執着に気をつけろ

 分かりやすいきっかけを、西山くんの鼓動に触れた、あの冬の日だったということにする。

あの冬の日に、私の気持ちに変化が訪れたのだと。



 本当の決断の時は、突然訪れた。

西山くんとの下校をもう、やめよう。

そう思ったのだった。

曖昧なものが疎まれる世の中で、曖昧さに居心地の良さを感じる私は、そこにとどまり続けようとする努力を怠った。

 

 クラス替えをして、少しだけ落ち着いた四月半ば。

西山くんとクラスは離れ、菅野も、菅野の彼女とも離れた。

それでも西山くんとの下校は続いていたし、一年の時とは違い、クラスに気の合う同性の友達も出来た。



「浅田?」


昼休み。

仲の良い美彩は、吹奏楽部のミーティングがあるとかで、お弁当を急いで食べるとすぐに行ってしまった。

すると、席に座ったままボーッとしてしまっていた私の肩に、誰かの手が触れる。

見上げると、菅野が心配そうに私を見下ろしていた。


「大丈夫か?」


「あ、うん。ちょっと眠くなってただけ」


教室にいるクラスメイトの視線を感じるのは、今一番ホットな話題のせいだろう。

菅野にまつわる噂。


「ちょっと、話せないかな?」


私は、


「今?」


と、周囲の視線を菅野に訴えながら質問で返す。

菅野は私の訴えに気づいたのか、


「こんなタイミングで悪いんだけどさ。でも、どうせ帰りは西山と一緒だろ?」


と、引こうとしない。


「でも・・・」


私は、菅野と一緒にいることで、噂を流されるのが怖かった。


「直接話したいことだから」


菅野は真剣に、少しも声量を落とさずに言った。

そしてついには、私にではなく周りに、


「変な噂流したら許さねえからな。俺は今、中学からの同級生と友達として話してるだけで、振られた腹いせに新しい女探してるとかそんなんじゃねえから」


と、苛立ちを露わにして訴えた。


「ちょっと出よ」


私は菅野をなだめるようにそう言うと、教室を出た。

菅野は黙って私について来た。


 廊下にもお喋り中のグループが複数いて、私はその横を通り過ぎ、一番人の少なそうな玄関の近くまで行った。

玄関から見える外には、四月半ばなのにまだ雪が積もっていた。

さすがにもう少しで溶けるとは思うけれど、まだ春の訪れを拒むようだった。


「あんなイライラしたら、みんな気分悪くなっちゃうよ」


言葉ではそう言いながらも、できるだけ冷静に伝えようとする。


「俺の苛立ちなんて、浅田には関係ないだろ・・・」


菅野は反論しながらも、居心地悪そうに俯いていた。


「とりあえず・・・話って?」


人に見られるのを恐れて、本題を急かす。


「浅田って、自分の感情だけがとにかく大事で、それ以外の邪魔なものには向き合おうともしないよな」


今度は真っ直ぐ私の目を見て、言ってきた。


「どういう意味?」


怖くなった。

何を言われるのだろうかと、何に向き合わされるのだろうかと。


「西山のことは大切だから、一緒にいるところを見られたって、どんな噂が流れたって平気なのにさ。俺といるところを見られるのは、とにかく嫌がる。俺のことは大切でもないし、むしろ厄介だから、向き合おうともしない」


「それはだって、タイミングが。彼女と別れたばっかりの人に、みんなが見てる前で話したいって言われたら」


「今だけじゃない。浅田は中学の頃から、俺がクラスで目立つタイプで、騒がしくて、春子のことがあからさまに好きで、感情を隠そうとしないで・・・そういう全部と少しも向き合いもせずに、苦手って決め込んでるだけだ」


すぐには何も言えそうになかった。

どうして菅野がここまで私に怒るのかも分からなかったけれど、菅野がここまで私の本心を見抜いていることに驚いてもいた。


「俺はさ、春子のことがめっちゃ好きだった。初恋だった。ちゃんと告ったし。まあ、振られたけどな。でもちゃんと伝えて良かったよ。今は、噂どおり、恋人に振られたてだ」


「何が・・・言いたいの?」


「次から次に恋に落ちたり、付き合って別れたりするのって、おかしいとか、気持ち悪いって思うか?」


「分からない」


「軽蔑するか?」


「違いすぎて、分からない」


「じゃあ、好きだった人の親友を好きになるのは、どう思う?」


「え?」


「さすがに図々しい俺も、告れなかった唯一の人。初恋の相手の親友で、西山っていう特別枠がいる人」


菅野は眉間に皺を寄せ、深刻だった。


「さっき教室で言ったのは嘘だ。中学からの同級生と友達として・・・とか嘘。俺は振られた腹いせに、唯一告れなかった相手に今、縋ろうとしてる。俺は、春子を失って寂しそうな浅田の力になりたいと思ってた。いつも春子を見れば、横には浅田がいて。いなくなった春子を思い出せば、浅田のことも思い出した。不純かもしれない。でも、好きだって思った」


「本当、不純だよ・・・」


「だからそうやって、向き合おうとしないところが気に食わねえ。西山のことも、ハッキリしろよ。それは西山にも言えることだけど・・・」


「分からないんだもん。本当に好きかどうかなんて」


「ムカつくわ。浅田のこと好きだったけど、ムカつく。曖昧な奴って、見てらんねえわ。今も思ってんだろ?なんで、好きだったって過去のこと話したのかって。言わなくてもいいことなのにって思ってんだろ」


「それは・・・」


「それは?」


「そうやって責められたら何も言えなくなるよ・・・」


私だってムカついた。

なんで干渉されなくてはいけないのか。

私は今のまま、西山くんとただ穏やかな関係でいたいだけなのに。

このままは無理だという現実を突きつけられて、ムカついた。

分かっていたけれど、誰かに言葉にされるのが嫌だった。


「俺とは違って西山は穏やかだからな。悪い。感情的になりすぎたのは反省するけど。でも、浅田見てると嫌になってくる。色んなことが」


菅野は自分の苛立ちや怒りを露わにする人。

西山くんは穏やかに、穏便に済まそうとする人。

もちろん優しいのは後者だと思う。

だって私は、この世の全ての人が西山くんだったら良いのに、と思ったくらいだから。

でも、ズルいのはどっちだろう。

それに、菅野に対して思うところがあった。


「ねえ、菅野。もしかしてって思ったことあったんだけど、本当だったのかも」


私は、ある真実を知る。

こんな感情を露わにする人の中の、本人も意図していないかもしれない優しさ。

真実とは、意図してなくとも、優しさに変わりうるものなのだ。


「何がだよ」


もう全てに諦めを感じたように、菅野がため息をつく。


「タイミングが良すぎたよ。西山くんと今まで通り一緒に帰れるように、そういうタイミングで、あの子と付き合い始めたんだよね?菅野らしく、堂々とした、隠さない方法で、交際を」


「は?何言ってんだよ」


動揺を隠せていない。

こんな時に思うのも変だが、嘘をつけない菅野が可愛いと思ってしまう。


「春子とは全然違うけど、でも、菅野があの子を好きって気持ちに嘘はなくて。でも、自惚れみたいだけど、助けようとするタイミングだったのは間違いないよ。話題を一気にかっさらった。ネットニュースで見たけど、よくあるでしょ?ゴシップの火消しのために、違う噂を流すこと」


「違うし」


「ごめんね。菅野みたいな人を避けたくて、苦手で、見向きもしなかったことはごめん」


「じゃあ、付き合ってみるか?俺はまだ、浅田を好きだって気持ちが・・・」


「ごめん。それはできない」


曖昧さを好む私でも、菅野にそれを強要することはできない。

だからハッキリと、告げた。


「向き合ってもないくせに?」


「ごめんって」


「やっぱり西山か?」


「分からない」


「もういい、分かったよ。今回は、俺も悪いから。腹いせだよな。モテる女と付き合ってみて、っていうか初めての彼女で、おかしくなっちまったんだ。笑っちゃうだろ」


「笑わないよ」


「執着ってヤバいな。マジで気をつけろよ、浅田も」


「うん」


菅野はちょっと悲しそうに、でも、私なんかを見下しながら笑った。


「じゃあ」


気怠そうに歩く後ろ姿は、私に何かを決断させる強さを持っていた。



 これが本当のきっかけだろう。

私がもう、西山くんとの下校をやめべきだと思い立ったきっかけ。 

でも、本当のきっかけを、西山くんに触れ、鼓動を感じたあの冬の日だったということにする。

私と西山くんの関係、特に終末に、他者を含みたくなかったから。

その他者の発言や後ろ姿が、私の頭の中から離れないことに、向き合いたくなかったから。

消し去りたかったから。

 だから、西山くんのことは好きじゃない、と結論づけた。

そして、好きじゃないのなら、思春期の男女が二人きりで下校し続けてはいけないと、自分に言い聞かせた。

私は、曖昧だった西山くんへの気持ちと向き合うことを避けた。

もう、穏やかな時間に戻れないのなら、それが逃げ道だった。


 あとは、伝えるだけだ。

出会ってすぐ、私の涙を受け入れてくれた西山くんに、二人きりの穏やかな時間をもう、やめたいと。

私は、優しさに救われたくせに、優しさから逃げようとした。

そういう酷い、人間だった。

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