3.曽田さんの妹

 次の日の月曜の夕方。ぼくは学校帰りに曽田さんと待ち合わせて、彼女の家に向かっていた。

 彼女の家はバスで二つ分先の比較的裕福な人達が住む地域にあって、恐らくぼくの家より数段いい感じのマンションだった。いきなり会うというのもなんだということで、ぼくは曽田さんと曽田さんの家のリビングでとりあえずお茶をごちそうになっていた。


「御蔵島君、今日は来てくれて本当にありがとう」

「ううん、それにお礼を言われるようなことはまだしてないよ」


 改めてそう言われるとちょっと落ち着かなくなって、そわそわする。追い込まれているような気分も同時に味わうけれど、自分で了承したことだから責任を果たすことに向けてできるだけの努力はしたい。ぼくは手にしたティーカップをテーブルに置いて彼女に訊ねた。


「妹さんはどうして不登校になってるの?」

「それは……何か友達との間で少し行き違いがあったみたいで……」


 曽田さんは言いながら、傍の棚に飾られた家族写真を見る。写真には曽田さんの両親と曽田さん、それとその三人に囲まれて満面の笑みを浮かべる女の子が写っている。

 曽田さんが語ったところによると彼女の妹、純菜じゅんなは子供の頃から明るい性格で、いつもみんなの中心にいるような子だった。おしゃれで話し好きで顔も愛らしい。小学生の頃から人気者だった彼女のその立ち位置は、中学生なっても変わることはなかった。けれど夏休みも間近に迫ったある日、前日まで仲良くしていた友達が急によそよそしくなった。翌日には口も利いてもらえなくなり、じきに存在すら無視されるようになった。関係の修復もなく夏休みにそのまま突入し、家にいても塞ぐことが多くなった彼女は、休みが明けても学校に行かなくなった。


「理由は分からないの?」

「うん……純菜に訊いても分からないって。だからずっと悩んでるみたい……お父さんもお母さんもとにかく登校してみようって言ってみるけど、駄目で……私も力になりたいんだけど駄目で……妹のことなのに……」


 事情を聞けば聞くほど事は深刻そうで、ぼくの不安も募る。けれどただ募らせているだけでは何にもならないのは分かっていた。自信もなく策も浮かばないけれど、ぼくはとりあえずソファから立ち上がった。


「……それじゃ妹さんとちょっと話してみるよ。ぼくと話してくれるかは分からないけど」

「ありがとう、御蔵島君、お願いするね。それに純菜だけど、そんなことはないと思うよ。言ってなかったけど御蔵島君、純菜が小学生の時好きだった男の子に少し似てるから」

「えっ? そうなの?」

 思わず訊き返すと曽田さんは少し笑ってから、ぼくを妹の部屋の前まで案内した。足を止めた後もう一度こちらを見て、部屋の扉をノックした。


「ねぇ純菜、園美だよ。昨日話してたお姉ちゃんの友達が来てるんだけど、開けてもいい?」

 曽田さんが声をかけると、しばらくの沈黙の後に扉が開いた。隙間から顔を覗かせたのは、先程見た写真そのままの可愛らしい子だった。彼女は俯き加減に曽田さんを窺うと、ぼくの方もちらりと見た。


「それで?」

「ちょっと三人でお話ししようよ。純菜、しばらく家から出てないでしょ? 気分転換にもなると思うし」

「……気分転換? うわべだけの仲良しこよしでくだらないお話しして? そんな馬鹿らしいことしても私の気分は変わらないし、これからもしない! もう放っておいてよ!」

 昂ぶった声が響いて、扉がバタンと大きな音を立てて閉まった。けれどもなぜかまたすぐに開いた。

「やっぱ、ちょっとだけ気が変わった……だけど話すのはそっちのお姉ちゃんの友達だけ……」

 妹はそのように言って、ぼくの方を再度ちらりと見た。曽田さんは困惑顔でぼくの方を見るけれど、ぼくはと言えばこの時点で既に現状にビビりまくっていたのだけれど、ここで踵を返す訳にもいかなかった。


「そ、それじゃ、お言葉に甘えて……」

 恐る恐る返すと、妹の純菜が中に入れるように扉を開けてくれる。部屋に足を踏み入れると、彼女は再びバタンと扉を閉じた。

「えーと、なかなか女の子らしい部屋だね」

 部屋の中を控え目に見回して、ぼくは無難な感想を述べる。カーテンが引かれた室内は薄暗かったけれど、ピンクと白を基調とした家具が並び、可愛い小物やぬいぐるみが所狭しと置かれているその様相はその言葉どおりのものに見えた。


「別に。こんなの全然普通。ねぇ、そんないつまでもじろじろ見てないでそこに座れば」

 彼女はベッドに腰を下ろしながら、床上の大きめのクッションを目で示す。

「は、はい……」

 ぼくは逆らうことなく、彼女の命令どおり指定されたクッションに腰を下ろした。この後はどうすればいいか考えていると、やや大きめのため息が届いた。


「それでさぁ、あなたはなんて言って私を慰めてくれるつもりなのー? えーっと、要君?」

 純菜はベッドから床上のぼくを見下ろして、皮肉めいた笑みを浮かべていた。いきなり名を呼ばれたことに関しては、多分曽田さんから事前に聞いていたのだろうと思う。三つ下の初対面の女の子からの突然のタメ口感にも多少驚くけれど、これからのことを考えるとかなりどうでもいいことなので受け入れることにした。


「えーと、慰めると言うか、君がぼくに何か話して、それで少しでも気が紛れればいいかなとは思ってる」

 とりあえずそう伝えると、彼女は薄暗がりの中で考え込むような顔をした。けれど不意に立ち上がり、ぼくの傍まで歩み寄ると間近で見下ろす位置に立った。


「あのさ、今気が紛れればって言った? なんかそれ、ちょっとムカつく感じの上から目線なんだけど。なんかさ、あんた救世主にでもなったつもり?」

 彼女は言い終えるとぼくの腕を取り、強引に立ち上がらせると部屋から追い出した。

 バタンと三度扉が閉じられ、廊下で待っていた曽田さんと顔を見合わせる。

 純菜には言い訳の余地さえ与えられなかった。一体何が駄目だったのかと言えば、多分全部が駄目だったのだろうと思う。

 苦笑したぼくに曽田さんは申し訳なさそうな苦い表情を返して、二人でその場に立ち尽くした。

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