クマさんと馬鹿と愛しき者(二)

「わあぁぁぁぁぁぁっ!!」


 私は一度思いっきり叫んだ後に、しがみ付いた姿勢で樹を滑り降りた。摩擦で露出している肌の一部がこすれて痛いが気にしない。多少の傷ならすぐに治る。


「エナミぃっ!」


 大地に足を付けた私は弟を振り返った。さっき確認した所にちゃんと居る。幻じゃなかった。


「エナミぃぃぃっ!!」

「姉さん!」


 愛する弟は持っていた弓を隣に立つシキへ手渡し、空いた両腕を広げてみせた。私を迎え入れる用意をしてくれたのだ。

 シュタタタタ。感極まった私は忍び走りでエナミへ接近し、トップスピードに乗った所で彼の胸へ飛び込んだ。


「ごふっ」


 不穏な声を漏らして、エナミは私を抱きしめたまま後方へ吹っ飛んだ。


「うぉわっ、ご主人!?」


 隠密時代には聞いたことが無い慌てた声をシキが上げた。


「馬鹿キサラ、全速力で飛び付いたらそれは体当たりだ!!」

「あ」


 しまった。抱き付いたつもりが体当たりをかましてしまっていたのか。私は自分の下敷きとなったエナミの身体を揺すった。


「ごめん、ごめんエナミ! 何処か痛くした!?」

「だ、大丈夫。少し胸骨がきしんだだけだ。怪我まではしていないよ……」


 エナミは爽やかに微笑んだ。好青年に育ったのね、お姉ちゃん嬉しい。

 私はほんわかした。アキオに死なれてサエに裏切られて熊に襲われたり散々だったけど、まさかこんなご褒美が地獄で待っていたなんて。

 ん? 地獄…………? ここが何処かと思い出して私の背筋が凍った。


「何であなた達がここに居るのおぉぉ!?」


 地獄には瀕死の者か死者しか存在していない。エナミとシキがどちらに該当するのか判らないが、どっちにしても大変な事態に変わりがない。


「死んだの!? 生きてるの!? ねぇっ!」


 興奮した私は再びエナミを揺さ振った。


「ちょ、待っ、姉さ……」


 ガックンガックン上下するエナミの身体をしゃがんだシキが支えた。


「落ち着けキサラ、ご主人も俺も生きてるよ! 現世の肉体は軍医殿が診てくれているから取り敢えずは大丈夫だ」

「そもそも何でここに居るの!? 桜里オウリの陣が州央スオウの襲撃にでも遭ったの?」

「あー……、それはだな……」


 途端に歯切れの悪くなったシキ。エナミも目線を逸らしている。怪しい。


「どういうこと? 説明して」


 追及しようとした私を止めたのは、遠慮がちに割り込んできた第三者の声だった。


「あの~……おっぱいちゃん、その人達は誰?」


 一緒に熊から逃げたあの男だった。彼も樹から降りていた。


「おっぱいちゃん……だと?」


 エナミの目つきが険しくなった。弟は上に乗っていた私を横にけて身体を起こした。


「姉とはどういう関係だ。姉の片袖が破られているのも貴様の仕業か?」


 あ。シスイが破り取った袖がまだ復活していなかった。一見すると襲われた女みたいだな。実際に熊に襲われたが。


「いや、俺は別におっぱいちゃんに何もしていないよ?」

「何も無い相手を、貴様はおっぱいちゃん呼ばわりするのか?」


 私の身を案じて男を問い詰めるエナミ格好イイ。しかしおっぱいの単語のせいでスゲー間抜けな会話になってしまっている。


「俺はただ、おっぱいちゃんのおっぱいが見たかっただけで……」

「貴様、ぬけぬけと……!」

「そこまで! 私と彼は出会ったばかりでまだ名前も知らない間柄だよ。熊に追い掛けられて一緒に逃げただけ」


 私の説明を聞いたエナミは態度を和らげた。


「そうか……すまない、早とちりをした。おっぱいと聞いて頭に血が上ってしまった」

「いや、こっちこそお姉さんのことをおっぱい呼ばわりしちゃってスマン、失礼だったな」


 二人が喧嘩にならなくて良かったが、おっぱいからはもう離れろや。


「私の名前はキサラよ」

「キサラか、良い名前だな。俺はトキだ。二十四歳で飛脚をしている」


 男の名前と年齢が明らかとなった。私の一つ上かぁ。精神年齢はもっと低そうだが。熊から逃げ回ったあの健脚は飛脚の仕事で培われたんだな。


「手紙を届けに行ったロウサの街で熱病が流行っててさ、俺も感染しちゃったんだよ」

「ああ、熱病……」


 サエと同じだ。任務で地図を見たが、ロウサの街もフタゴカミダケ地方に在る。サエが働いている医療所もロウサの街なのかな。

 さて、私達のことはトキにどう話そうか。私だけなら問題無いが、赤く目立つ軍服を着ているエナミとシキは一目で兵士だと判る。しかも敵国の。

 迷う私よりも先にシキが動いた。


「俺はシキ分隊長。こちらは俺の上官のエナミ小隊長だ。軍服で判るだろうが二人とも桜里オウリの兵士だ」

「あ、うん」

「そしてキサラ、彼女は正式な兵ではないが桜里オウリに協力してくれている」


 シキは私も桜里オウリ側に含めた。


「あんたは州央スオウ国民だよな? 桜里オウリの兵である俺達を疎ましく思うのなら、悪いがこの場から早々に立ち去ってくれ」


 線引きだ。一緒に行動できるかどうかをここで決める。


「いや……俺は革命支持者だよ。あんたらは革命軍に協力する為に州央スオウへ来たんだろ?」

「そうだ」

「フタゴカミダケ地方は革命軍のリーダーの一人、佐久間サクマ様が治めていた土地なんだよ。今は国に取り上げられちまったが、この地方に住む人達は未だに佐久間サクマ様を領主として慕っている。俺もな」


 だからふもとの集落も桜里オウリ兵団を受け入れたんだろう。


「………………。すまないがトキ、武器の有無を確認させてくれ」

「構わないよ。俺は兵士でも傭兵でもない」


 両手を挙げたトキの身体をシキがあらためた。看護婦のサエですら短刀を隠し持っていたが、トキは完全に丸腰だった。


「疑って悪かったな。あんたが気にしないなら一緒に行動しよう」

「むしろそっちこそいいのか? 俺は戦えないんだぞ? 逃げ足はべらぼうに速いけどな」

「軍人は民間人を保護するものだ」

「おお……兵士カッケェ。あんがとな」


 トキが同行することが決まった。お調子者っぽいが悪い奴じゃなさそうなので私も反対はしない。

 一つの問題が片付いたので、私は未解決の話題を蒸し返した。


「で? エナミとシキ隊長は何で地獄に来たワケ?」


 詰め寄ったらシキとエナミの目が思いっきり泳いだ。

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