最後の下校

 私にとって重要なことを大切な人に伝える時、涙はどうしようもなく込み上げ、手は情けなく震え、頭が痛くなるほどの悲しみに襲われる。

だから私は、伝えなくてはいけないことを先延ばしにして、複雑な心境のまま一日一日を過ごした。

朝を迎えれば、今日こそ伝えようと意気込むのを習慣にして、夜になれば諦めと同時に、このままでも良いのかもしれないという希望を作り出した。



「今年の桜の開花は去年より早いらしいよ。もうすぐだね」


そう言って本当の桜を待ち望む西山くんが、少し憎らしかった。

私も、西山くんと見る本当の桜を望んでいたけれど、本当の桜までには伝えるべきだという焦りが、これまでと違う余計な感情を生み出す。


「そうなんだ。楽しみ」


笑顔が引き攣るのが自分で分かった。

その感覚も、嫌だった。


「場所にもよると思うけどさ、桜を独占できるような場所が多くてそれもいいよね。大勢が集まるお花見とか、あんまり好きじゃなくて。こっち引っ越して来て、本当に良かったって思う」


「東京行ったことないけど、西山くん、東京って感じしないもんね」


「自分でもそう思う」



 二人での下校。

学校から離れれば離れるほど、気持ちは楽になる。

部活のある菅野に見られることもないはずだし、同じ学校の人達に見られる確率も減っていく。

 学校から離れ、バスも乗り過ごし、西山くんと、どこか遠くへ行きたい。

だけど変化は欲しくない。

場所と景色を変えるだけで、感情や、私たちの関係は変えたくない。

でも、そんなわがままが通用しないから、そして、もうすでに菅野の発言により、感情は変わってしまったから。

だから私は、西山くんと離れることばかり考えいた。

タイミングを見計らい続けていた。



 菅野を振ったモテ女には、あっという間に新しい彼氏ができた。

三年の帰宅部のチャラ男だった。

廊下で久しぶりに菅野とすれ違った時、


「菅野の方が絶対いいじゃん」


と、言いたくなったけれど、そんなことはもちろん言わなかった。

ただ横を通り過ぎる菅野に気づかないフリをし、菅野はきっと、気づかないフリをした私の芝居に気づいているだろうと思った。

 それはちょうど、本当の春の中でも一番綺麗で、天気の良い穏やかな日のことだった。

本当の春になってからも、西山くんに伝えるのを先延ばして数日経ったこの日、本当に伝える決意を固める。

菅野とすれ違い、別の緊張感が生まれた。

早く、伝えるべきだと。

早く、曖昧さから逃げてしまいたいと。

菅野みたいな、曖昧さとかけ離れた強さが欲しいと。




「あのさ・・・」


桜の木の下で立ち止まり、私は自分を情けなく思う。

菅野を言い訳に私は、逃げているだけだから。

曖昧さに永遠がないと決めつけたのは、誰のせいでもなく、自分のせいだ。


「西山くん。一緒に帰るの、今日で最後にしてもいい?」


いつまでも西山くんと一緒にいたかった。

でも、私は本当に、西山くんへの気持ちが恋なのか分からない。

曖昧で、分からない。

もし、手を繋いでくれたのなら、嬉しいと思う。

いつもの優しさで抱きしめてくれたのなら、それも嬉しいと思う。

想像しただけで涙が出るほどに。

ただ、それを恋と断定して、前に進むほどの勇気もないのだ。

きっと西山くんも同じ。

優しい陽だまりというのは、大袈裟な表現に思われるかもしれないけれど、西山くんはそういう、無条件の癒しだった。


「何かあった?男子と一緒に帰るとやっぱり揶揄われたりするよね?」


「ううん。そんなのじゃない」


私は西山くんに、私の提案を拒否してほしかったのだろうか。


「僕らの最後の下校か・・・」


「ごめんね」


「なんかさ、何気ない話ばっかりしてた気がしない?」


「そうだね」


ただ受け入れる西山くんを憎んではいけない。

西山くん、ごめんね。

西山くんとの特別な関係を守れない私でごめん。

私が逃げる側でごめん。

恋だったとしても、恋じゃなかったとしても、西山くんの優しさを裏切るように逃げる私はどうかしてる。


「西山くん。ここで、別れてもいい?この後、行くところあるから」


「えっ」


戸惑う顔が嬉しかった。

でも、もう引き返せない。


「西山くん、握手しよ」


「うん」


直接触れる手と手。

あの冬の日は正直、手袋が邪魔だと思っていた。


「じゃあね」


「うん、じゃあ」


私は西山くんに背を向け、歩き出す。

私が菅野の後ろ姿から感じた強さを、西山くんも感じてくれたら嬉しい。

それくらいしか、希望がない。


 じゃあ、西山くん。

また明日、じゃなくて、さようなら。

すごく、大切な存在だったよ。

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