過去と未来(二)
森からは出ないギリギリの地点に私、シキ、トキは腰を下ろした。シキが樹々の合間から生者の塔の方向を睨んでいる。
「……二時間後には塔へ向かいたい」
呟いたシキ。トキが驚いた顔を向けた。
「そりゃ分隊長、えらく急だな? 小隊長の脚はけっこうザックリやられてたぞ? 今日は無理させない方がいいんじゃないか?」
「あの程度の傷なら一時間で塞がる。流れた血が補充されるのにプラス三十分というところだ。あまり時間を空けると、ミユウの大盾が復活して面倒なことになる」
なるほどね、エナミに過保護なシキが急ぐ理由はそれか。確かにあの盾は厄介だ。
「それに、出来るだけ早くご主人をシスイと引き離したい」
あ。一番の関心事はやっぱりそこか。
「ねぇシキ隊長、あなたはエナミがシスイに近付きたいあまり……、地獄の住人を目指して自殺するとか考えてる?」
シキの返事は無かったが、険しい眼差しが肯定となった。
「心配し過ぎだよ。私と合流する為にかなり無茶をしたっぽいけど、二人とも死ぬつもりは無かったんでしょ? 流石にね、そこまでは……」
「しかねないんだよ、ご主人は。実際にシスイが死んだ時、その場で後を追おうとした」
「ええ……!?」
急に不安になった私とトキは森の奥を振り返った。まさか今まさにエナミ、自殺しようとしているんじゃ……。
「大丈夫ですよ。ミズキはエナミが傷付くことを何よりも恐れていますから、自害は絶対に許さないでしょう」
不意に横から聞き覚えの無い声が届いた。
「!」
「!」
「!?」
私にトキにシキ、三者が一様に驚いて
すぐ近くの切り株に、高価そうな衣に身を包んだ三十代くらいの優男が腰掛けていて、尚且つお茶らしきものを飲んでいたのだ。
いつから居たの!? しかも湯呑から湯気が立っている。たった今淹れた感じだ。
「何者だ!」
シキが今の今まで、全く気配を感じさせなかったその男へ弓を向けた。男はシキの弓矢に狙われている状況でのんびり答えた。
「私はサーシャとミズキの主人です」
サー……とミ……??? あれ、聞いたばかりの固有名詞らしきものを一瞬で忘れてしまった。
首を捻る私達を見て男が愉快そうに笑った。
「ふふ、サーシャとミズキと言うのは、あなた方にミユウとシスイと呼ばれている男達のことですよ」
なんと。思わぬ所であの二人の本名が判明した。
ん? サー……、何だっけ。また忘れちゃったよ。どうなってんの?
混乱する私達とは対照的に男はずっとにこやかだ。
「地獄で彼らの
聞いたシキが目を見開いて、ゆっくりと弓を下げた。
「……名を管理する者……。あなたが地獄の統治者か」
「え!!」
驚愕した
「シキ、対面するのはこれが初めてですね。全く……あなたもエナミも、現世時間でたったの二年でまた地獄へ落ちてくるとは不甲斐ない」
「……面目ないです」
「うえええええ!? ホントに地獄の王様なの!?」
トキうるせぇ。密着している状態で大声出すな。
「はい。地獄の統治を天帝より任されている者です。うーん……。こうすれば信じてもらえますかね?」
茶を飲む中年男からピカ──ッと後光が射した。度肝を抜かされたが幸いそれほど眩しくない。温かさも感じるその光が私達三人を包んで、
「……くっ」
全身から力が抜けてシキが弓を取り落とし、私とトキは背後の草の上にべちょっと寝転んだ。
「な……何を……? 我々に何を……されたのか」
弱々しい声でシキが男に尋ねた。男は何処から出したのか、急須からおかわりの茶を湯呑に
「皆さんの本質を探りました。それぞれ素晴らしい魂をお持ちですが、地獄での適性は無いようです。とっとと現世へ還ることをお勧めします」
地獄の適性……。シスイが言っていた相性のことかな。そうか、私達の魂では摩耗するだけで、地獄で長い期間の活動が出来ないのね。
「あ、皆さんもお茶飲みますか?」
「い、いいえ……」
喋るのもままならないのに、お茶なんか口に含んだら大量に垂れ流すよ。
「そうですか。すみませんね私ばかり。お茶菓子も失礼します」
統治者はわらび餅を楊枝で刺した。もう何処から出したとか突っ込まないぞ。この人は規格外だ。飲食不要の地獄でそれは異様な光景だった。
「……エナミは相変わらず情緒が不安定なようですね」
食しながら統治者が溜め息を吐いた。楊枝の先のわらび餅のきな粉が飛んだ。
「ここでの自害はシスイが止めるとして、現世へ戻った後に実行されたら困りますねぇ」
「現世では……俺が護ります」
シキが身体を立て直した。私とトキも。後光での脱力状態は短時間だけのようで、肉体へ徐々に力が戻ってきている。
「しかし忍びのあなたとて四六時中、エナミから目を離さないというのは不可能でしょう? エナミ自身の気持ちを確認しておきたいです」
「それは、ぜひ。直接話して、ご主人が馬鹿なことを考えていたら説得をお願いします!」
統治者が子供を見守る親のように柔らかく微笑んだ。
「シキ、あなたはずいぶんと変わりましたね。案内人の記録に残る二年前のあなたは、やさぐれて自然に壊れそうな魂でしたのに」
「………………」
「私もエナミと話したいです。でも……」
統治者は難しい顔をして森の奥を見据えた。
「エナミはシスイと一戦中な気がするんですよねぇ。恋人同士、久々の再会な訳ですから燃え上ってませんかね?」
ぶはっ、とトキが噴いた。三角座りしている私の膝へ奴の唾が掛かった。
「ここの案内人に聞けば一発なんですが、ズバリだった場合は情事を覗かせることになりますからね。う~ん……」
そういえばあの黒い鳥が居ない。新しく落ちてきた魂の元へ飛んだかな?
統治者は湯吞を切り株の上に置いて、腕組みをしてからシキへ尋ねた。
「シスイは早いですかね? それとも精力絶倫? 主人と言えど部下の継続時間までは把握しておりませんので」
ブブハァッ!
私と顔を見合わせたトキが唾を大噴射した。ぐああ。奴の唾によって私は目潰しされた。手で
「……一度見た感じでは、標準、だったと」
何であんたが知ってんのよシキ。見たって何だ。二年前の地獄での話?
「よし、ならば三十分を目安に彼らの元へ行きましょう。皆さんもそのつもりで行動して下さい」
統治者に引率されることになった。
優雅に残りのわらび餅をつつく優男。この人が地獄のトップなのかぁ……。
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