2.小二と幼馴染みと犬の思い出
その夕方、ぼくは最寄りの駅に降り立っていた。
別の路線になる曽田さんと草野とは、二駅前に別れていた。
ぼくは隣にいる可奈子とマンションまでの道のりを歩いていた。
今日一日彼女と過ごして分かったことがあった。可奈子と草野は、ぼくが思っていた以上の間柄のようだった。決してその逆とは思っていなかったし、願ってもいなかったけれど本当にそうなんだなぁと、揺るぎない現実を実感していた。
なんとなく話すこともなく、無言のまま歩いていると道は小学生の頃、通学路だった辺りに差しかかっていた。
ぼくは当時のある出来事をふと思い返す。小学二年生だったある日、ぼくは可奈子と一緒に下校していた。夏の初めの天気のいい夕暮れだった。
他愛のない子供同士の会話をしながらぼく達は歩いていて、道の向こう側から大きな黒い犬が近づいてくることに全く気づいていなかった。かなり近くまで歩み寄ってしまってから、ぼくと可奈子は犬の存在に気づいた。犬は首輪をつけていたけれど飼い主の姿は傍になく(多分迷い犬だった)、辺りもちょうど家々が途切れた寂しげな三叉路で、他の通行人の姿もなかった。
ぼく達は不安と怖れに後退った。今思えば飼い主とはぐれた犬も、怯えていたのかもしれない。その場に互いの怯えが充満し、一触即発の雰囲気が張り詰めた。
すると突然可奈子が駆け出した。可奈子の姿はあっという間に来た道の彼方に見えなくなって、ぼくはその場に取り残された。依然ぼくと犬が牽制し合う状況が続いた。けれどぼくはほっとしていた。あのまま膠着状態が続いても解決策も浮かばず、大型犬に立ち向かえる度胸も無論ないぼくは、当然ながら可奈子のことも守れない。一人になって心細かったけれど、これで可奈子に危険が及ぶことはないと思えば、安堵感の方が大きかった。
でも可奈子はすぐに戻ってきた。
どこで手に入れたのか彼女は自分の身の丈ほどもある竹ぼうきを手に戻ってきて、両手で握ったそれを犬に向けて力任せに振った。目の前を通り過ぎたほうきに犬が怯み、ぼく達はその隙を突いて今度は二人で一緒に走った。
可奈子はあの時、場から去ったのではなく、友達を助けるために危機に対抗できる術を手に入れて戻ってきた。いつもはおっとりしている可奈子が見せたあの力強い一面に、ぼくはとても心惹かれた。今でも時に思い返す大事な思い出だった。
「要、今日はありがとね」
「ううん、こっちこそ楽しかったよ」
正面にマンションが見えてきた頃、可奈子が呼びかけた。彼女が草野と手を繋ぐ姿や、彼女が草野と笑い合う姿や、それ以外の親密そうな場面を他にもたくさん目にしたけれど、可奈子達と一緒に過ごせたことは自虐ではなく、本当に楽しかった。だからぼくはその感じたとおりの言葉を伝えた。
「要……」
先程まで笑顔だった彼女が不意に表情を変えて、こちらを見上げた。
「ん? なに?」
「私のこと……もっと頼ってくれてもいいんだよ?」
「……」
「要とは半年前のあのこと以来、時々一線を引かれてる気もして少し悲しい……」
そこには少し陰を落とした幼馴染みの姿がある。うつむく彼女は呟いて、瞳を伏せる。ぼくは沈んだその気配を消し去りたくて口を開いた。
「そんなことないよ、可奈子。全然そんなことない」
「……本当に? 私はずっと変わってないよ。要のこと、ずっと家族だと思ってるから……」
「うん、分かってるよ。ありがとう、可奈子」
嘘ではなく、本当の思いでそう応えるけれど〝家族〟と言われたことに悦ばしいような哀しいような感覚を味わう。でも、虚しくはない。
「そうだ、要。今晩家においでよ。朝、お母さんが夕ご飯に誘えって言ってたんだ。時雨ちゃんにも声かけてるはずだから、もう一緒に待ってると思うよ」
いつもの笑顔を取り戻した可奈子に、ぼくは頷く。
並んで再び歩き始めると、様々な感情を交えた何かが足元からやって来る。色々あるけれどこの関係はまだ継続できそうではある、と思う。
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