6.報復だよ、全員集合!

「おい、お前」

 今夜はもう無理だと諦めて、ぼくが家路につこうとした五分後のことだった。

 それはドラマや映画の中で見たことのある、そんな展開の始まりを告げる言葉だった。


「お前、彼女にしつこくつきまとってるんだってな」

 突然行く手を遮られ、有無を言わせぬ見知らぬ彼らに取り囲まれたぼくは、そう言われながら何度も背中をつつかれつつ、暗い路地の奥に追い込まれていた。辿りついたそこは周囲の建物が迫り来るように閉鎖的で、こんな感じのことが起こるには本当におあつらえ向きな場所だった。


「だせぇガキが、こーゆー所にのこのこ来んじゃねーよ」

 他には誰の姿もなく、誰も来そうもないそんな場所で、ぼくは体格のいい四人の男達に囲まれて、足が竦んで震える濡れ小鼠のようになっていた。


「おいおい、チビってんじゃねーのか? このストーカー野郎が!」

 髪型とか服装とか、ぼくのこれからの日々に決して縁がなさそうな風貌をした彼らは、俗に言うイケてる人達とか呼ばれる人種だと思うけれど、今のぼくには面白い遊び道具を見つけた捕食動物にしか見えようがない。


「おい、聞いてんのか?」

 彼らにこうするよう脅しのお達しを出したのは多分恐らく間違いなく、三浦カオルだ。

 目的の相手の前で偽りの姿を完璧に取り繕える二面性だけでなく、たった五分の間にこうした根回しを遂行できる彼女の人脈と手腕には、ちょっと感心せずにはいられない。


「おい、なんとか言えよ」

 四人のうちの一人がぼくの肩を突いて、ぼくはよろけた。

 ここでぼくが何と答えようと、きっとこの先の展開は変わらない。ぼくはこの人達に痛めつけられて、もう二度と彼女につきまとったりしないと約束させられる。それは変わりようのない確定事項のはずだった。


「口がねーのかよ、キモい奴」

 一番近くにいた青いシャツの男が、ぼくをひっぱたいた。衝撃が鼓膜まで響いた。 その痛みに身を捩ると、今度は眉尻にピアスをした男が「ほらよ」と腹を蹴った。


「ぐう」

 という呻きが本当に出た。近々に胃に何も入れていなくてよかったと改めて感じる。その声を聞いて笑った黒いTシャツの男が、ぼくの顔面をぶん殴る。一応身構えはしたけれど、脳にまで衝撃が来て思考が一次停止する。その隙を突いて背中を思い切り蹴飛ばしてきた金髪の男に地面に倒された。


「まだ寝るのは早いぜ」

 倒れた頭上から落とされた誰かの臭い台詞に失笑が湧くけれど、地面に伏すぼくの現状は既にそんなところではない。たった四度の攻撃を食らっただけで感じたのは、体格と経験に差があるぼくと彼らの間にはとても大きな距離があるということだ。暴力に抵抗のない四人の男達に囲まれたその後のぼくの様相は、暗がりで舞う紙ペラみたかった。


 ラリアットを食らった。

 胸部に入る高い蹴りを食らった。

 腹を殴られて身体を折ったら、背中に肘が落ちた。

 地面に倒れたら背中や脚を踏まれて、何度も立たせられた。


「こいつ、マジで笑える。全然抵抗しねーし」

 彼らの間を順番に回される蹴鞠のように、ぼくは降りかかる暴力に翻弄された。

 連続する深い痛み。多くの擦り傷と打撲。時々飛び散る血。痛い痛いと全身が言っている。こんな類の暴力に悦楽は感じないけれど、耐えられる術は知っている。けれど実在する痛みがあることに変わりはなかった。


 中でも黒いTシャツの男がとても執拗だった。

 多分DVとかするタイプ。もし間違ってたら謝ってもいいけど、きっと間違ってない。

 他の三人が単調すぎる一方的な暴力にいい加減飽きてきても、この男だけはやめなかった。ぼくがもう起き上がれなくても興奮したまま、やめなかった。


「おい、それはやめとけよ、ホントに死んじまうぞ」

 ぼくは地面に倒れたまま、その声を見上げた。

 黒Tシャツは、その場に打ち棄ててあった一抱えほどもあるガスボンベを持ち上げていた。仲間が注意しても、黒Tシャツは構わずそれをぼくの頭上に翳した。

 ぼくはなんだかそれに既視感を覚える。その行為が死に届く可能性に近いことを伝聞したくなるけれど、これはになるのかな、と思った。


「要」

 覚えのある声が聞こえた。


「おい、見張り役の奴がいただろ!」

 届いた声に反応した男の一人が僅か焦った声を上げる。

 ぼくは見張り役がいたのか、だから誰も来なかったのかとか思うけれど、結局こんなことに首を突っ込みたがる人がこの近辺にいるとは思えないな、と地に伏しながら虚ろに思う。


「随分重傷そうだな」

 路地の入り口に立つ、半年前からぼくの部屋の押し入れに住んでいる黒い服を着た少女が声をかける。

「……割と、そうでもない……」

 みっともなく掠れた声を返すと、時雨は口元で少し笑った。


「おい! なに勝手に近づいて、なに勝手に会話してんだよ!」

 男の怒鳴り声が響いたのと、それは同時だった。

 黒Tシャツは、歩み寄ろうとした時雨の身体を迷いもなく蹴り飛ばした。

 時雨の身体は横に吹っ飛んで、地面の上を簡単に滑っていく。

 黒Tシャツはぼくの時よりも興奮を増した面持ちで、地面に倒れた相手の襟ぐりを掴んで引き起こした。あのさ、その子は何もしてないよね。DV男確定だな、とか思う。


「あーあ、きれーなお洋服が台無しだなぁ」

 耳元でそう言われながら顔を上げさせられた時雨の右頬が擦り剥けている。その白い肌に赤い血が線状に滲んでいた。

 だけど時雨は何も言わなかった。ただ相手を見上げて無表情でいた。


「クソ気持ち悪ぃ、ガキ」

 黒Tシャツはそう言い捨てて、今度は時雨の身体を放り投げた。

 時雨の小さな身体がバウンドして、汚れた地面の上に叩きつけられる。男はそれでも飽き足らず、もう一度それを繰り返した。

 その所業は箍が外れたとかそういうんじゃない。黒Tシャツは正真正銘のクズだった。突然そこに現れただけの、自分の胸の高さほどの背丈しかない十才そこそこの少女に、本気の暴力を与え続けている。クソみたいな得意顔で。

 その上ぼくはその酷い行いを制止させることもできずに、廃棄間近の雑巾以下の姿で地面に突っ伏している。


 男が時雨の髪を掴んで、地面から引き起こした。

 時雨の完璧な黒い衣装は、泥と汚水まみれになって見る影もない。

 傷と泥で汚れてしまったその顔を覗き込んで、黒Tシャツはしたり顔で言い放った。


「ガキがこんなことに首を突っ込むからだよ」

「本田ぁ、ちょっとやりすぎじゃねぇ?」

「ああ? こいつが若い女だったら犯るけど、ガキすぎてそれもできねぇ。こんくらいやんねーとオレのソウルが満足できないんだよ」


 なんだそれ、とまた失笑が湧きそうになるけれど、言い様男は時雨の身体を壁に向かって放り投げた。その衝撃で時雨の眼帯の紐が断ち切れて、宙に舞って落ちた。


「それにこのガキ、こんなコスプレみたいな格好しやがってよ。オレはこういう奴を見るとゾッとすんだよ」

 男が時雨の顔を再度覗き込んで、にやにやと嗤う。でもその嘲笑は、顔の筋肉が急に消失してしまったみたいに消えた。


「な、なんだよ……お前、それ……」

「もう、気が済んだか?」


 寸前まで暴力を受けていたとは思えない、冷静で冷たい時雨の声が響いた。

 見上げたぼくの目には、白い小さな羽根が映っている。

 それは空洞になった時雨の左の眼窩で、くるくると舞っていた。


「相手の度量をよく観察した後、必ず、まず、好きなようにやらせるようにしている。でも感謝はしてもらわなくて結構だ。私が、より、満足感を得るためだけにそうしている。だから感謝は不必要だ」


 時雨の擦り剥けたり赤くなったりしていた肌は、みるみると元に戻っていく。

 衣服の汚れや破れも、まるでなかったかのように修復されていく。

 元に戻らなかったのは、破損した眼帯だけだった。


「な、なに言ってやがる、このガキ!」

 男の声が震えていた。

 彼が今見たものは理解の範疇を超えている。

 訳の分からないものに対する恐怖。怖れの理由はそれだった。

 それはぼくにも伝わるほど、この路地に溢れていた。


「は、離……」

 時雨の小さな手が無言で男の手首を下から掴む。

 消え入るような男の声は最後まで発せられなかった。

 ばきり、と音がした。男の手首はない方向に折れ曲がった後に、糸が切れた操り人形のパーツみたいにぶらんとした。

 絶叫が響いた。

 そうだろうなぁ、とぼくは思う。想像するしかないけれど、その絶叫に値するほどの痛みが発生したのを鑑みるのはやぶさかではない。


 男が激痛に身を屈めると、そこに時雨の右足が振り上がる。

「ふぎっ」

 ああ、痛々しい、と思わず呟きが漏れる。

 顔面を直撃した時雨の爪先が、男の前歯の何本かを奪っていた。赤い液体が散って、白い物体が地面を飛び跳ねていく。続けて時雨の握りしめた拳が、男の脇腹を殴打する。男は失いそうになる意識を取り戻しながら無事な方の腕で反撃しようするも、素早い時雨に容易く躱され膝裏を蹴られ、身体が下がったところに頭突きを食らう。

 四十キログラムにも満たない華奢な身体から繰り出されているとは思えない、重い攻撃が続く。他の男達は仲間を助けようとしながらも、この異様な光景に二の足を踏んでいる。一人、二人と、仲間を置き去りにしてこの場から逃げ去っていくのに時間はかからなかった。


 先程自らが食らったものと同等のものを、全て返却すること。

 けれどそれ以上に相手の戦意を失わせ、徹底的な敗北感を植えつけること。

 時雨はその目的で以て、淡々と行動を重ねていく。

 相手の血と呻きが暗がりに飛び散る中、時雨は無駄な動き一つせず表情も崩さない。

 眼窩の羽根は優雅に舞い続けている。

 これは美しいと呼ぶものなのか。フリーキーなヴァイオレンスダンス。

 分からないけれど、ぼくは阿呆みたいに口を開けたままその光景を見続けていた。

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