3.腐れ縁の友人、凛太朗

「……おはよう、要……」

「うわぁ!」


 すぐ背後から突然声が届いて大変驚く。振り返った先には、背の高い男子生徒が立っている。


「……お、おはよう、凛太朗りんたろう

「あ、驚かした? 悪ぃ……」


 テンション低めの声で謝る相手をぼくは見上げる。彼はその奇特なもう一人の友人である、鈴木すずき凛太朗。

 トレードマークでもあるくせのある髪と洒落たデザインの眼鏡。背が高くスタイルもよく、彼はよく見ればびっくりするほどの男前だけど、なぜか時々というかほぼ毎回、相手にそのような第一印象を与えない無意識下の特技を持っている。

 表情の変化が少なく、少々猫背気味で制服のネクタイはいつも弛んでいて、それから感じる印象は不幸そう、とも取れる。名前が少し昔の文豪のようでもあるから、その人達を思わせる雰囲気も持ち備えていて、直に男前だと思わせない理由はその辺りもあるかもしれない。


「要、あのさ……」

「ん? なに?」

「ちょっと! 鈴木君!」


 相変わらずの低テンションで不意に呼びかけられ、返事をしたところでなぜか怒気を帯びた女子生徒の声が被さった。声の主はつかつかとやって来ると、凛太朗の前に立つ。ぼくの目の前に立ったから、今はその後ろ姿しか見えないけれども身体をわなわなと震わせていることから、届いた声以上に彼女が酷く怒っているのが伝わった。


「本っ当にあなたって、信じらんない! あんなに嫌だって言ったのにあんなことするなんて!」

 その声と共にパーン、と平手の音が通学路に響いた。

「私にまだ未練があっても、もう二度と話しかけないでよね!」

 言い放った彼女の表情がその時、斜め後ろから窺えた。その口角が満足げに、くっと上がる。彼女は確か隣のクラスの女子、名前は石田いしだ春奈はるなだったと思う。怒りの中にも微かな達成感を垣間見せて、彼女は捨て台詞を残して去っていった。


「……痛い……」

 凛太朗が思い出したように呟く。あまりにもきれいに入った平手にうらやましいという気持ちも湧き上がるけれど、呟きながらより暗さを増した凛太朗の手前、悪いと思うのでそれは堪える。


「……凛太朗、一体あの子になにした? あ、いや、やっぱり言わなくていい……」

 ぼくは問いかけるけれど途中でやめる。〝あんなこと〟の想像は大体できる。幼少の頃からの付き合いである彼の行動を推測するのは、他のことより比較的容易いことだった。


「別に……ちょっとアクロバティックな体位に挑戦しただけ……でも昨日は石田もノリノリだったんだけどな……」

「……」


 くせのある髪と洒落たデザインの眼鏡。背が高くスタイルもよく、そんな幼少時代からの友人でもある鈴木凛太朗は実はびっくりするほどの男前だから、とてももてる。だけど行動的にも感情的にも、どこか大雑把で、特に性的な倫理観がどうも少しずれているらしい凛太朗は、今までも数多くの女の子達から告白されて付き合うことにはなるけれど、最終的に長続きしたことは一度もない。

 ぼんやりとしていて何を考えているのか分からないことが多く、女の子達から見ればそこが無防備にも感じて、放っておけない感じがするのだと思うのだけれどその辺りの女子的感性には、なんだそれ? とぼく的にはツッコミを入れたい部分ではある。でも結論を言えば、彼のことを放っておけない部分がぼくにも多々ある自覚はあるので、結局ぼくも彼女達と同様の思考回路であるのは間違いないのだろうと思う。


「どうしていつもこうなるかな……」


 そんな呟きが聞こえ、ぼくは項垂れて歩く隣の友人を見る。

 ぶたれはしたけど、今朝のこの件はかなりマシな展開に終始した方だと思う。いつもはもっと修羅場と呼んだ方がいい展開が繰り広げられていて、そんな展開は過去にいくらでもあった。


 凛太朗はとても惚れられやすいけど、自らもとても惚れっぽいところがある。でも毎回彼が好きになるのは、なぜか一般的には「あれっ?」と思うような相手ばかりで、たとえ最初は表面上にそう出ていなくても、結局なぜか全員「あれっ?」といった感じの部分が見えてくる相手だったりする。彼は多分、そういった感じのものを嗅ぎ分けていて、そういった「あれっ?」といった感じのものに自ら突き進んでしまっている。それがなぜかと言えば、彼がそういった「あれっ?」という感じの彼女達に、無意識下に心惹かれているからだ。そしてそうやって始まった彼女達との関係には大抵マシな展開は用意されてなどおらず、そうなる事態は凛太朗が子供の時から続いていた。


 最初にそれを目にしたのは小学一年生の時だった。その半年後に恋愛沙汰で恋人を刺すことになる担任女性教師の手をぎゅっと握って離さなかったその姿は、まだ微笑ましくも見えた。でもあまり微笑ましくない状況かな、と思い始めたのは中一の夏を過ぎた頃だった。


 付き合っていた重度のファザコン彼女が二股をかけていて、そのもう一つの股の方が怖い感じのアレな人で、その彼に慰謝料という名の大金を要求されたのは中二の夏。付き合っていたコスプレ好きの電波系彼女が妊娠して、まだそういう関係になっていなかったはずなのに相手に詰め寄られて揉めて、その彼女に左の薬指を折られたのは中三の春。

 付き合っていた三十才年上の彼女から結婚するから別れてくれと言われて、色々悩んだあげく別れを了承したら、なぜか逆ギレされて包丁を持ち出されたのは中三の冬。付き合っていたバイセクシュアルの彼女に人生四度目の二股をかけられた末に、おまけにその相手が昔付き合っていた元彼女で、なぜだかその二人にまとめて袋叩きに遭いそうになった、というのは割と最近の出来事でまだ結構記憶に新しい。


 それでその度に、ぼくは夏休みのほぼ全日程を凛太朗と一緒に肉体労働のバイトに励んでみたり、相手の指を折るほどの実は武闘派だった彼女と凛太朗の間に入ってなだめたり、包丁で刺される恐怖から逃れるために凛太朗と一緒に心臓がはち切れそうになるほど走って逃げ回ったり、凛太朗を袋叩きにする女の子達を止めようとして逆に袋叩きに遭いそうになったりしている。


「要」

「……なに?」

「実は相談があって」


 ぼくはまだ痛む頬をさする凛太朗を無言で見返す。

 彼が言う〝相談〟には毎度警戒しなければならない。その言葉を聞いた後には、かなりの確率で前出のような結果に至る。これまで大事にまで至らなかったのは、ただその時の運がよかっただけのようにも思えて、本当の大事はこれから来るような気すらする。

 けれど体力ギリギリの肉体労働も、武闘派の彼女のグーパンチも、心臓爆発寸前の疾走も、女の子達に理不尽に痛めつけられるのも、実は悪くなかった。だからいつもぼくはなんだかよく分からないうちに、凛太朗の相談事に自ら巻き込まれていっている気がする。


「俺、最近知り合った人がいて……でもその人のことで相談があるんだ」

 凛太朗にそう続けられて、ぼくはその言葉の意味を噛み砕いて、「うん」と一旦相槌を打つ。


「えーっと、それって、さっきの石田さんのことじゃないよね……?」

 訊ねると頬をさする手が一瞬止まって、答えは躊躇いがちに戻った。

「違う。石田のこととこれは別問題だし、この人のことはそんなんじゃないんだ……それに石田のことは石田の方で、もう終わってる……」


 そう返す凛太朗の顔は暗かった。

 倫理観がずれていたとしても、たとえどんなきっかけで始まった付き合いであっても、毎度彼なりに相手に向き合っているのだとは思う。だけど結果的にはいつも望む方向には行かず、毎度多少悲劇的に終わってしまうだけのようでもある。彼なりに傷心しているように見受けられもするので、その部分に触れるのやめて、ぼくは続けた。


「そっか……でも相談てどんな? 聞くのは構わないけど、ぼく、そっち方面のことだったら縁がないから、毎度の如くよく分かんないんだけど」

「相談って言うか、ただその人と会ってほしいんだ」


 淡々と語る凛太朗が〝そんなんじゃない〟と示すその人が、女性であるのは間違いなかった。けれどそこから漂うのはいつものような修羅場的な何かではなく、言葉どおりに何かどこか雰囲気が違うもののような気がした。自信はないけれどとりあえず「分かったよ」と返事をすると、「悪いな」と返ってくる。

 その後続ける言葉も特になく、黙って歩いていると通学路の正面に学校が見えてきた。


 住宅地の合間に建つ蝉澤高校は、この近辺の住人がかなりの割合で通っている。学業のレベルは普通で、部活動も含め何か突出したものもなく、生徒は全体的にのんびりしている。ぼくの家からは歩いて十五分ほど。市街地からは少し外れてはいるけれど、近くにはコンビニも本屋もファストフード店もある。学校同様、周囲の街の雰囲気ものんびりとしていて、過ごしやすい地域だった。


 何気に背後を振り返ると、少し後方に可奈子と草野の姿が見えた。

 秋の風がもう一度吹いて、適当なシャンプーで洗っているぼくの髪が特に香りもせず揺れた。溜息とか、唇噛みしめるとか、そんな行動は出ないけれど、一瞬そのようなものは過ぎる。


「要」

「……なに?」

「へこんでる? 櫻井に彼氏ができたから」

「……」


 ぼんやりしているようで時折不意に核心を突く凛太朗は、時に侮れない。確かにそれは事実であり、そのことを指摘されたと思えば、近くにいる人に自分の感情はだだ漏れなんだなぁと少し恥ずかしくなる。この羞恥は慣れた類のものじゃない。望んだものではないそれにはただこっぱずかしさだけが残って、本当に気恥ずかしくなる。


「気にしない方がいい。櫻井は要のことはなんとも思ってない。友達だとは思ってるけど」


 淡々と続けられたその言葉には、あはは……と力ない笑いが漏れる。

 確かにそれはそのとおりで、その現実が変わる微かな望みもなんだか、ない。

 でも今の現状であるこの〝まあまあな幸せ感〟に大いなる好意はある。

 幼馴染みがいて、友達がいて、家には一応家族のようなものがいて、時々与えられるご褒美もある。こんなぼくの毎日はそんな感じでいいんじゃないかなと、日々思う。

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