過去と未来(四)

「エナミ」


 統治者がエナミへ向き直った。


「シスイはね、過去しか持たない私へ……未来をくれようとしているのです」


 それはミユウとの未来なのだろう。王でさえなくなれば、彼は私人としてミユウを愛することが出来るのだから。

 エナミが両手で頭を抱えた。


「エナミ……すみません。私が幸せを選べばシスイが犠牲となる。それを解った上で私は……」

「違います統治者様。俺は……嬉しいんです」

「?」

「あいつが……、シスイが俺の知る彼のままだったことが……。百二十年経っても変わっていなかった……!」


 エナミの瞳に涙が光っていた。

 シキが言っていた。シスイは仲間を助けて死んだって。そっか……。自分のことよりも、仲間の幸せを優先させちゃう難儀な性格なんだね。


「俺は、そんなシスイだから惹かれたんです」


 泣き声だがエナミはハッキリ言った。シスイが顔をギュッとしかめた。彼も泣きそうだ。

 統治者は数秒間まぶたを閉じ、それから開いた全てを見通すような瞳でエナミを捉えた。


「エナミ……。あなたはこれからどうするつもりですか?」


 核心を突いた問いにエナミは即答した。


「シスイを追います」

「! ご主人……!」


 シキが腰を浮かせたが、統治者が手を前に出して彼を制した。


「それは自ら命を断ち、シスイと同じ地獄の住人になるという意味ですか?」


 私達が最も心配していることだ。


「いいえ」


 しかしエナミは否定した。


「俺は決して自殺しません。俺は二年前の戦いで死にかけた。この命はシスイ、父さん、マホ様、マヒト、モリヤさん、トオコ、沢山の人達が繋いでくれた命なんです。決して粗末にしないと誓いました」


 何人もの知らない名前が出てきた。二年前にエナミを助けてくれた人達なんだろう。


「俺が今回地獄へ来たのは姉を助ける為です。姉とシキ、そしてトキと共に俺は現世へ還ります。生きる為に」


 涙に濡れていたがエナミの顔は決意で引き締まっていた。彼に死ぬ気が無いと知って私達は安堵した。


「ですが統治者様、俺は兵士で、今は戦時中です。危険はすぐ側に存在します」

「……そうですね」

「どんなに頑張っても戦局を変えられずに、命を落としてしまうかもしれません。その時はどうか……俺を受け入れて頂きたいのです。地獄の住人として」


 たまらず統治者の横からシスイが声を張った。


「駄目だエナミ! 俺は地獄の王に成るんだ。おまえが地獄の住人となっても、もう恋人として接することは出来なくなる。おまえは別の者を愛し、家庭を築き命を繋げ。それがおまえの幸せ……」

「幸せじゃない。勝手に決めるな」


 シスイの言葉尻にエナミが被せた。


「どんな形であろうとシスイの……あんたの傍に居たい。それが俺の幸せだ」

「エナミ……」

「だから俺はあんたを追う。寿命が来た後にな。長生きして、次に地獄へ落ちる時はお爺ちゃんになっているかもしれないけどさ」


 力強く笑ったエナミ。悟ったような晴れ晴れとした表情だ。

 統治者が溜め息を吐いたが、彼も笑顔だった。


「いいでしょうエナミ。あなたが死後、次期統治者の従者として活動できるように、私から天帝に話を通しておきます」

あるじ様!」

「シスイ、あなたも腹を決めなさい。恋人にここまで言われて尻ごみしては男がすたりますよ?」

「し、しかし……。俺の都合にエナミを巻き込むなんて……」

「ふふふ……。いつかきっとまた恋人同士に戻れますよ。後の世にお節介な誰かが登場して、あなたを統治者の任から解いてくれるでしょう。今の私とあなたのようにね」

「………………」


 エナミが立ち上がってシスイの元へ歩み寄った。


「シスイ、あんたに俺は巻き込まれるんじゃない。俺の意志で選んだんだ」

「エナミ……」

「ありがとう。百二十年間、俺のことを忘れないでいてくれて。また待たせてしまうことになるけど、その時まで俺を覚えていてくれると嬉しい」

「忘れるものか……!」


 シスイも立ち上がり、エナミを強く抱きしめた。それがエナミの願いを受け入れた証となった。

 良かったね。エナミ、シスイ。

 早死にはさせられないけど、弟には彼の望む幸せを掴んでもらいたい。


「……決まったなら生者の塔へ向かおう。ご主人、脚の具合はどうだ?」


 祝福ムードの中、一人だけ納得し切れない不機嫌さをシキが醸し出した。彼はエナミが地獄に引っ張られないように心配しているんだろう。


「あ、うん。もう大丈夫だと思う。さっきから痛まないし」


 シスイがパチンと指を鳴らすと、エナミの脚に巻かれていた布が消えた。うん、傷痕も残っていない。負傷から一時間弱経ったからね、完治したようだ。


「シキの肩は?」

「とっくに治ってる。俺のは軽傷だった」

「そうか、なら行こう」


 シスイと離れるのを嫌がるかと思ったが、エナミは矢筒を担いであっさり戦闘モードに入った。

 進む未来が決まったので、迷いが無くなったんだな。


「俺の溜め矢でミユウの脚を止める。その隙にみんなは全力で塔へ走れ」


 溜め矢とは……、ミユウの大盾を破壊したあの必殺技か。

 トキがエナミを気遣った。


「小隊長が管理人の注意を引き付けるのか? そうしたら一人だけ走るのが遅れて、あんたが管理人に狙われることになるぞ?」

「心配無用だ。俺の脚も飛脚のトキに負けないくらい速い。狩りで仕留め損ねた獣に追われて、死ぬ気で走って鍛えたからな」


 ああ……私とトキが熊に襲われた修羅場を思い出す。アレを狩人のエナミは日常的にこなしていたんだね。


「だけどそうだな……シキ、おまえが生者の塔の入口前に陣取って、遅れた仲間の為に牽制の矢をミユウへ飛ばしてくれ」

「任せろ」

「ミユウは生者の塔を破壊したりしないよね? 流石に」


 私の質問には統治者が答えてくれた。


「はい。生者の塔の中は完全な安全地帯です。中に入ってしまえば管理人といえど手は出せません。心配なら私がやはりミユウに一服盛りますが」


 エナミが引きり顔で遠慮した。


「いえ……そこまでは。ミユウは俺達を殺すつもりが無いようですから、最後に強くなった俺とシキを見てもらってお別れしたいのです。俺達は二年前、彼に何度も助けられましたから」

「ふふ……。あなたのその気持ちをミユウが知れば、彼はとても喜ぶでしょうね」


 そう言った統治者こそ心底嬉しそうだった。

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