この世の人間がみんな、西山くんなら良いのに

 桜は散り、本当の春が終わりを迎えた。

私と西山くんの出会いの序盤に、私の涙や過去の話があって、それに対する西山くんの優しさや慰めがあった。

序盤に自分を見せ過ぎたという不安は、西山くんとの会話と下校を続ければ続けるほど薄れていった。

反対に、西山くんから序盤に与えられ過ぎた優しさは、時間が経っても変わることなく、むしろその印象を強めた。


 クラスでは、私たちがどんどん親しくなり、気兼ねなく話しているのを見たのか、菅野勇太を筆頭に、西山くんに話しかけてくる男子が現れ始めた。

西山くんは話しかけても大丈夫な人だと判断できたのだろう。

凛々しい顔つきのカッコいいクラスメイト。

人に流されない、自分を持っている西山くん。

私だけじゃなく、西山くんはみんなにとっても、話し掛けてみたい人だったようだ。

 ついでなのか、あまり親しくなかった私にも話しかけてくるようになる。

菅野の影響なのか、同調するように、私に話しかけてくる女子もいた。

それにより、私たちの席の周りが、これまでとは違う空間に変わることがあった。

そんな時は、お互いの存在をいつも以上に強く感じた。

私はそうだった。

正直、西山くん以外は邪魔だとさえ思っていた。

クラスの女子の間で完全に浮いている私だとしても、そんなのはどうでも良くなるほどに。

菅野だって、決して悪い人ではない。

中学の頃から人気者で、屈託のない感じは憎めないと思う。

それでも、邪魔だと思った。

苛立ちさえした。

 西山くんも私と同じ気持ちでいたらいいな、と祈っていた。

ニ人だけの下校の時間に、そのことについて、何度も聞いてみたくなったけれど、誰かを悪く言う自分を見せるのは怖いし、何より、唯一の穏やかな時間を、他の誰かの、それも、邪魔者だと思っている人なんかに割きたくないと思った。

 菅野や他の男子に質問されたり、冗談を言われている時の西山くんは、私だけといる時とは明らかに違う表情をしていた。

それは分かった。

凛々しくてクールな雰囲気の西山くんの顔に、ある意味似合っている苦笑いがあった。

私と同じ気持ちで、クラスメイトに囲まれる時間をやり過ごしているのだろうと想像しながらも、溶け込みたくてもうまく溶け込めない不器用さが表れているだけの気もした。

だから、私といる時の柔らかい笑顔は、私にだけ見せれば良いと、本気で思った。

西山くんと仲良くしようとするのが、男子だとしても、女子だとしても、私は不貞腐れた気持ちを抱え続けるのだった。


 ある日登校して、玄関で菅野に出くわしたことがある。

自然に、教室まで一緒に行く流れになった。

その時に菅野が、


「浅田って、西山と付き合ってんの?」


と聞いてきた。

すぐに返事を思い付けず、


「なんで?」


と聞いてしまう。


「なんでって、いつも一緒に帰ってるし・・・よく喋ってるから」


付き合っていないのは事実で、ただそう言えば良いだけなのに、この思わせぶりな態度や時間を私は、何のために必要としているのか分からなかった。

菅野は、もどかしそうに私が答えるのを待つ。


「ただ、話しやすいだけだよ」


「気が合うって感じ?」


「うん、そうかな」


西山くんは穏やかで、菅野や他のクラスの男子みたいに騒いだりしない。

私が勇気を出してふざけてみると、恥ずかしがり屋の低学年の子どもみたいに笑ってくれる。

それが凄く嬉しかった。

気が合うというのも間違ってはいないけれど、お互いがお互いを補い合っている感覚もあって、一言で簡単にまとめられたことに、気分を害されている自分がいた。

朝ならではの不機嫌とか、暗い気持ちだとか、そんなよくある感情のせいにしてしまいたかった。


「いつも楽しそうにしてるけど、どんな話してるの?」


菅野は、本当に興味があるのか分からない態度で、ただ会話を繋げるためのものとも取れる質問をしてしてきた。


「別に、くだらない話だよ」


「ふーん。くだらない話ね」


やっぱり、沈黙を避け、会話を繋げるためだけの質問だったようだ。

ようやく教室に着くと、菅野から解放された。

西山くんはまだ来ていなくて、私は暖かい春を待ち遠しく思うような気持ちで、彼を待つのだった。




「西山くんって、中学の時も部活入ってなかったの?」


いつもより、周りの目を気にしながらの下校。

菅野のせいだ。

 今朝、私達が付き合っているのかを菅野に聞かれたことについて話したかったけれど、やっぱり、穏やかな下校時間に菅野を含め、その他諸々のクラスメイトの名前を出すのは嫌だった。


「帰宅部だったよ。浅田さんは?」


西山くんは、運動が不得意に見える。

細い体のせいかもしれない。

性格のせいかもしれない。

特に、サッカーやバスケのような団体競技には向いてないように思う。

美術部に入っていたと言われたら、それは凄く似合うとも思った。


「帰宅部だった。だって、できるだけ学校にいたくないじゃん?」


西山くんは微かに笑い、


「確かに」


と言った。


「すぐ自分の家に帰るってよりかは、春子の家にも言ったし、公園とか、図書館にも行ってたな。まあ、遊んでばっかりだったけど」


「じゃあ今は、勉強してるの?浅田さん、真っ直ぐ家に帰ってるみたいだし」


西山くんの発言の中に、私が感じた意図が含まれているのか、本当のところは分からない。

でも私は勝手に、一緒に下校してからの、その後の時間についての進展が起きてしまうような緊張を感じた。

 確かに私たちは、どこにも寄り道せず、ただ一緒に歩き、一緒にバスに乗って帰るだけだった。

私が降りる停留所に到着すると、


「また明日」


とか


「じゃあね」


と、軽く挨拶を交わし、バスを降りて、わざわざ窓越しに手を振ったりするような大袈裟なこともしなかった。

 初めて一緒に帰った日に、私が泣いたせいで、少し離れた公園まで連れて行ってくれたことはあったけれど、それ以外は本当にただ一緒に帰るだけだった。

それは、何も悪いことではない。

そして仮に、どこかに寄り道したとしても、それも悪いことではないのだ。


「勉強も少しはするよ。でも、アルバイトもしなくちゃ。部活もしてなくて、何もしてないのはちょっとね」


「僕も、バイト探してるところだよ」


「そうなんだ」


一緒のところでバイトしたい、と思ってしまった。

それはもちろん言わなかった。


「そういえば・・・」


珍しく、西山くんの方から何かを話そうとする。


「何?」


「菅野が言ってたんだけど、もうすぐ席替えらしい」


音がするほどの風が吹いた。

私も西山くんも、髪の毛が乱れる。


「そうなんだ・・・」


歩く速度を緩めながら、前髪を直しながら、その自分の手で顔を隠しながら、西山くんの表情を覗き見た。

西山くんも同じように、私を見ていた。


「くじ引きらしいよ」


見つめあったまま、西山くんは言う。

凛々しい顔に、寂しい目をしていてほしかった。

西山くんは、何を思っているのか分からない目で私を見ていた。

私もまた、自分が何を思うべきなのか分からない心境で、ただ、西山くんの目を見つめた。


「くじ運ないからな」


明るくそう言うのが、精一杯だった。


 恋がどうかで盛り上がる年頃にいる私は、恋という感情の感覚が掴めないまま、それでも西山くんだけは特別だと気づいていた。

西山くんは優しい人。

映画やドラマで登場したとしても、絶対に、実際に目の前には現れてはくれない優しい人たち。

私には、実際に触れることの出来るところに、西山くんという優しい人がいる。


 気まずさはない。

見つめ合ったとしても、気まずくはなかった。

無理に会話を続けようとしなくても良い。

私たちはバスに乗り、無言で並んで座って、誰かの隠そうともしない会話を聞いていた。

降車ボタンを押し、バスが止まると私は、


「また明日ね」


と、小さな声で言う。


「じゃあね」


西山くんのその声を聞くと、ホッとした。

明日が楽しみになる。

私はもちろん振り向かずにいて、西山くんが私を見送るように見てくれているのかを知ることはできない。


「よっ」


声のする方を見ると、バス停の横にあるベンチに菅野が座っていた。


「えっ、なんで?」


さっきまでの穏やかな気持ちが、一気に、不穏なものに変わった。


「そんなに驚かなくても。俺だって同じバス停で降りるってのは分かってるだろ」


「まあ、そうだけど・・・」


何気ないことだとしても、きっと、今日とは違う明日になることが予想できた。

予感として、なんとなく。

   

「また一緒に帰ってたんだな」


きつい言い方ではなかったが、人の気分を良くする物言いではなかった。

西山くんとは大違いだ。


「一緒に帰ったらダメなの?」


決して怒りが伝わらないように気をつけた。

でも、その発言自体が怒りに近いものを含んでいただろう。

菅野はそんな私をなだめるように、両手を合わせながら、


「マジで悪い。そんなつもりなかったんだけど、噂になると困るからさ」


と、ひたすら謝ってきた。


「何が?」


「うーん、俺って、お人好しなところがありまして・・・その・・・西山のことが気になるって女子の命令で・・・というか情報屋みたいな役回りをしてしまって」


「どういうこと?」


「西山のことが気になる女子に、西山と浅田の関係を調べろと言われて。それで、付き合ってないってことは浅田に確認取れたけど・・・その言い方が、はっきり付き合ってないとは言わない感じだったし、変な間があったもんだから、俺はそのままをその女子に伝えて・・・ほら、俺、映画好きだから、意外と芝居がうまいのか、リアルに伝わり過ぎた的な。朝、玄関で会った時の浅田を再現したら、誤解が生まれてしまいまして・・・」


 菅野の話によると、菅野のリアルな再現を含む調査結果を聞いたその女子は、私と西山くんが付き合ってるという結論に行き着いたらしい。


「俺は付き合ってないんじゃないか?って言ったんだよ。何回も。でも、その女子は、絶対付き合ってるって言い張るんだよ」


これだから面倒臭い。

やっぱり、私と西山くんの席の周りには、誰も近づいて来てはいけなかった。

二人なら、私一人じゃないのなら、クラスで浮いていたって良かった。

西山くんがいれば、それで良かったのに。


「でも、俺もよく分かんねえっていうか。わざわざ、付き合ってない男女が、二人で一緒に帰ることもないんじゃないかって。分かるよ、そんなの人の勝手だし、自由だって。でも、この動物園みたいに騒がしくて、多感な時期に、わざわざ・・・違うか?」


本当に面倒臭い。

耳障り、目障り。

この世の人間がみんな、西山くんなら良いのに。


「じゃあ、一緒に帰るのやめればいい?」


「いや、無理やりやめさせるのもさ」


「西山くんにも聞いたら?私たちが付き合ってるのかどうか」


「あっ、そうだな。ちゃんと聞いてみるよ。で、ちゃんと、その女子にも伝えるよ。だから、その・・・万が一、二人が付き合ってるって噂が流れたら、それはマジでごめん」


「いいよ。どうでもいいから」


「おう、そうか。さすが浅田だな」


どういう意味の“さすが”、なのか分からなかった。


「じゃ、部活サボってるから戻るわ。浅田と二人で話す為にわざわざ、急いで学校出て、一本早いバス乗って待ってたんだからな。じゃあ」


菅野は少し踏み出し、すぐに戻った。


「もしかしてだけどさ。西山って、春子に似てるのか?」


 菅野は中学の頃、春子によく話しかけていた。

席が近かったからとかそういうのじゃなく、人気者という立ち位置からでもなかった。

非常に分かりやすいものだった。

私が知らないだけで、春子に告白くらいしていたかもしれない。


「似てたら何なの?」


「いや・・・それなら、浅田が西山と仲良くしたい気持ちも分かるかなって」


世間一般では、こういうのを恋と呼ぶのだろう。

あまりにも露骨で、みっともない感じ。

全然隠せていない。

万が一、私が西山くんに抱いている気持ちが恋ならば。

それはかなり深刻なのかもしれない。

今、目の前にいる菅野みたいに隠しきれてないくらいならきっと、可愛らしい方だ。

でも、言葉にせず、態度で示しもせず、ひたすら秘密にするようなら。

それは、完全な自己判断の中にあり、自由度も高く、それゆえに秘密の壁を高くし続けたくなる気持ちだろう。

つまり、恋と認めない恋が、永遠に心の中に残る感覚。

 菅野を情報屋として使った、西山くんのことが気になる誰か。

その人はきっと、世間一般の恋として、西山くんへの想いを本人に伝えるはずだ。

それを私は一体、どんな風に感じるのだろう。


「春子に似てるとか、そういうので仲良くしてるんじゃないよ」


「そうか。まあ、そうだよな。春子みたいな良い奴、そんな簡単に現れないよな」


「うん」


「分かった。じゃ、マジで怒られるから行くわ。悪いな、変な話に付き合わせて」


菅野は爽やかに、だけど、どこか切なく走って行った。

切なく映ったのは、菅野の心境というより、菅野の心境を想像する私の気持ちが反映されたからだろう。

菅野は私が思っているよりも、春子を好きだったのかもしれないと思ったりした。


 春子みたいなのかは分からないけれど、西山くんも良い人だと私は知っている。

それを敢えて、誰かに教えたりは絶対にしない。

私は、秘密の壁を高くし続ける。

西山くんのことが気になるという誰かや、菅野のせいで、余計に高くなってしまう。

気持ちを言葉にすることが面倒臭くて、厄介で。

言葉にしないことは安全で、救いだった。



 席替えが行われる日には、案の定、私と西山くんの噂は広まってしまったようだった。

こうなることは、こんな浅はかな人間ばかりの、学校という場所に通っている時から分かっていた。

でも私は、気づかないフリが得意なのかもしれない。

噂されても、そんなのどうでも良いと思える気力はあった。


 席替えの結果、私と西山くんは見事なほどに離れ離れになり、西山くんの近くには可愛い女子や、菅野と仲の良い男子もいた。


「寂しいか?」


茶化すように言ってきた菅野は、一つ前の席で私の方に振り向いて、私の机に両腕をのせてきた。


「別に」


西山くんの斜め前に座る人が、菅野を使って西山くんの情報収集をしようとした女だろうと、見てすぐに分かった。

菅野は、その女子の方を見ながら、


「あれは、うまくいかないな」


と呟いた。


私は、そうあってほしいと心の中で願う。


「そういえば俺、浅田に、西山と付き合ってないのかって聞いたけど、浅田の気持ち的にはどうなの?付き合ってないけど、浅田は好きだとか」


厄介な噂のせいで、前と全く同じ気持ちではいられない私を気遣う気などないのか。


「何を言っても変な噂になりそうだから、何も答えません」


キッパリそう言うと、菅野の腕を机から下ろさせる。


「確かに。俺、余計なこと言っちゃいそうだから、その答えが妥当だよ」


こっちが拍子抜けするほど納得したようで、素直に前に向き直った。

ちょっと可笑しくて、笑ってしまいそうになる。

ふと我に返り、何気なく視線を向けた先で、西山くんが私のことを見ていた。

その目には、優しさ以外の何かが含まれているようだった。

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