2.片思いの幼馴染み、可奈子

「時雨ちゃんて朝でもあんな格好してるんだね」

 肩までの髪を揺らして隣を歩く、少しファニー顔の少女が訊く。


「ああ、あれはああいう生き物なんだよ」

 ぼくは少し笑って、そう答える。


「あはは、なにそれー、生き物? 変なのー」

 それに応える可奈子の元よりファニーな顔が崩れて、もっと愛嬌のある顔になる。


 彼女、櫻井さくらい可奈子はぼくが住むマンションの隣室に居を構える櫻井家の長女で、その家族ぐるみの付き合いはぼくの両親が三十五年ローンでここを買った時から続いている。


 小さい頃から互いを知っていて、現在では幼馴染みという肩書きに蝉澤せみざわ高校二年四組の同級生という要素も足されているけれど、そこにある関係性は甘酸っぱいそれでもなく、だけどもしょっぱいそれでもなく、喩えるなら奇妙な触感の珍味、無味無臭、といった感覚のものだろうかと思う。


 その喩えは自分でもよく分からない馬鹿丸出しな喩えだけれども、他に表現できる言葉がどうにも見つからない。でもとりあえずはっきりしているのは、ぼくは間違いなく時雨より可奈子に好意を持っていて、このゆるい関係性がこれ以下にはなってほしくない、できればこの関係性のままもう少し継続させていきたい、と心の中で日々強く願っていることだと思う。


「そういえばお父さんから聞いたんだけど」

 ぼくの肩ぐらいの背丈の可奈子が、見上げながら再び訊く。


「時雨ちゃん、休学してるんだって話だったから小学校のことかと思ってたけど、大学なんだってね。飛び級でイギリスの大学に留学してるって」

「あ……ああ、まあね……」


 ぼくはその話を肯定するような曖昧にするような、珍奇な笑顔で頷く。

 半年前に突然現れた時雨の存在は、そういうことになっている。もうちょっと補足すると、この春から一人暮らしになってしまったぼくのために父方のいとこである彼女(時雨)は大学を休学し急遽帰国、居候しつつ些か頼りない同居人(ぼく)の面倒を見ている、ということになっている。

 それは少々過剰な架空プロフィールではあるけれど、存在そのものに確固たる証のない時雨は、自ら作り出したその設定を確実に演じきることに迷いと隙がない。実体のないこれらの設定に関して幾らかの疑問を持たれようとも、彼女がその全てに対してそつなく対応する技と術を持っているのは間違いなかった。


「すごいよねー、今度私、勉強教えてもらおうかなー」 

 この嘘設定を疑いもなく、すんなり受け入れている可奈子は隣で未だ屈託ない笑顔を見せている。九月の爽やかな風がもう一度彼女の髪を揺らして、ふわりと漂った香りにぐっとくる。そこにはフィクションも過剰な嘘もない。あるのは純然たる心洗われる事実。ぼくは彼女の笑顔に少し調子に乗って、登校する生徒の波に乗って言葉を続けた。


「これさ、実は秘密なんだけど、時雨って一見可憐なゴス風味少女に見えるけど、中身は身長二メートルの強面の男なんだ。好きなものはイカの塩辛とコンビニのプリンと夕方の散歩。嫌いなものはクソベタなラブソングと元気をもらったって言葉。特技は目を開けたまま寝ることと、早着替えと利きコーヒー。その上五十メートルを三秒で走って、ポマードが弱点で、トレンチコートを着て暗がりから現れて訊くんだ。私、きれい? って……」

「……ねぇ、なんか、それって他のも混じってきてない?」


 言いながら隣でけらけらと笑う可奈子につられて、ぼくも笑う。

 好意とか言ったけど、ぼくは本当は可奈子が大好きだ。他との差別化を図ったキャラづけとかじゃない、少し天然だけどマジで善人。二年に進級する直前に一人暮らしになってしまったぼくを、毎度お節介なくらい気にかけてくれる。


 時々自分で作った料理とかお菓子とか、そんなものを差し入れてくれたりして、その味が異常に塩辛かったり、全く無かったり、それらがとてつもなくイマイチだったとしてもその行為自体がうれしい。それに対する見返りだとか、そうしたことで他者にどう見られたいとか、彼女は全然考えてない。そんな可奈子を見ていると何に対しても邪な悦楽を得ようとするぼくがとてもばっちい、矮小な人間に思えてきて心理的にとてもクる。だからぼくは彼女のことが大好きだ。


「よう、おはよう、櫻井」

「あ、おはよー」

 その時一人の男子生徒が後ろからやって来て、それに返す可奈子が少し顔を赤らめる。


 男子生徒の名は草野くさの弘樹ひろき。今年の夏前頃から可奈子の彼氏だったりする。

 草野は隣のクラスの隙のない感じのイケメン。ぼくのような一見そうであるかのような偽物的空気感は欠片も醸し出さず、本物の爽やかさがそこにある。……と、そのような当たり障りのない印象をぼくは草野に抱いているけれど、実際のところ草野のことはあんまりよく知らない。けれどここにいるはずのぼくのことを、さりげなく無視する程度の性格のよさがあることは知っている。


「ぼく、先に行くよ」

 ぼくには無縁な、ふわふわした雰囲気を漂わせようとしている二人に気を遣って声をかける。メンタルは弱い方じゃないけど、この場に意地悪く居座って無理に波風を立てることを趣味とする人間じゃない。

 少し早足で先の方に進んで一度振り返ると、可奈子は草野と楽しそうに話をしながら歩いていた。


 草野にはあんまり好かれていない。というか、あんまりどころか全くという気もする。でもそれがなぜかは分かっている。好きな子の周りに妙な雰囲気だだ漏れの異物になど、普通いてほしくないものだ。そのような相手に自ら積極的に歩み寄る義務もないし、忌避したくなる気持ちは当人にであるぼくにだって分かる。

 だからこんなぼくと継続して親しく付き合おうと試みてくれる奇特な人間は、そんなにはいない。というか、二人しかいない。幼馴染みである可奈子と、それともう一人。

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