3.何の因果か遊園地ダブルデート/中学の同級生、曽田さん(優しい)とその妹(クソガキ)/暗がりで地面を掘る男
1.日曜、遊園地
怪我もほぼ癒えた九月の終わりの日曜日。
ぼくは大勢の人で賑わう遊園地にいた。なぜここにいるのかと言えば、話は昨日の夜にさかのぼる。
昨晩十時頃、凛太朗から電話があった。思い起こせば確かに夕方に別れた時も少し具合が悪そうではあったのだけれど、彼は夜遅くになって発熱と激しい腹痛に襲われていた。
「えーっと、具合が悪いのは分かったけど、それでぼくに何を? 凛太朗の具合がよくなるように子守歌でも歌えばいいのかな? 確かにすごくつらそうではあるんだけど」
『違う……頼みがあるんだ……』
途切れ途切れの返事が戻り、電話越しでも分かる具合の悪さも重々伝わってはいたのだけれど「頼み」という毎度のその言葉にぼくは身構えた。
『明日……櫻井のつてで女の子に会うことになってたんだ……でも、どうにも行けそうもない……だから要、代わりに行ってくれないか……』
いつもほど無体な話ではなかったけれど、また違う意味で無体ではあった。その上どう考えても得意分野の匂いがしないその頼みを回避するために、ぼくは言葉を返した。
「あのさ、代わりって言うけど、それってぼくが代わりに行って成り立つようなものなの? この電話はぼくにじゃなくて可奈子にして、別の日にしてもらえばいいんじゃないのかな」
『……確かに要は俺の代わりにはならないかもしれない……だけど別の日にはできない……明日は櫻井と、櫻井が連れてくる女の子と、櫻井の彼氏の草野とで行く予定だったんだ……』
「あ、そう、なんだ……」
戻った言葉にぼくはそのようにしか答えられなかった。どんよりした感情が背筋を伝って、ちょっとへこみもする。「そんなもんに行けるかぁ!」と激高して拒絶するほどではないけれど、どうにも避けて通りたくもある。メンタルは弱い方じゃないけど、可奈子と草野の姿を敢えて眺めて愉しめるほどの被虐心はまだ残念ながら心得ていない。できれば凛太朗の方から引き下がってほしかった。
「うん、凛太朗の言い分は分かったけど、それでその集まりにぼくに行けと?」
『頼む、要……俺が行かなかったら呼ばれた女の子が一人になってかわいそうし、急にキャンセルするのも悪い……こんな間際になって断ったら、櫻井にも迷惑がかかる……この予定そのものも中止にするかもしれない……』
そんなことを言われてもぼくには関係ないと、言い切ることもできただろうけど何も言えなかった。ぼくが断ればその影響がドミノ倒しのように広がっていって、その先には残念そうな可奈子の顔がある。その隣にはまだ見知らぬ女の子の顔も。あとついでに草野も。で、結局ぼくは凛太朗の頼みを断れなかった。
そんなことがあって、ぼくはその代打ダブルデートの現場でもある遊園地の入り口ゲートにいる。
傍には今日凛太朗が会うはずだった女の子がいる。
彼女の名は
「えっと……今日は御蔵島君が来るとは思ってなかった……」
不意にその言葉が届き、ぼくは咄嗟に恐縮の表情を作って彼女を見る。確かに男前の凛太朗の代打がぼくであるのは不備があろうと思う。でもこちらを見る曽田さんの顔にはそういった非難めいたようなものはなくて、ただ困惑があるだけだった。
「あのね御蔵島君、私……」
「お待たせー」
彼女が続けて何かを言いかけた時、入場チケットを買いに行っていた可奈子達が戻ってきた。曽田さんは何かを言いかけた顔から友達を出迎える顔に切り替えて、「もー、遅いよ-」と応えながら何もなかったように笑顔を見せた。
曽田さんが一体何を言いかけたのか気にはなった。けれど今はそれ以上に意識を向けることがあった。
仲良く会話する可奈子と曽田さんの背後には草野の姿がある。目が合った刹那、彼とぼくとの間には、瞬時に冷たくもあるような微妙な空気が流れていた。女子同士ではないから敢えて親しげに交流しなくてもいいけれど、草野の方からは〝彼女の幼馴染みだから仕方ないけど本当は好きじゃない〟感が時折送り込まれてくる。でも互いに〝今日の和やかな雰囲気は壊したくない〟という思いは共通しているはずなので、ぼくは曖昧に作った笑みを草野に送り返した。
「じゃ、さっさと行こうかー」
本日の幹事でもある可奈子が明るい声を上げて、先導してゲートをくぐる。
今日のこの催しの本来の目的は、可奈子なりの〝鈴木君を励ます会〟だった。あの件以降、少し元気をなくしていた凛太朗の気分転換にと、新しい彼女を紹介するとかそういったノリではなく、みんなで無心に一日を楽しもう、という趣旨のものだったらしい。主賓は欠席してしまったのだけれど一旦計画したものだし、遊園地の割引券期限が今月末で終了してしまうという理由もあって、当初の予定を続行するに至ったらしかった。
晴れているおかげもあって遊園地の来場者は多くいた。その人達の合間を縫うように歩み寄った可奈子が傍に立った。
「要、今日は来てくれてありがとう」
「ううん、ちょうどよかったよ。暇だったし」
ぼくが来なくても今日の予定は結局変わらなかったみたいだけれど、来た以上は友好的代打の役目を果たしたかった。笑いながら返事をすると、可奈子は少し安心したようだった。でもすぐに心配そうな顔をした。
「だけど……鈴木君のことは心配だな。相当具合悪そうだったし、大丈夫かな」
「ああ、凛太朗のことなら心配しなくていいよ。図体はあのとおりでかいし、元々バカみたいに丈夫なんだよ。小三の時にジャングルジムから落ちて、腕を骨折したのに気づかないまま翌日遠足に来た奴だから。そのまま一日楽しんだ上に、その後は人の倍以上は速く治ってたし」
「えー、それホントにー?」
隣の心配顔にその逸話を話すと、彼女は再び笑みを見せてぼくの肩を軽く叩いた。
「じゃ、今日は楽しもうね」
そう言って可奈子は草野がいる方に戻っていった。
前方を歩く人の合間に二人の姿が見える。とても自然に近づいた手が引き寄せられるように繋がれる。
そこにいる可奈子との距離は一メートルほどもないけれど、実際は多分、もっとある、気がする。
「どうしたの? 御蔵島君、魂、抜けたみたいになってるよ」
入れ替わりに隣に来た曽田さんにそう指摘されて、ぼくは抜けかけていた魂を引き寄せて彼女の方に向き直った。
「えっ、マジで? ちょっと考えごとしてただけなんだけどなぁ。それより今日はよろしく、曽田さん」
「うん、よろしくね、御蔵島君。じゃ、行こっか」
曽田さんは少しはにかむように笑って、ぼくを促した。
その後、ぼく達四人は遊園地の様々な楽しいアトラクションに挑むことになる……のだけれど、ぼくは一つ失念していたことがあった。
絶叫系から全年齢向けまで。ぼくはどのアトラクションもほぼ平等にあまり得意ではなかった。絶対ダメ! 無理! というほどではないのだけれど、各々を純粋に愉しめる術を会得しておらず、でもそれなりに大丈夫だろうと思っていたのだけれど、想像以上に結構無理があった。
「御蔵島君、ジェットコースターでずっと目を瞑ってたら意味ないよ」
「……う、うん……」
「御蔵島君、船のアトラクションのお兄さんが話しかけてきても、ずっと固まったままだったよ」
「……うん……」
「御蔵島君……くるくる回るの、苦手なんだね……」
「うん……ごめん……」
曽田さんは異様な緊張状態でいるぼくを根気よく気にかけてくれたのだけれど、ぼく自身はついにコーヒーカップに乗った直後に嘔吐を催してしまった。取るものも取り敢えずトイレに駆け込んだぼくを曽田さんはずっと待っていてくれて、ふらふらしながら出てきたぼくに「はい」と冷たい飲み物を差し出してくれた。
「……曽田さん、ごめんね、本当に……」
ぼくは彼女の優しさに心からの感謝を感じながら、心からの謝罪を告げた。曽田さんは自分のジュースを手に取って、笑顔を返した。
「そんなに気にしなくていいよ。私だってお化け屋敷は苦手だし、誰にだって不得意なものはあるから。あ、でももし私に向かって吐いてたら、鼻にパンチしてたかも」
ぼくはつい、鼻にパンチのところでアガりそうになるけれど、現状を考えれば的確な場面ではないのでそれは散らす。代わりに冷たいジュースに口をつけた。
「私はそれなりに楽しんでるから大丈夫だよ。それに朝一度言いかけたけど私、今日来たのが御蔵島君で、ちょっとほっとしてるんだから」
「ほっとしてる?」
「だって鈴木君、手が早そうだから」
その言葉にぼくは笑みと同意を返す。でもそれは確かに真実だけど、その代わりがぼくなのはよかったのか悪かったのか、どうなのか。けれど彼女がほっとしていると言うのなら、それを由として素直に受け取るのが多分正しい。
「そろそろ行こうか。可奈子達が待ってるよ」
ベンチから立ち上がった曽田さんが声をかける。「うん」と頷いてぼくも席を立った。
その後、ぼく達は近くで待っていた可奈子達と合流して、次の目的地となる観覧車を目指した。曽田さんは「くるくる回るの大丈夫?」と心配していたけれど、スピード感もリアクションも必要ない観覧車がかなり大丈夫な方の乗り物であるのは、本日一番自信が持てる事実だった。
「
「……うん、本当だね」
観覧車はゆっくりと回る。向かい側に座る曽田さんの言葉にぼくは頷く。一つ前のゴンドラにいる可奈子と草野の姿は目視できないけれど、今日一日一緒にいればそのことは誰にでも伝わることだった。
ぼんやりと下の景色を眺めて、ふと顔を上げる。すると曽田さんと目が合う。彼女はなぜか少し物憂げに笑って呟いた。
「あのね、御蔵島君は私のこと、今日以外では全然知らなかったと思うけど、私は御蔵島君のこと、ちょっと知ってるんだよ。中一の時、環境委員やってたよね?」
彼女に問われ、ぼくは確かそうだったと思い出して頷く。
「今ぐらいの季節だったかな。誰かが学校に侵入して、一教室まるごと荒らされたってことがあったよね。その時環境委員が率先して片づけることになったんだけど、みんな面倒がって一人の一年生に押しつけて帰っちゃった。でもその人は一人で黙々と続けて掃除を終わらせた」
彼女に語られ、そのことも思い出した。学校に侵入した賊は教室の机や椅子を投げ散らかし、窓ガラスを割り、ご丁寧に校庭の土を床中にぶちまけた。その滅茶苦茶になった様を修復するのは確かに大変だったけれど、一人でへとへとになるまで身体を酷使する行為は悪くなかった。この件は割といい方の思い出として記憶に残っていた。
「その時、声をかけた一年生がいたでしょ? あれ、私なんだ。詳細はその時知らなかったけど、一人きりで一生懸命掃除してる御蔵島君を見て、我慢強い人だなぁって。あの時『一人で大丈夫』って答えたでしょ?」
確かに事実はそのとおりだけれど、曽田さんが思っているものとは心理的なズレがある。でもそれを告白する雰囲気でもなく、ぼくはただ悶々とした。
「半年前のことも聞いたよ……でも今日御蔵島君と会って前と変わらない感じだったから、こう言っていいのかな? 安心してる」
「……」
そのように告げた後、一人で話しすぎたと思ったのかぼくが黙ったのをきっかけに、曽田さんも黙ってしまった。彼女がもう一度口を開いたのは、観覧車がちょうどてっぺんに来た時だった。
「あのさ、御蔵島君、私、妹がいるんだ」
唐突なその問いかけに少し戸惑ったけれど、ぼくはそのまま会話を続けた。
「そうなんだ。妹さんとはいくつ離れてるの?」
「三つだよ、今中学二年生。だけど今不登校になってるんだ……」
「えっ? それは……大変だね……」
「それで御蔵島君、お願いなんだけど今度妹に会ってみてくれないかな」
「えっ?」
少しヘヴィな内容に戸惑いながら相槌を打っていると、驚きの言葉が続く。
「御蔵島君みたいに逆境に強い人が話してくれたら、部屋に閉じこもってる妹の気持ちも少し変わるかもしれない。図々しいお願いなのは分かってるけど、考えてみてくれないかな。一度でいいから」
驚きの次は困惑を感じるしかなかった。一体どこをどう巡って彼女はその考えに行き着いたのか。
曽田さんは明らかにこちらを買い被っている。彼女が言う逆境に強いかどうかはもちろん疑わしいし、不登校の妹を諭せるほどの度量も持ち合わせていない。それ以前に今彼女の目の前にいる相手は、誰かに何かを言えるほどの人間ではなく、その権利も持ち合わせていない。そのことは今日の何よりも確定的な事実だった。
感情とリンクするように観覧車は下り始めている。
曽田さんは再び黙ってしまった。ぼくも黙り込む。
けれど本来なら断るべき曽田さんの頼みを、即断で拒否できなかった。
彼女は久しぶりに再会した元同級生に縋るほど、妹のことで本当に行き詰まっているように見えた。ぼくにこんな頼みをするのはきっと勇気がいったと思う。それにこれは完全にこちら側の事情になってしまうのだけれど、今日こんなぼくに優しくしてくれた彼女の頼みをなんだか無下にはできなかった。
地上がゆっくりと迫っていた。ぼくは観覧車が地上に辿りつく前に彼女に声をかけていた。
何もできないかもしれないけど、会ってみるだけなら。
そう告げると彼女は驚きの表情の後に弱々しい笑みを見せた。この決断に後悔はなかったけれど今更責任を重く感じて、「はは……」とぼくは力なく笑った。
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