1.同居人のゴス系美少女(ドS)と片思いの幼馴染み(彼氏持ち)と腐れ縁の友人(修羅場多し)
1.同居人のゴス系美少女、時雨
「おはよう」
その声が聞こえてきても、あえて聞こえないふりをして、目を閉じたままでいる。
ぼくが本当に眠っているのか、狸寝入りをしているのか、そこにいる気配の観察と推測は迅速に二秒で終わって、もう一度声が降る。
「おはよう、
少しだけ苛立ちが混じった声が響いて、思わずほくそ笑みそうになるけど堪える。まだ少し早い。
「起きているのは分かっている。毎度毎度呆れるな」
可愛らしい声だというのにそんな印象は聞く者に全く与えない。バレているのは重々承知だけれども、このささやかな朝の愉しみを途中放棄したくはない。
「いい加減にしろ、要」
先程より苛立ちが増した声が落ちて、
「……今朝のこれは……ちょっとキたね……」
「寝たふりなどするからだ。馬鹿馬鹿しい」
口元に笑みを作るぼくの目の前には、黒い服を着た少女。
彼女の名は
「学校に遅れるぞ。それにじきに
「うん、そうだね……あ……それと、おはよう時雨」
その言葉を耳にした時雨の顔に、みるみる怪訝と疑問の表情が浮かび上がる。一度は閉じられた桜色の唇が再度開いて、惑いのない言葉群が零れ落ちた。
「溜息も出ないな、要。今更遅すぎる挨拶だ。私には甚だ疑問だ。ぐだぐだ茶番を繰り広げず、さっさと起きてそう言えばいいのに、なぜいつもできない? 一体お前の思考回路はどうなっているんだ? 正常に動作したことはあるのか? 一度医者に診てもらえ。皮を剥いで頭蓋を切除して、中身を掻き回しながら覗いてもらってな」
時雨のたたみかけるような悪態に、身体の中心が熱くなるのを感じる。その訳はもちろん怒りじゃない。興奮だ。
ぼくは罵られるのが好きだ。多分三度の飯より。そして時雨は、ぼくのその性癖を満たすためにこれらの言葉を発しているんじゃない。次々と唇に乗せられるのは、だらしないぼくに対する純粋な悪態。ただのお仕着せプレイなんかじゃ得られない、百割増しの悦楽。
「なに見てる。早く顔を洗ってこい。朝食を食べろ」
時雨の(見た目は)十一、二才くらい。襟に赤い十字の刺繍が入った黒いシャツにタイ、膝上丈の黒いプリーツスカートにその下を覆い隠す黒のソックス、という出で立ちが定番である時雨は、腰辺りまでのつややかな黒髪と、完璧な造形美術のような相貌を持つものすごい美少女と呼んでいい。数十年前に酷く怒らせた相手に抉り出されたせいで左の眼球がない彼女は、当該箇所に飾り気のない黒革の眼帯をしていて、残った右の方の瞳でぼくをよく冷ややかに見ている。
ぼくは彼女の名字を知らない。でもきっと彼女にはそれがない。その存在がぼくの理解を超える範疇にあるものであるのは間違いない。けれどそれについてぼくが思うところはあんまりない。
ぼくがいて、時雨がいて、日々の生活がなんだか成り立っている。そこに理由とか意味とか、多少でも過度でも求めようとは思わない。
どうして時雨がぼくの前に現れたのかとか、そうしたことでぼくがどう行動していかなければならないのかとか、そのように自身が生存する理由を模索しようとする行為は、自分が存在することに対して赦しを請うているようで、何かの言い訳をしているようで、それを考え始めると次第に気味の悪い変な薄ら笑いが顔に浮かび上がってくるだけで、毎度思考はそこで終わりを迎える。
様々な行動に、日々後づけのように求められようとするその意味とか理由。それが必要な人もいるけど、今も昔もずっと、ぼくには必要じゃない。
「要、二秒以内にベッドから出ろ。そうしないともう一度食らわすぞ」
ぼんやりしていたぼくの耳に、再度時雨の声が流れ込む。
それはとても魅力的だけれども、餌は与えられすぎるとその価値を堪能できなくなる。ぼく、
「要、あと二分だ」
「はい、はーい」
冷たい水で顔を洗いながら、廊下の方から響く愛想の欠片もない声を聞く。
返事をしてタオルを手探りで取って鏡を覗くと、そこには目鼻口が割と整った顔がある。美醜を考えた場合、そんなに悪くない、と一応形容できる範疇にあるようには思うけれど、手放しでそう表現してしまうのはなんだか憚られる。
長身というほどでもないけど小さすぎるでもなく、痩せてるけど風が吹けば飛ぶようなほどでもない。腋も足裏も絶望的に臭いほどでもなく、取り返しがつかないほど毛深くもないし、薄毛の兆候も有り難いことに今のところない。だけど身の内に宿る性癖のせいか、というか確実にそのせいではあるけれど、なんだか全体的に妙な雰囲気が漂っているのは自分でも自覚している。
人の本質は、その人から滲み出るものだ。そこかしこから。そんなに顔がいい訳じゃないのにシブくかっこいい俳優がいたりするのは、そのいい例だと思う。それの逆で美男子だとしても正体が連続殺人鬼だったりすると、やはりどこか普通じゃない雰囲気が漂ってしまうものだ。それと同様に、ぼくからは変態の臭いが滲み出ている。そのせいか、きっとそのせいだろうけれど、ぼくは所謂恋愛感情の絡むそういったことにはとても縁遠い。けれど一見そんなには悪くない、という如何せんタチの悪さから、こんなぼくでも目を向けてくれる女の子は過去に何人かいた。こんなのではあるけど、一応まだ十代。そこから始まるかもしれない、いろんな展開を夢見ないはずがない。
だけどぼくはすぐに振られる。嫌になられる。ぶたれたりひっぱたかれたりするのもいいけれど、罵られるのが一番キく、という秘めても溢れ出るぼくのアレな本質に彼女達が多少なりとも気づけば、関わってみようとしたこと、それ自体が間違いだったとその結論に辿りつくからだ。
女の子はシビアだ。若ければ余計。彼女達は短い花の命を、変態のために費やそうとは思わない。ぼく程度の見栄えで普通の対人関係を築ける人間は、他に五万といる。彼女達は全然悪くない。短い花の時期を切磋琢磨しながら生きる彼女達の人生に、ぼくの存在は必要ない。それだけだ。
「かなめー、おはよー」
もう一度自室に戻って制服に着替えていると、玄関から元気な声が聞こえた。
声の主は隣室に住んでいる幼馴染みの可奈子。彼女は子供時代から続く習慣で、陸上部の朝練のない日は大抵迎えに来てくれる。
「悪いな、可奈子。少し待っててくれ。あの馬鹿は起きたばかりだ。急がせる」
先に玄関に出た時雨が、可奈子に応対してくれている。時雨はその信念からか、積極的好意的対人関係を自発的に築かない主義だけれど、可奈子と可奈子の両親には好感を持っているので、彼女と彼女の両親に対しては比較的優しい。
「うん、分かったー。じゃ、外で待ってるねー」
可奈子が外に出ていく音が聞こえると、予想どおりの声が続いて飛んだ。
「要、早くしろ!」
両親不在の生活態度が些かだらしなかったり、多少の寝坊はしたりするけれど、ぼくは意外にも元々規律正しい人間だったりする。遅刻をしないとか、校則違反をしないとか、信号を必ず守るとか、ゴミの分別、出す日は必ず守るとか、非暴力とか。
定められた規範の中ではみ出したいことがあっても、ぎちぎちに行動するのが好きだ。まるで快適な広い庭で長い鎖をつけられた犬みたいで。
「はいはい、今行きますよー」
だからぼくは急いで着替えを済ますと、ダイニングテーブルに用意されたトーストと牛乳をかっ食らって、駆け足で玄関に向かう。
「いっふぇきまふ」
口の中のパンを咀嚼しながら背後の時雨に声をかければ、地に這う虫を見る視線が返ってくる。ぼくはそれにとても満足して、気持ちよく家の扉を開けた。
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