わらずもふもふで。匂いも良き。髪の手入れとかどれくらい時間を掛けているんだろうね。


 ヤバいかもしれないなあ。タカが外れている。最近は常識的言動を心掛けていたのに。こんな事をするのは何時ぶりだろうか。小四か、それくらいかな。公共の場ということを考えれば、もっと遡るかもしれない。美少女成分を補給せねば。何だろうね? 美少女成分って。そもそも美少女の定義が曖昧過ぎるよ。少なくとも私は美少女で。美少女だったら良いなあ。わーい、ゲシュタルト崩壊だあ。脳が死んでるね。


「ソーニャ、美少女って何だと思う?」


「………そうだねえ。んー、難しい。美しい少女とか、そういうのではないんでしょ?」


「うん」


「それなら、夢を与える……与えるのは違うか。憧れとか、一緒にいたい人とか、そんなのかなあ」


「……抽象的だね」


 憧れ、ね。ずっと昔、私もそんなことを考えたこともあった。あるいは、それも正しいのかもしれない。それこそ、私が美少女を追い求める起源を考えたならば。けれど、やっぱり抽象的だと思うのだ。私が欲しいのはもっとはっきりした定義で。それに何より、それじゃあ私が美少女になるのは絶対に不可能だから。


 でも、一緒にいたい人。それは何というか、新しいね。少なくとも、私には無い考えだ。面白い。


「抽象的って……なら、千雪は何だと思ってるの?」


「……………強いて言うなら、今は個人ではなく物語性に依るものだと思ってる」


「ごめん、普通に意味が分かんない」


「私も分かってない」


 ころころ変わるからね。私の中での美少女を表す言葉は。しかも、これに至っては定義とか関係なく、ソーニャとは次元が違うレベルで曖昧なことを言ってるし。そもそも美少女を定義しようってこと自体が、定義不可能なものを無理矢理枠の中に入れようとする感じなわけで。昔から色々考え続けてきたけれど、納得のいく答えは一度も出ていない。


「でも、理想みたいなものだと思う。持ってないから価値がある。手に入ったら陳腐になる」


「隣の芝生は青いってこと? んー、やっぱり分かんない」


 当たり前だろう。逆にこれで理解されたら、如何に幼馴染といえども恐い。エスパーかさとり妖怪の類だ。銀色の背中に顔を埋めて、思う。


「でもさ、それでも千雪は───」


 と、そこでキンコンカンコーンとチャイムが鳴った。休み時間はたったの十分。長話するには向いていない。


「───チャイム鳴っちゃったね」


 そう言って、ソーニャは膝から降りる。痺れ始めた足から重みが消失した。


「それじゃ、また後で」


「うん」





     ◇





 やっぱり分からない。本当に、何にも分からないね。私は美少女になりたい。幼いころから、前世での幼いころからそう思っていた。でもさ。その具体像は一体どこにある? 美少女だと思うキャラはたくさんいた。けれど、彼女らに共通項はないじゃあないか。


 私が求める美少女は何なのか。容姿は前提に過ぎない。そこに何を載せればいい?


 高潔な精神か? 違う。美少女の誰しもが持ち合わせているわけではなかった。善性に依るものではない。信念に依るものでもない。


 ならば性格か? それこそ定義不可能だ。誰一人として同じ性格の者はいなかった。仮に同じルートを歩んだとしても、誰しもが別の人生になると断言できる。


 そもそも、それらは外部から観測できないものだ。仮に中身が拷問趣味の殺人鬼であっても、人生においてそれを一度も発露せず、ひたすら功徳を積み上げていったなら、その者は聖人であると言って過言ではない。


 ならば、美少女を定義するのは行為か? 定義は困難であっても、行為に依るとは判断できるかもしれない。だが、それでは意味がないのだ。どんな事をすれば美少女になるか、それが不明なのだから。


 では、その人の人生を、あるいはその一部だけでも綿密に観測すれば判断できるのだろうか。ならば、それ即ち物語であり、美少女とは物語性を伴って初めて顕現するものであるのか?


 馬鹿じゃないかと思う。そんなものなわけがないだろう。そんな複雑なわけがないだろう。でなければ一目惚れはあるまいに。理論を立てて説明できるものじゃあないだろうに。


 結局、美少女だと思ったから美少女である。それが一番しっくりくるのだ。そのためには、相手のことを詳しく知る必要もあるかもしれないし、そうではないかもしれない。


 なら、私は何に対して美少女だと思うのだろうね? また、振出しに戻ってきてしまったよ。美少女だと思ったから美少女なんて安易な結論は許されないのだ。


 切り口を変えるならば、そもそも、美少女という存在そのものが理想の権化ではないかと思う。創作の中でのみ現れる概念。空想という、人類だけが持つ唯一性の極致。人の夢の結晶。だからこそ、魂を揺さぶる。途轍もない熱量を有する。


 故にこそ───実現した時点で陳腐化する。隣の芝生は青いとは、少し違うかもしれない。理想は実現しないからこそ理想なのだ。ならば、三次元に存在する道理はない。


 あるいは、その理想も既に持っているものかもしれない。けれど、人は愚かだからね。持っている物には気付けない。持っていない物しか見えない。なら、何にも変わらないね。


 私は美少女かもしれないし、美少女じゃないかもしれない。美少女になれるかどうかも分からない。なら、私はどうしたらいい?


 あるいはさ。そもそも、美少女は存在するのかな。具体的な形を持たないなら、明確な輪郭を持たないなら、それこそ空想じゃあないのかな。だって、人に霧は掴めないんだから。私は、私が頭の中で作り出した妄想を追い求めているだけなんじゃないかな?


 だったらさ。私はどうしたいいのかな? 私には分からないよ。何にも、分からない。





 





 ソーニャと初めての喧嘩をしたのは、その数日後のことだった。

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