第2話

3



「先輩って呼び方は────」

 まるで糊付けされたように口が重い。その理由は恥ずかしいところを見られたからでも、ましてや、それを見られたのがよりによって、知人だったからでもなかった。もっとも、知人に1人、滑り台で遊んでいるところを見られて、恥ずかしくないほどメンタルを僕は強くなかったが。

「外ではやめてくれって、前に言っただろ、エル。むず痒くなるから」

 彼女は神谷絵流。僕はどうも、この2つ歳下の幼なじみが苦手なのだ。まあ、女性全般に苦手意識があるのだけど。それでも、その他の女性に感じるものとは別種の苦手さが、エルにはある。

「だって、」

 ニカッと白い歯を出して笑う。まるでエルだけが、子供の頃から時が止まっているような錯覚を覚える。

「先輩って呼ぶとイイ顔するから。その顔面白くって」

 ニコニコと言い放つ。悪魔かよ。

「嫌がる顔ならいくらでも見せてやるから、せめて2人の時『先輩』呼びはやめてくれ……」

 どうせ、エルに会った時はこの顔になるんだから。そう続けると生意気にも「男子ばっかりの大学で女の子に先輩呼びなんてされないんだから、黙って喜べばいいのに」なんて言いやがるから、軽く頭を小突いてやった。実際、女性に対する苦手意識から、ほぼ男子校とすら呼ばれていた大学を進学先に選んだが、入学後しばらくすると、高校の時に当たり前のように女子がいた環境が懐かしくなってしまったことに我ながら驚いた。大学デビューとはいかないまでも、大学の夏休みを機に、身なりにも人並みに気を遣うようにもしたが、いかんせん女子が少ない場ではむしろ浮いた。それでも、高校時代の友人たちにも「見違えた」と評されたことに気を良くした僕は、出会いを求めて近くの大学と合同で開催された飲み会に参加してみたりもしたが、そこでは女慣れしてなさが露骨に出て、結果は振るわなかった。それら事で打ちひしがれ、げんなりとしていた大学3年、つまり今年の春。キャンパスの中で俺に向かって「先輩!」と呼びかけられた時、僕の心は大いに弾んだ。あぁ、嬉しかったさ。それは認めよう。けど、呼びかけてきた人物の顔を見て、よく知る顔、それも親の次に見た顔だったことに、僕は心底ガッカリした。

 それに、僕の「よく分かったな」という質問に「だってなんにも変わってないじゃん!」と言われた時は、周りに人がいなければ膝から崩れ落ちるところだった。僕の血の滲むような努力を『何も変わってない』と言われたのだから。


「先輩、────ねぇそんな顔しないでよ。これからもそう呼ぶからさっさと慣れてくださいって。で、昨日あのあと、大丈夫でした?」

 僕の嫌そうな顔に抗議の声を上げながら、僕の心配をしてくる。エルは昔からこう言う「厳しさ」と「優しさ」を混ぜた、独特の話し方をする。それだけでもやりづらいのに、最近は「後輩」と「幼なじみ」もおりまぜてくる。やりづらいったらありゃしない。

「昨日の宅飲みの後だろ? まぁなんとか1人で帰れたみたいだよ。家に着いた記憶ないけど」

 そう。昨日は確か、サークル仲間の部屋で宅飲みをしていた。酒もすっかり回りきって、宴もたけなわと言ったタイミングでの、隣の部屋からの壁ドンですっかり酔いが覚めてしまった。それからは下級生たちをを家に返し、3年の野郎連中だけでちびちびと飲むことにしたが、なんとこいつは「先輩が心配だから残ります」なんて、ダジャレなのかラップなのか分からないセリフを言い放ち、堂々とその部屋に居座ったのだ。当然の流れというか、僕の愛すべき同級生共はアルコールに浸った脳みそで、あろうことかセクハラ発言をかまし始めた。初めは毅然とした態度で流していたが、これはまずいと思い、僕が無理やり帰したのが、午前3時頃だったはず。そこまでは覚えているが、その先どうなったかは覚えていない。ともかく、部屋についてぶっ倒れたのが5時だから、きっと何とか帰れたんだろう。

「はぁ? 本気で言ってます?」

「え?」

「まぁ〜、無理もないですよね。先輩ベロンベロンだったし。1人で滑り台なんかで遊んで、もしかしてまだアルコール抜けてないんじゃないです?」

「なっ────そ、それは関係ないだろ!」

 否定は出来ないけど。ってか見られてたのか!

「あの後先輩、セクハラされてるあたしの腕掴んで『こいつはオレが連れて帰っから!』みたいなこと回らない舌で喋って一緒に帰ったんですよ?」

「マジ?」

「まじです。帰ったって言っても、あたしの部屋じゃなく、先輩の部屋だったけど。便器だっこしてゲーゲー吐くから大変だったんですよ?」

「……それはすまん」

 まぁ、僕が連れ帰ったというか、心配して着いてきてきてくれたんだろうな。申し訳ない。

「それに、部屋着いてからの先輩、目がマジで怖かったけど……」

「え?」

 なんか流れ変わったな?

「でも先輩、飲みすぎると勃たなくなるみたいだから、次する時は飲みすぎないでね?」

「嘘だろ?」

「うそです」

 良かった……心底。

「ほんとは勃っても大した大きさじゃなかったんで興ざめしたあたしが帰りました」

「それも嘘だろ!」

 嘘だよね!?そんなに小さくないよね!?

「はい。それもうそです」

「心臓に悪いからやめてくれガチで。二度と」

「どこまでがうそとは言ってませんけど」

「え、なにそれ、マジで怖いやつじゃん」

「……」

「えっ、黙らないで、ねぇ」

「……ところで」

「あ、無視なんだ」

 ガチっぽくするのやめよ?

「するんです?」

「え────」

「花火」

「は、花火?」

 別のことかと思った。

「それも覚えてないんですか?」

「ごめん……」

「使えな……」

「それは酷くない!?」

 マジのトーンじゃん。傷つくよ?

「昨日買ってたじゃないですか。コンビニで」

「あ、あ〜」

 言われてみれば、さっき家を出る時に、やけにカラフルなのが玄関にあった気が……。

「『火薬って甘いんだぜぇ〜! 人間花火、見せてやんよ!』って言ってたから、今日楽しみにしてたんですけど、全然連絡くれないから」

「あっ、僕が花火になるの?」

 いくらなんでもリスキーが過ぎる。でも酔った僕ならギリ言いかねないし……。酒控えよっかな。

「いや、さすがにそれは冗談だけど」

 ケラケラ笑いながら言う。僕、完全におもちゃにされてるな。

「でも、今日一緒にしてくれるって言ってたのはほんと」

「……そうか。完全に覚えてない。すまん。とりあえず今から取ってくるから待っててくれ」

「……あたしも行きます」

「いいよ。花火くらい1人で持ってこれるし」

 それに、うちはあんまり綺麗じゃないから。そう言うと怪訝そうに眉をひそめる。

「他に持ってくるものないんですか?」

 えっと、そうだな……。

「ライターはうちにあるから、大丈夫だよ」

「はぁ……」

 なんかため息吐かれましたけど……。

「バケツは?」

「あ」

 花火なんて中学以来してないから、完全に失念していた。

「まだアルコール抜けてないみたいだから、あたしも行く。いいよね?」

「はい……」

 ずっと主導権を握られっぱなしだ。言い負かされたので、2人で僕の部屋に花火セットを取りに戻ることになった。



4



「わー! あはははははっ!」

 10数分後、公園には花火を両手に持ってはしゃぐエルの姿があった。

「……大学生にもなって花火ではしゃぐなよ」

 許可なんて知らん。怒られたらごめんなさいすればいい。

「む。じゃあその両手に持ってる8本の花火はなんなんです?」

「そりゃ……ウルヴァ○ンするに決まってるだろ?」

「うっわ、ガキくさ」

「はぁ!?」

 僕はいつだって子供に還れる純粋な精神を持ってるんだぞ! 花火でウ○ヴァリンしてもいいよな!?


「そういえば……」

「ん?」

 あまりにも多くの花火。それなりに安いものを買ったようだったが、2人では消化しきれなかったので、残りは次の機会ということにして〆の線香花火をすることにした。そんな中、少ししんみりとした口調でエルが口を開いた。

「桜先輩とはどうなったんです?」

「ぶっ!」

 動揺して吹き出してしまう。その勢いで地面に花火が落ちる。

「あ〜! あたしの勝ちですね!」

「ちょっ! それは卑怯だろマジで!」

「先輩の奢り〜♪ なんのジュース買わせよっかな〜」

 ルンルンのエル。僕とエルはジュースを賭けてどちらが線香花火を長く灯していられるかの勝負をしていた。しかし、今の僕には1本100円のジュースでさえそこそこ痛手だ。出し渋る訳では無いが卑怯な手を使っての勝ちは認めない!

「ノーカンだノーカン! もう1組ある!不正負けにしてやらない代わりに、もう1回だ!」

「え〜、しつこいですね〜。そんなんだから桜先輩に振り向いて貰えないんでしょ?」

「ぐ……」

 痛すぎる。エルが目の前に居なければ泣いていた。成人男性のガチ泣きは怖いぞ……?

「それとこれとは別だろ! 卑怯な手での勝ちなんて僕は認めない!」

「まぁ? 先輩がぁ? 土下座してもう一回って言うんだったら? やってあげてもいいですけど〜?」

 ぐぬぬ。足元をみやがって。年下の女の子にジュース1本のためだけに土下座するなんてそんなの僕のプライドが許さない。

「お願いします……!」

 まぁするけど。

「うっわ……それはまじでヒきます。みっともないんで二度としないでください」

 フン。再戦さえできてしまえばこっちのもんだ。僕は額と膝に着いた砂を払い、袋から花火を取り出す。

「プライドとかないの?」

「プライドなんてそこらの犬にでも食わせとけ」

「かっこいいこと言ってるようでしてることは後輩女子への土下座ですからね? んなペラいプライド、犬も食わないでしょ」

 僕は無言で花火を渡す。別に傷付いた訳じゃない。

「せーのでつけるぞ」

「は〜い」

「せー、の!」

 ロウソクに灯った火に花火を近づける。チリチリと紙が燃え始め、光の玉になる。

「……さっきの話なんですけど、実際どうなんです?」

「その手は食わんぞ」

「いや、割とまじめに」

 光の玉から、ひとつ、またひとつと火花が散る。

「……そも、なんでエルが知ってるんだよ」

「先輩方から聞いたのと、部室での2人の空気感見て、なるほどな〜って」

「あぁ……」

 桜先輩というのは、僕の一個上、4年生の先輩で、サークルの部長だった人だ。『だった』というのは、この6月で3年生に部長の座を明け渡したし、今はゼミと部室を往復する生活をしている。僕がその桜先輩にホの字(なんて表現、きょうび聞かないが)なのはサークル内では周知の事実だった。現に、僕は桜先輩に見初められるために自分磨きをしたし、気を引くつもりで合コンなんかにも行った。結果はまぁ、お察しの通りだが。

「あいつらから聞いたんなら分かるだろ、その辺も」

「まぁ……」

 光の玉から出る火花は、一つ一つが淡く、それでいて力強さを感じさせる。時間の経過と共に火花は勢いを増す。

「ふ〜ん」

 含みのある、わざとらしい言い方でエルが言う。

「……なんだよ」

 先を促すように聞く。火花はもはや、夜空に咲く大輪のように光を放っていた。光の玉も次第に大きくなっている。いよいよ佳境だ。

「……あたし、天使なんです。実は」

 エルが突然立ち上がる。

「は?」

 花火は当然落ちてしまったが、そんなことは気にならないくらいの発言だ。天使だァ? こいつが天使だなんてそんなはずがない。それに、小、中学生ならまだしも、大学生でそれは天然とかいうレベルを遥かに凌駕していて、言葉を選ばないなら

「痛……」

「あ〜! 信じてませんね!」

「当然だろ」

 気づけば僕の花火も落ちてしまっていた。

「大丈夫ですよ! 先輩の恋、しっかり応援しますから! 」

 いや、それは天使じゃなくてキューピッドだろ……という野暮なツッコミはやめておくか。

「天使だってんなら証拠はあるのか? 見たところ翼もリングもないみたいだけど?」

「ま、魔法で見えなくしてるんです!」

「ふ〜ん」

 ウソくせ〜。

「ぐぬぬ……なら、エンジェルパワー、見せちゃいます!」

「ほう。楽しみだな」

「100円玉貸して!」

「それくらい魔法で出せよ……」

「そしたら魔法で消すの簡単じゃん!」

 それはたしかに。僕は渋々100円玉を財布から出す。

「いきますよ〜!」

 エルは右手に100円玉を握りこんで、左手を手の甲に重ねた。

「3、2、1、はいっ!」

 エルが握った両手をリズムに合わせて振る。そして、ゆっくりと右手を開いて見せた。

「消えました〜! すごいだろ! すごいって言え!」

「……ただのマジックだろ」

 それくらい僕にもできる。

「てか、僕の100円返せよ! これ元は消失じゃなくて移動マジックだし!」

「ヤです〜! 消失したので返せませ〜ん」

「はぁ!? 左手開いて見せろよ!」

「……天使は秘密主義なのです」

「天使も日本の法で裁けるのかな」

 僕はポケットからスマホを出し、110番にかけるふりをする。

「あ〜! 冗談冗談! エンジェルジョークですから! 通報だけは勘弁を〜!」

「なら黙って僕にジュース奢ることだな!」

 花火勝負の勝利者である僕がそう告げると、エルは渋々自販機へ向かった。

「僕のはコーヒーな!」

 聞こえたか分からない呼び掛けから数十秒後。エルは僕のオーダー通り、缶コーヒーと自分の分のサイダーを買って戻ってきた。

「ともかく、応援するんで! 先輩も頑張ってくださいね! 恥かかせんなよ!」

「ん〜……あぁ、そうだな」

 缶コーヒーをグイッと煽る。これは言うべきなんだろうか。そんな考えが頭をよぎる。が、可愛い後輩に華を持たせるために、言わないことに決めた。

 その日は感をゴミ箱に入るまで投げ続けたあと、解散した。別れ際、エルが「チョッロ……バカじゃん」とか言ってた気がするが、多分気のせいだろう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天使のイタズラ 志葉九歳 @shiba9tose

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る