姉弟二人きり

 またも地獄に夜のとばりが下りた。今夜はシキとエナミが三時間ずつ見張りを担当してくれるそうだ。

 トキは熟睡している模様。私は夕刻にのんびりさせてもらえたせいか、夜が明ける前に目が覚めてしまった。「眠り姫」の渾名あだなは完全に返上だな。


「よ」


 私は見張りをしていたエナミの傍へ行った。


「姉さん?」


 私の接近に気づいたエナミが小声で返した。


「まだ寝てても大丈夫だよ?」

「目が冴えちゃってさ。見張り代わるからエナミは休みなさい」

「いや……、俺も脳が興奮して眠れそうにない」


 薄い雲に隠れたおぼろ月を懐かしむようにエナミは見ていた。たぶんだけど、彼はシスイのことを考えているんだと私は思った。


「明日は大変な戦いになるだろうから、少しでも寝ておいた方がいいよ?」

「うん……」


 塔を守護する管理人・ミユウ相手に遁走とんそうを成功させる為には、他の管理人から邪魔されないようにしなければならない。

 生者の塔へ行く前に、アキオともう一人の男管理人を呼び寄せて倒しておくべきだと改めて話がまとまった。アキオと話がしたい私の為にも。

 私はエナミの隣へ腰を下ろした。


「ね、だったら少しお喋りしようか」

「え?」

「考えてみたらさ、私達は姉弟だってのに二人きりで話をしたことが無くない?」

「確かに」


 シキとトキが決して遠くない位置で寝ているが、意識が夢の中へ飛んでいるのならここに居ないと見なせるだろう。ノーカウントだ。


「えへへ、私ねぇ、エナミと再会できたらいろんなことをお喋りしたかったんだ。恋バナとかさ」

「恋バナか……。俺がしている恋はハードだよ?」

「……だよね。相手が男の人とは予想していなかったよ」


 しかも死んでるし地獄の住人だし私より綺麗だし。

 エナミが笑った。


「俺も自分が男に惚れるとは思わなかったよ」

「ん? エナミは元々同性が好きだった訳ではないのね?」

「うん。だから自分の中に芽生えた感情に戸惑って否定した。もっと早く素直になれていたらなぁって、今ならそう思うよ」


 そうだった。エナミも恋心を自覚してすぐにシスイに先立たれたんだった。姉弟揃って不器用だなぁ。

 私と会話中もずっと月を見上げているエナミ。


「シスイとも、今みたいに並んで月を見たの?」

「うん……」


 切ない。エナミが可哀想で彼の横顔から視線をずらした。

 そして気づいた。エナミの奥、五メートル先の樹に誰かが潜んでいる。エナミからは見えないが、私の位置からは樹に微妙に隠し切れなかった身体の一部が覗けた。

 腰に刀を差す細身の剣士。涼しい夜風にたなびく長い髪。


(あんにゃろう、シスイ……!)


 むっつりロン毛はまたもや完全に気配を消していた。私が彼を発見できたのは物凄く確率の低い偶然だった。


(すぐ近くに居るんじゃん、エナミのこと見てんじゃん、何で出てこないのよ!?)


 シスイの行動がもどかしい。エナミにシスイが居るって教えたい。

 でも昼間の案内鳥のあの怯え方……。シスイは今大変な立場に在るのかもしれない。だから出てきたくても出来ないのだとしたら、私がとやかく言うべきじゃないんだろうなぁ。くっそ~。


「姉さんは」

「あ、はい!?」


 シスイから慌ててエナミへ意識を切り替えた。


「仮面を外したアキオさんに逢えたら、何て伝えるの?」

「………………」


 私は困った。


「何て言おう……。ただアキオ隊長にもう一度逢いたい、それしか考えていなかったよ」

「……俺もだ」


 エナミの目線が月から座る自分の足元へ移動した。


「ただ逢いたい。それだけだ。あいつの本当の名前を呼んで抱き付きたい」

「うん……」


 シスイの隠れている場所をチラリと窺うと、彼は左手を樹に添えて握りこぶしを作っていた。私達の会話が聞こえているのだ。

 彼もエナミに逢いたいのだろう。抱きしめたいのだろう。

 でも隠れている限り抱きしめるのは樹木だよ? 愛を囁く相手は動物だよ? 口づけするのは……。


「………………」


 シスイは私に無感情で口づけをした。必要が有るのなら性行為もいとわない風だった。

 冷たい人だって思った。でも本当はエナミを忘れる為に、エナミと決別する為にわざと自分を汚すような行動に出ているのかもしれない。


「アキオさんってどんな人なの?」

「えっ……? ええと、寡黙で誤解されやすくて、でも陰でいろいろ支援してくれる優しい人」

「それシスイも同じだ。ハハ、姉弟は好きになるタイプが似るのかな?」

「なのかな? ちなみに私の初恋はイサハヤおじちゃんなんだけど」

「ぶっ!?」

「ぶはっ!」


 二人の男が同時に噴いた。エナミとシキだ。シスイも樹の陰でビクッと身体を揺らしたように見えた。


「……シキ隊長、あなた寝た振りして話を聞いていたわね?」


 私は冷たく狸寝入りしていたシキを問い質した。


「ワリィワリィ。デリケートな会話内容だったもんで、起きてるって言い出せなかったんだ」

「そ、それより姉さん、イサハヤ殿が初恋の相手って本当!?」

「そうよ。驚くこと?」

「驚くよ。凄い歳の差じゃないか! イサハヤ殿は五十歳になられたんだよ?」

「アキオも今年四十だったはずだし、キサラ、おまえってば老け専か?」

「失礼な。イケオジ好きだって言ってよ」

「そっか~。だからキサラっち、俺に対して塩対応なのか」


 トキまで参加してきた。あんたも起きてたんかい。全然、姉弟二人きりの静かな夜じゃなかった。


「若い男の方が絶対いいぜ? 元気だから硬いし回復も早い」


 トキがいきなり下ネタを投下した。


「おいこらトキ、姉さんに何の話をしている」


 エナミが咎めたが、くのいちはこの程度の話題で照れたりしない。私は肩をすくめてヤレヤレのポーズを取った。


「解ってないわねトキ。年上の殿方には熟練の技が有るのよ」

「ね、姉さんまで……」

「技は有ってもオッサン達には持続力が無いだろ。一発で終わりそうだし」

「だからこそ、ゆっくりと時間をかけて素晴らしい前戯をしてくれるんでしょう?」

「キサラ、その辺でやめとけ」


 シキが手を前に出して制止しようとしたが、トキの口撃が新たな火を吹いた。


「いやいやいや、そのスバ~ラシイ前戯の後に、血がイマイチ集結してないフニャチン貰って嬉しいか? 下手したら腹上死するぜオッサンは」

「トキ、おまえも言葉を選べ」

「はっ、勢いに任せて突っ込むしか脳の無い若造の言いそうなことね!」

「俺の方が年上なんだけどぉ!?」

「イサハヤおじちゃんはモテていたそうだから絶対に巧いわ。アキオ隊長もきっと慈しむように私を……」

「姉さ────────ん!!!!」


 私達は結局それからも、猥談風味の喧嘩をしながら夜を明かしてしまった。全員疲れが取れていたからいいんだけどさ。

 樹の陰に隠れていたシスイは、こんな私達を見て何と思っただろう?

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