現世(一)

「うっ……」


 まぶたを持ち上げた瞳が真っ先に捉えたのは、鮮やかな赤い色だった。

 一瞬血を連想してしまったが、それは赤い服を着た誰かの背中だった。そしてその誰かさんと私が居るのは、晴れた日のような青い布で囲まれた神秘的な空間。綺麗に掃除されていて清潔そうだ。


(ここは何処だろう?)


 私はうつ伏せで台(?)の上に敷いた布団に寝かされていた。首が左向きに固定されていたので反対側も見ようと、両手で踏ん張って身体を少し浮かせたら背中にピキッと痛みが走った。


「……ぎ、ぎぃやあぁぁぁぁぁ……!」


 息を吐くのと一緒にゆっくりとした悲鳴が漏れた。

 痛い。半端なく痛い。背中の肉が広範囲に渡って裂けている。


「あ、目覚めたんだね!」


 誰かさんが振り返った。赤い軍服の上に白い前掛けをした青年が、喜びの表情を浮かべて私の顔を上から覗いた。あなたは誰でここは何処?


「ふぎぃぃぃぃ……」


 質問したいのに痛みで歯を食いしばってしまい言葉にならない。


「麻酔が切れたんだ。キミ、痛み止めと水を持ってきてあげて」


 のんびりとした声に急かされて、白い前掛けの青年が小走りで去っていった。代わりに顔を出したのは、黒縁の丸眼鏡を掛けた白衣の中年男性だった。

 男は私へ右手の人差し指を見せた。


「この指の動きを目で追ってみて」


 男が横へ移動させた指を私は目で追った。次に男は手をチョキの形にした。


「指は何本?」

「に、二本……ふぎゅっ」

「良かった。反応も脳にも異常は無さそうだね。動くと縫った傷が開いてしまうから大人しくしていてね」


 口振りと白衣からこの男が医者だと私は推測した。痛いけれど裂けた肉が縫われていると知り私は安堵した。

 戻ってきた青年が私の上半身を少しだけ起こして、苦い薬と水を飲ませてくれた。白い前掛けの彼は衛生兵だな。彼と同じ格好をした兵士が三人居る。


(──ああ、思い出した)


 私は仲間だったモロに背中を斬られて地獄へ落ち、ミユウにお尻を蹴っ飛ばされて現世へ戻ってきたんだ。モロに関しては恨んでいないが、ミユウは許さんぞあん畜生。

 青い布で覆われたこの空間は医療を行うテントの中らしい。兵士が赤い軍服を着込んでいるということは桜里オウリ兵団の陣内だ。


「手当て……して下さって、あ、ありがとうございまひゅ……」


 私は激痛の中、汗を掻き掻き感謝を伝えた。


「どういたしまして。身体がつらいだろうにまず礼を言うなんて、キミはずいぶんと礼儀正しいんだね」


 計算です。健気な態度を見せれば相手は自分に好印象を抱くと教えられました。私は敵国の忍びなのだから、始末されないように好感度を上げておかなければなりません。

 私は医師へ微笑みつつ視線をあちこちに飛ばした。あ、テント中央に立つ支柱の向こうにも誰か寝かされている。男性の二人組だが、その内の一人が寝返りをうった。


「……すまねぇ、水をくれ……」


 かすれ声だったがこれはシキだ。となると残る一人が我が弟か。


「う……うあ」


 エナミらしきシルエットも声を発した。

 良かった、みんなで還ってこられたんだ! 派手に怪我をしているから無事とは決して言えないけどね。早く痛み止めが効きますように。


「ああ、シキにエナミくん、キミ達も目覚めてくれたか。良かった……!」

「軍医殿……迷惑をかけて申し訳ない……」

「ホントだよ、まったく無茶をして! さぁシキ、この指は何本だー?」

「いやあの……、会話が成立している時点で脳には異常が無いと察してくれ」


 柔らかい雰囲気の白衣の男性は、桜里オウリ兵団の軍医で間違いないようだ。


「うっ……はぁ……」


 エナミが苦しそうに呼吸していた。軍医がエナミの額に手を乗せた。


「熱がまだ下がらないね。毒を排出するにはある程度の汗を掻いた方がいいんだけど、あんまり熱が高いと脳に異常が出ちゃうからなぁ」


 毒?

 軍医は衛生兵達に指示を出した。


「解熱剤はもう飲ませちゃったから、布巾を使って彼の身体を冷やそう。キミは桶で水を汲んできて。そしてキミはマサオミヘ報告だ。三人が地獄から戻ってきたってね」


 軍医は地獄についても理解済みか。話が早い。


「あの……お、弟は……毒を受けたんですか……!?」

「うん。それで一時的にわざと瀕死になった」


 包帯でグルグル巻きにされている私と違い、シキとエナミは、それぞれ腕と脚の狭い範囲に包帯が巻かれているだけだった。

 衛生兵から水の入ったコップを受け取ったシキは、それを飲むことすら忘れて苦い顔でエナミを見つめていた。


「……何度も自分の身体で毒を試した俺と違って、ご主人には毒の耐性が無いからな……。もう少し薄めてやれば良かった」

「シキ隊長、使ったのは蛇の毒……?」

「そうだ。刃の先に少し塗って身体を傷付けた」


 大きな裂傷や打撲傷では完治までに時間がかかる。だから瀕死となる手段にシキは毒を選んだのだろう。

 ちなみに蛇は牙で嚙み付いて獲物の体内へ毒を注入するので、蛇の毒を飲まされても、口内や食道に傷が無ければノーダメージで排出できるそうな。


「だ、大丈夫……だよシキ。い、意識はちゃんと……有るからさ……」


 濡れ布巾を首や脇の下に押し当てられたエナミが荒い息の中、シキを安心させようと笑みを作った。健気だ。私の演技と違って彼のはおそらく天然だ。


「それに……刃に塗った毒は……ほほ、ほんの少しだったじゃ、ないか。あれ以上……薄めたら、た、たぶん俺は瀕死に……なれなかた……」


 舌が麻痺しているのかエナミは上手く喋られなかった。これ本当に大丈夫なの?


「馬鹿野郎! これから悪化するかもしれねぇし、何らかの後遺症が残るかもしれねぇえんだぞ!? 死にかけるってはなぁ、それだけヤバイことなんだ!!」


 シキがガラガラ声で怒鳴った。彼にも決して低くない熱が有って喉が炎症を起こしているっぽい。


「そうなっても、あ、あんたのせいじゃない……。俺が弱かた……だけ。だから……気に病むな」

「違う、そうじゃない、そうじゃねぇんだよ馬鹿野郎……」


 本人が望んだこととはいえ、自分のせいでエナミを苦しませている現状がシキには耐えがたい苦痛なのだ。そして責任を感じる以上にエナミの容体を純粋に心配していた。シキのこの態度は上官を気遣う部下と言うよりも、家族愛に近い気がした。

 私もつらいよ。地獄に落ちた私を追う為に、二人には何て危険な真似をさせてしまったのだろう。


「はい、みんな安静を心がけて!」


 のほほんとしていた軍医が、初めて厳しい口調で私達をしかった。


「このテントに居る限りは僕の指示に従ってもらうよ。衛生兵の介助無しに起き上がることを禁じる。大声を出すな。興奮もするな。……いいね?」


 私は反抗することなく頷いた。軍医は州央スオウ陣営だった私の手術をしてくれた命の恩人だもの。

 ……アキオ、モロ、裏切ることになっちゃうけどゴメンね。私は敵対していた桜里オウリ兵団の中で、これからこの小さな命の火をともし続ける。


 愛する弟と一緒に……。

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