過去と未来(三)

☆☆☆



「さ、そろそろ頃合いですかね」


 三十分経ってしまった。

 切り株へ統治者がさっと手を払うと、置かれていた茶器が一瞬にして消えた。いったいどうなっているのか。油断せず統治者を観察していたのに判らない。

 腰を持ち上げた統治者に続いて私達も立ち上がった。ああ、どうか最中じゃありませんように。もう終わっていますように。そう願いながら皆でエナミとシスイが居る森の奥へ向かった。

 はたして彼らは……。


「あ」


 先頭の統治者が立ち止まった。


「ヤベェ」


 トキが呟きにしては大きな声を出してしまった。

 私達の視線の先には…………衣服の前面がはだけたシスイと、ほぼ全裸のエナミが寝転んで抱き合う姿が在った。

 彼らはトキの声で私達に気づき、そしてこちらを見て硬直した。


「……少し早かったようです」


 統治者が振り返って囁いた。でしたねぇ。本番こそ終わっていたようだが、余韻を楽しむ恋人達の元へ踏み込んでしまった私達。

 あああぁぁぁ、ごめんよエナミ!! 無粋な真似をしたお姉ちゃんを許して。戦犯は地獄の王様です。


あるじ様!?」

「わ、わあぁぁぁっ!!」


 金縛りの解けたシスイとエナミがバタバタ慌て出した。シキが吐いた大きな溜め息の音が聞こえた。

 シスイが空中から白い大きな布を取り出して裸のエナミへ掛け、彼の肌を覗き魔達から隠した。お茶セットを出現させた統治者と同じ技だ。地獄の住人は奇術師みたいだな。

 ……ん? そんなことが出来るなら私を手当てする時、私の片袖を破らなくても良かったんじゃ……。シスイめ。エナミだけじゃなく姉の私にも優しくせーや。


「すみませんシスイ。今回に関しては本当に申し訳ない」


 統治者がしおらしく部下へ謝った。彼は手頃な切り株が無かったので今度は椅子を出現させ(!)、そこへ綺麗な姿勢で座った。私、トキ、シキも草の上へ腰を下ろした。

 シスイとエナミも何とか服装を整えて、シスイは統治者の傍に片膝を付いて控え、エナミは私達の近くに来た。照れ臭いのだろう、目を合わせてはくれなかったが。

 統治者が困り顔で、エナミにも挨拶と謝罪をした。


「久し振りですねエナミ。あなたにも恥ずかしい想いをさせてしまってすみません」

「い……いえ……。屋外であんな……事してた俺らが悪いんですから……」

「お詫びとして、最後の管理人であるミユウに差し入れと称して一服盛ります。これで生者の塔の攻略が格段に楽になるはずですから許して下さい」

「ぶっ!?」


 統治者以外の全員が噴いた。シキが珍しく裏返った声で聞き返した。


「宜しいのか!? 我らを簡単に現世へ還しても!」


 統治者は苦笑した。


「本当は駄目ですよ。天帝からしこたま怒られるでしょうね。でも皆さんの魂には輝きが有る。現世でまだ成長が期待できそうです。……一名、複雑な立場に身を置く者が居るようですが、困難を乗り越えていけると私は信じたい」


 どきり。私のことだよね。州央スオウの王家に仕える忍びだというのに、裏切ってイサハヤおじちゃんの革命軍に参加しようとしている。


「そもそもミユウの馬鹿が、皆さんと本気で戦う気が無いようですので。結果が判っているのなら時間がもったいないです」

「やはり……ミユウは手加減してくれていたのですか?」

「ええ。本来のあのコはとても優秀なんです。私が造った仮面の支配に打ち勝ってしまうくらいに」


 だからミユウと会話が成立していたのか。


「もしもミユウが本気を出していたら、先程の戦いで皆さんは間違い無く全滅していたでしょう。加勢したシスイも含めて……ね」


 統治者の言葉を受けてシスイが唇をキュッと結んだ。私の目からはミユウとシスイは同格の戦士に見えていたが、実際のところ実力差がけっこう有ったようだ。


「では……何故」


 隣のエナミが口を挟んだ。


「何故ミユウではなく、シスイを後継者に選んだのですか?」


 その決断のせいで自分とシスイの距離が開いてしまった。エナミの瞳はそう訴えていた。

 統治者はエナミを真っ直ぐ見て言葉にした。


「シスイがそう望んだからです。私とミユウを重責から解き放つ為に。……優しいコなんです」


 エナミがハッとしてシスイへ視線を移した。シスイは黙って下を向いていた。


「エナミ、私もね、かつては現世で人として生きていました。あなたと同じ兵士で、軍師の職に就いていたのですよ」

「えっ……」


 統治者のこの発言は衝撃だった。彼は私達よりだいぶ前の時代を生きた人間だったのだ。


「同族殺しは大罪です。軍の関係者は死した後、ほぼ確実に地獄へ落ちます。私もそうだったのですが、地獄と相性が良い魂だった為に天帝より役職を与えられ、長らくここで存在することになりました。家族や同胞達の魂が別の場所へ運ばれた後も、ただ独りでひたすらに……」

「………………」

「統治者は地獄で絶大な権力を有します。それと同じく、絶望的な孤独を抱えることになります。減らない罪と咎人とがびと達を見守り、そして旅立つ命を見送る日々です」


 統治者の口調はお茶を飲んでいた時と変わっていない。だのに言葉が重い。彼が背負ってきたものが集約されていた。


「自分が何者かすら忘れそうになるくらいに長い年月、私は統治者として君臨してきました。親も妻も子供すら遠い過去。思い出してもそれは記号のようなもので、何の感情も抱かなくなってしまった」


 統治者は微笑んでいた。でもまるで泣いているかのような、哀しい笑みだった。


「私が孤独に耐えらえたのは……ミユウが居てくれたからです。とっくに罪の清算が済んでいるあのコは天界へ昇ることが出来たのに、希望して私の傍に留まってくれているのです」

「ミユウはあなたを愛しているのです。何千年も、ただひたすらに」


 ここでシスイが発言した。これも重い言葉だった。

 統治者は顔を伏せた。そして初めて感情を滲ませた声で呟いた。


「そうですね……。統治者である限り、私はミユウ個人を特別視することが出来ない。だから何度も私から引き離そうとしたのに、本当に馬鹿なコです……」


 それで解った。統治者もミユウを愛しているのだと。

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