悪役令嬢vs巨大鮫。

阿月

ジゼル・ド・クロフィーヌvsサメ

「私が国外追放とか、何でこんなことに!」

 私のご主人様であるジゼル・ド・クロフィーヌ様が叫んでおられた。

 艶のあるブルネットの髪をふりみだしながら、みっともなく酒に溺れています。


 でも、仕方ないのです。

 もともとジゼル様は王子の婚約者として、いずれは王妃となる予定でした。

 それが、婚約者である王子を、どこからともなく現れた平民あがりに取られ、あげくにすこし「わからせよう」としたことに王子がお怒りになり、舞踏会でそのことを問い詰められ、国外追放となったのです。


 お父上のクロフィーヌ侯爵はかばうどころか、ジゼル様の行動を叱責して、王国から遠い辺境の地に送ることを決めました。

 そして、今、たった一人の使用人である私、シュシュ・リーズとともに豪華客船フランシーヌ号に乗っているのです。


 酒に溺れることを責めるわけにはいきません。

 ある程度でお止めする必要はありますが、多少は発散していただかないといけません。

 とは言え、このようなお姿を他人に見せるわけにはいきません。ですから、お部屋でお飲みいただいているのです。


「お酒をもう一本、いただいてまいります。しばし失礼いたします」

 私は頭を下げて、船内のダイニングに向かいます。

 本来なら、そこで飲まれるのがよいのでしょうが、そうもいかないので、取りに伺うのです。


 豪華客船フランシーヌ号は排水量1,150トン、全長63m、幅10.3m。最新鋭の蒸気式外輪船で、100名以上の乗客の乗せられる当代きっての大型船でした。

 ダイニングでは、パーティーが行われているらしく、音楽や人々の嬌声が聞こえてきます。


 ですが。

 その声は一瞬にして悲鳴に変わることになりました。

 フランシーヌ号は、大きな音とともに、ひどく揺れました。

 私も船内の廊下で転がる羽目になりました。

 何が起こったのでしょうか。

 よくないことが起きたのはたしかです。


 私はジゼル様のもとへ駆けつけました。

 するとジゼル様は、既に顔を洗い、新しいドレス、それも乗馬服にお着替えをされていました。

 動きやすさにこだわられたのでしょうか。


「シュシュ。何があったかわかる?」

「わかりません。ダイニングにたどり着く前に揺れましたので、まずは戻ることを優先しました。浅瀬に乗り上げたのでしょうか?」

「何かにぶつかったんでしょうね。あれだけ揺れたということは」

 行李から拳銃と短刀の提げられたベルトを取り出し、腰に巻き、帽子を被られると、ジゼル様は私に着いてくるようにおっしゃられました。

「あ、それも一緒に」

 指さしたのは大きな布の袋。

 私はその中身を知っています。

 最新式のレバーアクション式ライフル。

 銃身の下にチューブ状の弾倉を備え、八発の弾丸を装填できる連発銃です。

 私はそれとともに弾薬の入った鞄を一緒に持ちます。

「持ちました」

「あなたの武器も持って。使うことにはなりたくないけどね」

「はい」


 皆が走っていました。

「この船は沈むぞ! 早く逃げるんだ!」

 言われると少し傾いている気がします。

 甲板は人でごったがえしていました。


 そして、私は見ました。

 満月の光の中を飛ぶ、一匹の鮫を。

 フランシーヌ号よりも高く。


 それは、とても美しく。

 禍々しく。


 そして、私が聞いていた、いわゆる鮫よりも、とても大きい。


 これが、伝説の大魚、リヴァイアサンなのでしょうか。


 着水と同時に大きな水しぶきが飛びました。

 そして、船の周りをゆっくりと回ります。


 大きかった。

 フランシーヌ号は全長63m。

 その半分くらいはあるように見えます。

 こんな大きな魚がいるのでしょうか。


 でも、今、まさに私の眼の前に、それはたしかにいました。


 また、船がぐらりと揺れました。

 鮫がフランシーヌ号に体当たりをしてきたのです。


「うわあああ!」


 誰かの叫び声とともに水音。

 その瞬間、鮫の巨大な頭が水中から現れて、落ちた人を一飲みに。

 そして、その大顎で噛み砕く。


 悲鳴とともに、人がバラバラになっていきます。


 闇夜が幸いして、私たちはその不幸な方をまじまじと見つめることはありませんでした。

 ですが、その悲鳴で、皆は理解しました。

 ボートで脱出することなど、あの鮫に餌を与えるようなものだと。


 とは言え、傾きつつある船に乗っていても同じこと。

 だとしたら。


「御婦人と子どもを船首の方へ! そしてもし荷物の中に銃を持っている者がいたら手伝ってくれ!」

 船員が叫んでいました。

 手には、大きな長いライフルを持っていました。

 船に装備していたライフルなのでしょうか。

 ですが、皆は動こうとはしません。

 皆、怯え震えて動けなくなっていました。


 すると、ジゼル様が、腰から拳銃を抜いて、宙へ一発。


 皆の視線がジゼル様に集中しました。


「戦える者は戦おう! 銃を取れ! 銃のない者は刃物を持て! そして、御婦人たちはゆっくりと船首へ。大丈夫だ。みんな生きて帰れる。義務を果たそう!」


「おう! 狩猟用の銃は持ってきている。取ってくる!」

「皆さま、動きましょう! 殿方たちの戦いの邪魔になってはいけません!」


 何人かの言葉が飛び交い、人々が移動し始めた。


「お嬢さん、助かったぜ。俺はエドワード。この船の航海士だ」

「船長は?」

「最初にあの鮫がぶつかった時に、海に放り出された。機関長たちは、この船が一秒でも長く浮かんでいられるようにがんばっている。だから、ここの指揮は俺が取る」

「そう。じゃあ、手伝うわ」

 私は背中に担いでいた連発銃を差し出した。

 ジゼル様はそれを手に取った。

「すげえな。それ、最新式の連発銃か」

「家が金持ちなだけよ。残念ながら、お金渡しても見逃してくれそうにないわね。あの魚は」

「その通りだ」

 ゆっくりと船の周りを回る鮫は、じっくりと船が沈むのを待っている。


 銃を持つ者が集まってきた。

 口径も様々だが、戦意は旺盛だ。

「ベルトを持っている者は腕に巻きつけて、落とさないようにしろ。そして、自分の身体の固定も忘れるな!」

 シゼル様もロープで自分の身体を固定する。

 私はジゼル様の背後に控えて、身体をロープで巻きつける。


「よし。次に近づいてきたとき、連発銃を持っている者は撃て。ただし、水のせいで銃の威力が落ちる。チャンスはその後、怒って顔を出したときだ」

「わかった!」

「了解!」


 そして、鮫がじっくり近づいてきた。


 エドワード様が叫ぶ。


「連発銃、撃て!」


 夜の闇に銃声が響く。

 ジゼル様も銃爪を引く。

 何発かは当たったように見える。


 すると、怒ったのか、一度深く潜っていきました。

 そして、海面が盛り上がり、一気に飛び出してきました。


「全員! 撃て!」

 エドワード様の号令のもと、全員が改めて銃爪を引きました。

 数多の銃弾が鮫に襲いかかりました。

 何発かは当たっていますが、鮫の強靱な皮膚に弾かれているようです。

 ですが、大きく開いた口や目に当たった弾丸は、明らかに血飛沫を飛ばしています。


「よし! 効いてる!」

 シゼル様は叫びました。

「こんな化け物でも、撃たれれば血が出る! 皮膚は硬いが、狙いどころ次第で倒せる!」


 その直後、鮫の大きな尻尾が甲板を叩きました。


 何人かの方が、尻尾の直撃を受けて潰されました。

 その衝撃で、船が大きく揺れたため、何人かの哀れな方々が海に放り出されました。

 幸運にも潰されることなく、そして甲板に留まった方も、その大きな揺れのため、立っていることはできませんでした。


 ジゼル様も同様に甲板に転がっていました。

 ですが、お腹の大きな男の方を下敷きにしていたため、特に怪我はしていない様子でした。

「シュシュ。手を貸して」

 ジゼル様の言葉に手を差し出します。

 立ち上がると下敷きにしていたの男の方に声をかけられました。

「そなたは大丈夫か。大変失礼した」

「いえ。女性を助けられたのなら、それで構いません。お気になされずに」

 男の方も立ち上がられました。

 どうも、ちゃんと紳士な方だったようです。

「ところで何を抱えている?」

 紳士の足元に大きな木箱がありました。

 これを抱えていたようです。

「そうです。これを役立ててもらいたくて」

 その箱には、ダイナマイトと書かれていました。

「エドワード! 生きてるか!」

 ジゼル様は叫びました。


 ダイナマイトとは、近年実用化されたばかりの新型爆薬です。

 ニトログリセリンを珪藻土に染み込ませて安定化させ、雷管を組み込んだものと聞いています。

 主に鉱山での岩盤破壊や土木工事、そして戦争で使われるとも。


「よし。あいつを倒す術が見えてきたな」

 エドワード様が笑いました。

 身体中ずぶ濡れではありますが、その目は不敵に笑っていました。

「まだまだ心は折れてないようね」

「当たり前だ。今折れてどうする。喰われた奴らのためにも、あいつは何としてでも仕留める」

 エドワード様の呟きをジゼル様は笑って見られていました。

「それで、どうやってこれを使うの?」

「あんたの連発銃を貸してくれ。俺がマストに身体を縛りつけ、ヤツを撃つ。あいつは頭は悪くない。必ず俺を狙って顔を出す。その時、口の中にこれを投げ込むさ」

「雑なアイデアね」

「雑か?」

「誰か、槍になりそうなものを持ってきて!」

 ジゼル様の言葉に何人かが動きました。

「槍の先端にダイナマイトをつけて投げるわ。それだけで、飛距離が伸びる」

 周囲の方々に説明するように叫びます。

「銃を持っている者は、適宜鮫に向かって銃撃! 近づけさせないで!」

 男たちが、再び銃を抱えて立ち上がります。

「一艘、ボートを用意しなさい! 松明も忘れないように!」

 船員たちに叫びました。

「何をする気だ」

 エドワード様がジゼル様に問いかけました。

「この船は沈むわ。だけど、まだ浮いててもらわないと困るの。だから、この船ではなく、ボートで戦いを挑むわ」

「ボートの人間が帰ってこれないぞ」

「私が行きます。これでも貴族の家に生まれましたので、貴族の義務は理解していますわ」

「では、男の矜持も理解してほしいな。俺が行く」

「死ぬのは一人で十分ですし、私はあなたを犠牲にして生き延びる気はありません」 

「それはこちらのセリフでもある。女一人に鮫の相手をさせたとあっては、船乗りの名折れでね」

 お二人がにらみ合っているため、私はお声をかけさせていただきました。


「お二人で行けばよろしいのでは? ついでに私も参りますが」

「「何でお前も行くことになってるんだ!」」

 見事なハーモニー。仲のよろしいことで素晴らしい。

「私が行きませんと、お二人が喧嘩になりますから。それに退治した途端、エドワード様がジゼル様に邪な気持ちを抱いてしまったら、私が止めないといけませんので」


 エドワード様が絶句しています。

 それを見て、ジゼル様が笑っていらっしゃいます。


 ええ。お笑いになられるジゼル様はお美しいのです。いつまでも暗いお顔は似合いません。

「さて、鮫ごときに私の人生の邪魔はさせません。さっさと退治してしまいましょう」

 ジゼル様は、そう言ってお笑いになりました。


 ボートを海に降ろします。

 結局、お二人とも納得いただき、私たち三人が乗っています。


 オールを握るのはエドワード様。

 へさきに立って、連発銃を構えるのはジゼル様。

 私は船尾で舵を握っています。

 煌々と炊いた松明が海に映えます。

 当然、鮫もこちらを見ています。


 海面が持ち上がり、鮫が浮上してきます。

「来るわ!」

 ジゼル様が叫びました。

 銃を構えます。

 エドワード様も槍を手に取ります。


 鮫がジャンプしました。

 ボートは、まるで水面に浮かぶ木の葉のように揺れました。

 ですが、転覆には至りません。


 揺れる中、ジゼル様の正確な射撃は鮫の身体を傷つけていきます。 

 鮫はこちらに向かってきました。

 大きな口を水面に出して、私たちのボートを噛み砕こうと。

「今よ!」

 エドワード様が、松明に導火線をかざし、火がついたのを確認して、槍を口に向かって投げました。

 鮫はそれを飲み込みながら、ボートを噛み砕きに進んできました。


「飛び降りて!」

 ジゼル様の叫びとともに、ボートが鮫の顎に捕まりました。

 私たちは三者三様に飛び降ります。

 そして、鮫の頭が爆発しました。


 轟音とともに、血飛沫が飛びます。

 文字通りの血の雨となりました。


 私は浮輪に身体を預け、お二人を探しに移動します。

 すると、ボートの残骸に腰をかけたジゼル様とそれに掴まるエドワード様がいらっしゃいました。


「よう。生きてたかメイドさん」

「はい。ジゼル様を残して、先に逝くことなどできませんので」


 フランシーヌ号から新しいボートが降りてきました。私たちを迎えに来てくれるのでしょう。


「さて、鮫は倒したが、船が沈むのは止められないよなあ」

 エドワード様が呟きます。

「そうね。でも、私たちの幸運は、それほど尽きてはいないみたいよ」

 ジゼル様が、そう言って彼方の方角を指さしました。


 そこには光が見えました。

 こちらに向かってくる船の光。


 救援の船がやってきたのです。


「助かった……、か」

「そうですわね」

「お嬢さんのおかげで助かったよ。本当にいるもんだな。女神ってやつは」

「私は、女神ではありませんよ。神は自ら助くるものを助くのですよ」

 ジゼル様の言葉にエドワード様が笑った。

「いい女だな。あんた。すげえいい女だ」

「そうよ。いい女よ」

 ジゼル様も満更ではなさそうです。


 どうも、あんなクソ王子のことは吹っ切れたのかもしれませんね。

 たしかに男性としては、エドワード様の方が魅力があるように思われます。

 とすると。


「エドワード様は、いすれかの家名を持たれていらっしゃいますか?」

「え?」

「え? シュシュ!」

「一応、親父は子爵だ。ただ、五男坊なので財産なんか当てにされても困るが」

 ふむふむ。子爵家の方ですか。

「大変失礼なことを伺いました。ジゼル様をよろしくお願いいたします」

「わかった。よろしくされよう」

「二人とも、私の目の前で茶番劇はやめてほしいのですけど」

「出過ぎた真似をいたしました。以後、慎ませていただきます」

「いい従者を連れているな。君は」

「そうね。自慢の従者よ。シュシュは」


 夜の闇が明けていきます。

 シゼル様の闇も明けていくでしょう。


 私たちは助けに向かってくるボートに手を振りました。


 フランシーヌ号の向こうから太陽が昇ってきます。

 全てが光の中に。

 新しい朝がやってきました。

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