二人の下校

 高校に入学し、私は西山くんと同じクラスで、隣の席になった。

高校だから、机同士がくっついているわけではなくて、通路を挟んでの隣。

 私のクラスに中学からの知り合いは一人しかいなくて、その一人もサッカー部の菅野勇太という、ずば抜けて明るい男子で、話せないこともないけれど、特別仲良くすることもない、私とは違い過ぎるタイプの人だった。

私は、友達作りの波に完全に乗り遅れ、クラスで浮いた存在になりかけていた。

中学からの友達が、他クラスから話しに来てくれていたから良かったものの、そんなことも長く続かないだろうなと不安になっていた。

 そんな私と似たような立ち位置にいたのが、西山くんだった。

西山くんの第一印象としては、凛々しい顔立ちにスラッとした細い体型で、正直これはモテるだろうなというものだった。

でも、休み時間に誰かが話しかけることもなく、西山くんは黙ってスマホを見たり、イヤホンをつけていることもあった。

顔を伏せて寝ていることも多かった。

何度か菅野が話しかけようとしているのを目撃したけれど、イヤホンのせいで断念していた。

 

 私は、クラスの人とまともに話していない中で、最初に話しかけるには西山くんが気楽だろうと思った。

私たちの座席が一番後ろだったのももちろん好都合だったけれど、西山くんを、無視されたらされたで別にいい類だと見限っていた。

話す者のいない同士なら親切にしてくれるかも、という浅はかな期待もしていた。

それに本当は、一匹狼的な存在として、少し憧れてもいる部分もあった。

私は騒がしい教室内で一人、イヤホンで音楽を聴く勇気すらなかったから。


 ただ、西山くんとの肝心な最初の会話を私は思い出せないのだった。


「何聴いてるの?」


だった気もするけれど、それは親しくなってからの問いかけだった気もするし、もしかすると、授業中の何かしら隣の人との会話が必要なタイミングだった気もする。

 英語の時間のペアでの会話だったかもしれない。

私の英語の発音が良いと言って、西山くんが褒めてくれたこともあった。

私は調子に乗って、Rの発音を強調したことも覚えている。

 とにかく、私が西山くんを、自分の孤立を避ける為に利用しようとしたのは確かだった。

同時に、その事実がありながらも、西山くんの一匹狼的な魅力を羨ましく思い、気になっている自分がいるのもまた事実だった。


 きっかけは忘れてしまったものの、私は西山くんと話すようになった。

最初は、次の授業はどうだとか、そういう会話の繰り返しだったと思う。

そこから、少しずつお互いのことを話し始めた。

西山くんが、父親の転勤を理由に東京から引っ越してきて、高校入学に合わせて北海道に来たということを知った。

その話をしたのは、初めて一緒に帰っていた時だった。

もう五月で、そのことだけは、はっきりと覚えている。

私たちは学校に一番近いバス停ではなく、少し歩いたところにあるバス停から乗る必要があった。

そういう偶然もあり、自然な流れだったように思う。

学校に近いバスに比べると、学生の数がだいぶ少なく、基本的には座るほどの余裕もあった。


 西山くんが北海道に来たのが三月の末。

積もった雪を見て驚いたと、どこか嬉しそうに話していた。


「まだあんなに雪があるのって面白い。っていうか、あれじゃあまだ、冬だよね。だって、到着した日の夜、雪降ってきたし」


バス停に向かい歩いている時に、西山くんは言った。

 この時にはもう、西山くんは私にとって話しやすい人で、一緒にいて楽しい人だった。

だから自然と一緒に下校する流れになったし、西山くんの凛々しい顔立ちと、笑った時の柔らかくなる表情のギャップがなんだか面白くて、私の気持ちを和ませた。


「そうなの。気温的には真冬とまでは言えないけど、景色的にはまだ冬なの。だって、桜が一番綺麗なのは、四月末とか、五月の始めだよ。三月末とか四月中旬までは本当の春とは言えない」


「そうなんだ、本当の春か。東京で、満開ではなかったけど、もう桜を見てきたから、これからもう一回、春を楽しめるってことだね」


「おおっ、それすごいじゃん。西山くん得してるね」


「でも、浅田さんも得してるかも」


「えっ、なんで?」


「楽しみは最後にっていうか、東京で桜が散ってちょっと切なくなって、そんなことも忘れかけている頃に、北海道ではようやく桜が咲いて楽しいから」


「うーん、そうかな?」


西山くんの発想を否定しようとしたわけではなかった。

でも、私の微かな表情の変化に気づいたのだと思う。

西山くんは、


「浅田さんは、本当はどう思ってる?」


と聞いてきた。


「本当は・・・」


誰かに話すのが嫌というのではない。

ただ、話す自信がないだけだった。

誰かに話せたら、少しは気持ちが楽になりそうだと思っていたけれど、その誰かの気分を自分のせいで落としたりしたくないだけだった。

それなのに私はこの時にはもう、涙が溢れてしまっていた。

すぐに泣きたくなる自分が嫌い。

優しく意見を求められると、それに縋るように、隠してきたものを解放したくなる弱さが嫌い。


「浅田さん、大丈夫?こんなんだけど、話聞くよ?」


もう、その言葉でダメだった。

自分のことを、こんなんだけど、と表現するあたりも妙に優しさを含んでいた。

私の涙は止まらず、肩と手の震えは抑えられなかった。

西山くんは私の手を引き、少し歩くとどこかに座らせた。

私は涙で視界が揺れ、いくら拭っても溢れる涙のせいでどこにいるのかも把握できていなかった。


「これは、本当の春だよね?」


西山くんのその声に、ようやく私は顔を上げた。

そこには、満開とは言えないものの、綺麗な桜が咲いていた。

私は、公園のベンチに座っていて、西山くんはそんな私を優しく見下ろしていた。

一切、厳しさのない、優しげな目だった。

目を逸らし、桜を見上げた西山くんの横顔は、教室で覗き見ていた凛々しい横顔とはまた別の、等身大の姿に思えた。


「そう。これが本当の春」


泣きすぎてうまく呼吸ができず、ヒクッと肩が上下する。

恥ずかしくて私が笑うと、ようやく西山くんも笑ってくれた。

私の隣に腰を下ろすと西山くんは、


「最初に話しかけてくれてありがとうね」


と言い、


「今さらだけど、高校生活やばいって思ってたからさ」


と、戯けるように笑った。


 この時の私なら、私たちの最初のきっかけをしっかりと覚えていたはずだ。


「やばいって思ってたのは同じ。西山くんのこと利用しただけなのかも」


そんな風に返した気がする。


「利用だなんて。それなら僕もそうだよ」


「でも、西山くんのことがなんだか気になって、話してみたいって思ったのは本当だよ。自分のためだけってわけじゃないのは信じて」


「信じるし、分かるよ」


西山くんと一緒にいることがもっと気楽になったのは、この瞬間だったはずだ。

私は自ら、誰かに聞いてほしかった話をし始めたから、間違いない。


「話、聞いてもらってもいいかな?」


「もちろん」

 

 私は、本当の春の中で、少しだけ何かに急かされるように、自分の話を語り始めようとした。

過去を語るには早過ぎるタイミング。

ドラマなら、早くても中盤までは語られない登場人物の過去。

私と西山くんとの間で、あまりにも早く共有されようとしていた。

 西山くんのその時の表情を覚えているつもりでも、どこか自分の中で創り出したイメージに替えられている可能性は高い。

西山くんと出会って、たった一ヶ月ほどで、あの日の記憶はあっても、同じ匂いに出会わない限り、自ら思い出すことができない感覚がある。

簡単に自分のことを語ろうとする私は、この段階で、何か違う未来に向けて進み始めていたのかもしれない。



「泣いたからには、理由を話さないとだよね」


私は、また泣いてしまうのを恐れながら、冷静になる努力をしていた。


「別に無理しなくてもいいよ。なんか、僕のせいで辛いことを思い出させたならごめん」


「ううん、違うの。西山くんのせいじゃなくて、季節のせい」


「季節?春ってこと?」


「うん」


 迷惑だろうと思う。

確かに西山くんと話すのは気を使わず、穏やかでいられて良かった。

でも、容易く涙を見せてしまうほどに、優しすぎた。


「僕は平気だから。平気って表現は良くないか。その・・・迷惑じゃないっていうか、むしろ、話してほしいって思うよ。出会ったばかりだからとか、関係なく」


西山くんはすごい。

私の心を読んでいるようだった。


「ありがとう、西山くん」


 私が語ったのは、一年前の春の、親友の死についてだった。

春と言っても、本当の春ではない。

桜が咲く前の、まだ足りない春の日のことだ。

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