ただ大切な人、ただ出会いたかった人

 一年振りに来た春子の家は、その外観の印象を大きく変えていた。

家自体の変化はない。

ただ、玄関にかけて広がっていたはずのガーデニングが、完全に鮮やかな色を失っていた。


「大丈夫?」


インターホンを押すのを躊躇してる私を見兼ねて、西山くんが聞いてきた。


「うん。大丈夫。待っててもらってもいいかな?」


「いいよ。待ってるから、安心して」


「うん」


私がようやくインターホンを押そうとした時、


「光貴ちゃん?」


と、遠くから私を呼ぶ声がした。

もちろん、その声だけですぐに誰か分かった。


「お久しぶりです」


春子のお母さんも、その印象を大きく変えていた。

学校帰りに家に遊びに行っても、いつもお洒落で、髪も綺麗に結ばれていた。

パステルカラーとまではいかなくても、明るい色のシャツや、ズボンを履いていることも多かった。

でも今は、地味な色の服に、髪は短く切られ、近づいて来ると化粧っ気もないことが分かった。


「久しぶり。来てくれたの?」


嫌な顔一つせずに、私の手をそっと握った。

私の方から何か言わないといけないのに、何も言えない。


「こんにちは。浅田さんのクラスメイトの西山です」


傍で見守ってくれていた西山くんが、少し緊張した感じの声で挨拶する。


「こんにちは」


春子のお母さんはその声に応えると、


「こんなところじゃなんだから、中に入って」


と、私の手を引き、西山くんにも


「どうぞ」


と言った。


「僕は、待たせてもらってもいいですか?ゆっくり話して欲しいんです」


西山くんは、私にも同意を求めるように視線を向けてきた。


「じゃあ私だけ、お邪魔させてもらってもいいですか?」


「もちろん。じゃあ、光貴ちゃん、どうぞ」


私は西山くんの方を向き、


「終わったら連絡するね」


と伝えた。


「うん、どっか、近くにいるよ」


西山くんは春子のお母さんに会釈し、去って行った。

 様変わりした春子のお母さんに連れられ、様変わりした玄関までの道を歩く。

振り返ってみると西山くんがまだ見えるところにいてくれて、大丈夫と安心させるように一度大きく頷いてくれた。



 家の中は、懐かしい匂いのままだった。

春子の家の匂い。


「変わってないでしょ?」


春子のお母さんは、仏壇の春子の写真を見ながら言った。

見てすぐに分かる春子の家の中の変化は、仏壇があることくらいだろうか。


「お線香をあげても」


「もちろん。お願いします」


笑顔の春子の写真を見て、それに、懐かしい匂いに包まれ、私はまた涙を堪えるのに必死だった。

線香をあげ、手を合わせ、目を閉じる。

一年もここに来られなかったことを謝る。


「光貴ちゃん、お茶どうぞ。そんなに謝らなくていいからね」


「えっ」


「顔を見れば分かるわよ。申し訳ないって顔してる」


「でも、私、本当に・・・春子のお母さんに酷いこと言って。ここにも来ないで・・・」


「光貴ちゃん、座って」


「はい」


春子のお母さんは、私がいつも使っていた薄く水色がかったガラスコップにお茶を注いでくれた。


「びっくりしたでしょ。家の庭とか、特に、私の見た目とか」


「いや、その・・・」


「心配しないで。生きる気力を失ってそうなったわけではないから」


「はい・・・」


「春子、桜は特別枠として好きだったけど、庭に植えられた花はそんなに好きじゃなかったのよ。知らないでしょ」


「そうなんですか?綺麗なのに」


「主人がね、ああ、春子のお父さんが登山好きで、小さい頃に春子をよく一緒に連れて行ってたの」


私が春子と仲良くなってからの春子のお父さんは、単身赴任で普段は家におらず、私は数回しか会ったことがない。


「それで、その影響なのか、自然に生えてる小さな花とか、自然の色、つまり作られた派手さのない色の花が好きだったの」


春子のお母さんは、可愛らしく微笑むとふたたび、春子の写真を見つめた。


「私の服装もね、派手だと恥ずかしいって文句言って。私も頑固だから、自分の好きなもの着て何が悪いのって不機嫌になってたの。でも、文句言われたから変に反抗したくて派手めの色を着てた節もあって。笑っちゃうでしょ。母親が何ムキになってるのって」


「そうだったんですね。知らなかったです」


「だから、悲しくてこうなったわけじゃないから。自分の意思で、今の自分に合ってる状態になってるだけ。今は、私の大好きな娘の意思を尊重したい気分なの。あとね、短いこの髪は、お父さんがショートヘア好きだって春子に教えてもらったからそうしただけ。春子の日記にね・・・読まない方がいいって分かりながらなんだけど・・・読んでしまった日記に、お父さんと二人で内緒話をしたことが書かれてて。そこに、お父さんの秘密、ロングヘアの女の人よりショートヘア好きって書かれてたの。多分あの日記、私が読んでも良いようにというか、私が読むことを見据えて残されたものだと思うの。おそらく、本当に見られたくない日記とか、ページは自分で処分したんじゃないかな」


春子のお母さんの大きな目から、大粒の涙が溢れた。


「ごめん、ごめん。泣くつもりなくて」


と涙を拭うと、深く息を吐いた。


「私・・・」


私まで泣いてはいけない。

私は、声を震わせないように、懸命に伝えようとした。


「春子のお母さん・・・私、春子のこと、本当に大好きです。だから、ごめんなさい。謝りたかったんです。あの日言ったことを」


「光貴ちゃん、私はきっとね、どうにかして娘が幸せだったことにしたかったの。短い人生で、可哀想ってそれだけにしたくなかったの。大丈夫だから。光貴ちゃんは悪くないから。春子とまた一緒に桜見たかったなって、それが私の本音だったんだもの」


そう言って、春子のお母さんは私を抱きしめた。

お互いが、お互いの震えに気づいていたと思う。

本当のことを伝える時、それを隠していた期間が長い分、やっぱり涙はどうしよもなく溢れ、体はどうしようもなく震えるのだ。



 鮮やかさを失った、でも、ありのままを求めたかのような庭を横目に、春子のお母さんにもう一度、伝えた。


「本当にすみませんでした。もう謝りません。でも、謝罪だけは受け入れて下さい」


「じゃあ、私は、ありがとうって伝えるね。春子と仲良くしてくれてありがとう」


「それは、私もです。春子には本当に、沢山救われました」


「良かった」


ショートヘアは春子のお母さんにとても似合っていた。


「そうだ。さっきの人、西山くんだっけ?もしかして光貴ちゃんの彼氏?」


「いいえ、違います。仲良しのクラスメイトです」


「そうなの。とても良さそうな子ね」


「優しい人です。私は、春子もそうだし、優しい人に恵まれてます」


「光貴ちゃんが優しいからよ」


「いえ、そんな」


否定する私を止めるように、春子のお母さんはただ一度、大きく頷いてみせた。

さっきの西山くんの頷きを思い出した。


「突然、お邪魔しました」


「また、来てね」


「はい」


 手を振り見送る春子のお母さんの何気ない動きが、春子のそれにそっくりだった。

ようやく会えて、本当に良かったと思った。


 私は、春子のお母さんが見えなくなると、西山くんに電話しようとした。

そして少し、考えてしまう。

私は、西山くんを彼氏にしたいと思うみたいに、西山くんのことが好きなのだろうか、と。

つまり、私は、西山くんがとても大切だけど、それが恋なのか分からないと思った。


「浅田さん」


顔を上げると、西山くんが駆け寄ってきた。


「西山くん、来てくれたの?」


「うん。どうだった?ちゃんと話せた?」


「うん。ここに来れて、話せて、本当に良かった。西山くんのお陰」


嘘のない、本当に喜んでいることの分かる西山くんの笑顔が眩しいほどだった。


「僕が何かのきっかけになれたなら、それだけで良かったよ」


「ありがとう」


「うん。帰ろっか」


隣を歩く西山くんを、いつもと少し違う想いの含まれた目で見てしまう。

でも、ただ大切な人、ただ出会いたかった人というのが確かなだけで、他には何も分からなかった。

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