春子

「小学校の頃からの親友がいて、去年の春に亡くなったの。桜の開花を見る前に」


西山くんは驚いた表情を見せながらも、


「うん」


と、話の続きを待ってくれた。


「春子っていう子で、本当の春の季節が誕生日だった。生まれた日は、桜が満開に咲いていて、本当に綺麗だったんだって。春子のお母さんから聞いた」


今見ている桜も綺麗だったけれど、私の想像上では、春子が生まれた日の桜の方が何倍も綺麗だった。

それほどに、春子は祝福されるべき人間だったから。


「春子は小学校三年の時に仲良くなったんだけど、私を救ってくれたんだ。いじめっていうのは少し違うかもしれない。でも、何人かに酷いこと言われたり、分かりやすく無視されたりしてたところを、救ってくれたの」


西山くんが悔しそうな表情で、下唇を噛んだ。

そして、


「浅田さんは・・・」


と言い掛けると


「ごめん。勝手な憶測で話すところだった。ごめん、続けて」


と、話すのをやめてしまう。

どこか寂しそうに見えた。


「うん・・・それで、救われて、救われ続けてずっと親友で。私はずっと、春子みたいになりたいって思ってた。誰かを救うって、言葉で言うのは簡単でも、実際するのって難しいでしょ。それを小さい頃から実現してた春子はすごいの。人を励ます力を、それも強引じゃない力で持っていて。言葉にするのは難しいんだけど、選ばれた人っていうか、生まれた時からそういう力を持ってたみたいな」


西山くんの表情からは、さっきの寂しさは消えていて、私の話に共感するように何度も頷いていた。


「でもきっと、春子は春子なりに努力して、苦しんだりもしてたんだろうなって。そんなの私には一切見せずに生きてた。私はその強さに甘えてばかりで、本当の春子を知らなかったのかもしれない」


次に西山くんは、何かに気付かされたような、ハッとした表情を一瞬見せた。

少し目を大きくして、私の目を真っ直ぐに見る。


「西山くん?大丈夫?ごめんね、私の話長いから」


「違う。それは違う。ただ、そういう人っているなってちょっと思い当たって。生まれた時から人を救うように決められてたみたいな、すごい力で心の不安を溶かしてくれる人」


「そっか、西山くんにもそういう人、いるんだね」


「うん、まあ・・・ごめん、また止めちゃって。春子さんの話、聞かせて?」


「うん。中学二年の冬休みに、春子の病気が見つかって。北海道の冬休みって東京に比べたら長いから、私もしばらく知ることができなくて。それに春子は、おじいちゃんおばあちゃんに会いに九州の方に行くって言ってたから、お正月になってからは遊ぶ約束もしなかったし」


ふと、春子のことを誰かに話すのが、春子との思い出の色を変えることになるのではないかと、怖くなった。

 覗き見るように西山くんのことを見ると、西山くんはすぐにそんな私の視線に気づき、優しく見つめ返した。

 だから、西山くんになら、春子との思い出の色を変えられても構わないと、大切な思い出を踏み躙るような勢いで、話の続きをしてしまった。


「それで、春子の病気を伝えられたのは、新学期に入ってからだった。他の友達には会いたくないって言ったらしいんだけど、私には会ってくれて。ようやく会えたのも二月に入ってからで。弱った春子を見て、私は本当に怖かった。弱音を吐いたことのない人の、弱音っていうのは、多分、一番の本当の弱音で。だから、春子の弱った姿っていうのは・・・春子の弱った笑顔っていうのは、絶対に信じたくない真実だった」


私が今、西山くんに弱さを見せているのは、西山くんの優しい人柄、言葉、話し方、笑顔のせいだ。

私を弱くするのは、春子や西山くんみたいな優しさなのだろうか。


「春子は誕生日まで生きられなかった。春子は私に言ってたの。桜が咲くのを見たい、できれば満開の桜。誕生日までは生きたいって。それが、本当の春だからって」


西山くんは、リュックからハンカチを取り出して私の手に握らせた。


「使ってないから、心配しないで」


私は、また、春子みたいな優しさに出会ってしまった。

きっと、そうだ。


「ありがとう」


西山くんのハンカチからは、洗剤か柔軟剤の仄かな甘い匂いがした。

時々、西山くんから伝わる匂いと同じ。


「春子が亡くなった後に、春子のお母さんが言ってたの。誕生日までは生きられなかったけど、春の暖かさの中で良かったって。それが・・・」


「もしかして、それが寂しかった?」


「うん」


西山くんのハンカチが濡れていく。

冷たい涙は、春子の冷たさを思い出させた。


「春子のお母さんが一番辛いのに。それなのに私、その言葉が嫌だった。その春は、本当の春じゃないって訴えたかった。心の中で叫べば良かったのに、つい、本当に声にしちゃって・・・わがままな自分が嫌になる」


私がまた泣き始めると、西山くんは私の肩をそっと撫ででくれた。


「その後、春子さんのお母さんには?」


私は黙って首を横に振る。


「今、どこにいるのかは分かる?」


「引っ越してなければ、分かる」


「一緒に行こうか?」


「いいの?」


「もちろん。家の前まででも、ついて行くよ」


こんなことがあって良いのだろうか。

こんな優しさが。

出会いたかった人に出会える確率が、こんな簡単に訪れて良いのだろうか。


「ありがとう。本当にありがとうね。西山くんは、優しいね」



 西山くんとの初めての下校で、私は泣き、西山くんはそれを慰めた。

私はこれからも西山くんと一緒に帰ることを望んだし、西山くんも同じであることを望んだ。

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