裏切り者の末路

 林に戻ったサエは中を突っ切り、丘の方向へ抜けた。生者の塔から離れてしまうが、今は恐ろしい管理人から遠ざかることを優先させた。どうせ非戦闘員の彼女独りでは、生者の塔を見張る女の管理人に太刀打ちできない。


(ああ面倒臭い。あの女がたいして強くなかったせいで、また戦える人間を捜さなくちゃならなくなった。何処に行けば会えるんだろう)


 キサラを突き飛ばし生贄にするという禁じ手を使ったサエは、自分勝手な理屈で頭を悩ませていた。


(女じゃなくて、隊長って呼ばれていた男の方が生き残っていたら良かったのに。あの男だったら一対一でも管理人と良い勝負ができたでしょうね)


 突き飛ばされたキサラが今どんな目に遭っているか。サエはそんなことを案じる優しい女ではなかった。

 丘を歩きながら彼女が嘆くのは己の身だけだ。


(だいたいさ、何で私が地獄に落ちなくちゃならないのよ!? 後輩の看護婦を虐めたから? そんなの私だって新人時代に先輩に散々やられたよ。通過儀礼みたいなモンでしょ? ノイローゼになった後輩が弱過ぎんのよ)


 サエの行いで後輩看護婦は精神を病み、職場に出られなくなるばかりか、食事すらまともに摂られないレベルまで弱ってしまった。そのことで医師と看護婦長からサエは厳重注意を受けた。


(おかげで仕事がしにくくなった。一緒に虐めてた先輩達までやり過ぎだって私を責めるし。もう最悪)


 同僚から冷たい目で見られるようになったサエは、近々仕事先を変えるつもりでいた。実際に退職の意志を勤務していた医院に伝えていた。

 そして彼女は更なる悪事に手を染めた。どうせ辞める所だからと、患者のカルテの投薬記録を改竄かいざんして、医院の薬を闇業者へ横流しして小遣い稼ぎをしたのだ。

 それが露見する前にサエは患者から熱病をうつされて倒れた。薬を投与すれば快方に向かう病であったが、サエが横流しした為に薬の在庫が足りず、彼女は重体となってしまった。因果応報……いや、自業自得と言うべきか。


「ふう……」


 丘も越えた。前面に草原。右手に岩山。左手に深いやぶが在る地点まで来た。

 サエは迷わず真っ直ぐ草原に向かって進んだ。藪は何か出てきそうだし、険しい岩山を登るなんて論外だ。


(草原は見通しが良い場所だけれど、男の管理人が居ない今なら通れる)


 そのはずだった。しかし草原をいくらか進んだ所で、黒い影が草の上を走ったのだ。


「!」


 空を仰いだサエの目に、逆光だが翼を生やした人間の姿が映った。

 女の管理人は生者の塔の側に居る。では……あれはキサラと戦っていた男の管理人か?


(もうこっちへ来たの!? 早過ぎるでしょ!)


 草原には人が隠れられる程の障害物が無い。丘に戻っても、点在する僅かな木では身体を隠す瞬間を見られてしまう。

 サエは草原を走るしかなかった。


(あの女! られることは判ってたけど、もっと私の為に時間を稼ぎなさいよ!!)


 少ししか走っていないのに心臓がバクバク鳴った。恐怖と緊張感からだ。

 これまで何度も管理人とは遭遇してきた。その度に誰かを身代わりにして逃げてきた。


(くそっ、くそっ、独りの時に見つかってしまうなんて!!)


 凄まじい追い風を受けて、サエは走っている方向へ吹き飛ばされて地面に倒れた。

 初めに感じたのは土に打ち付けた胸の痛み。しかしその後に、熱と共に左脚に激痛が走った。


「────────!?」


 横向けとなったサエは自身を確認して息を呑んだ。左脚の太股ふともも途中から下が消失していたのだ。

 一拍置いてから太股から血がドバっと噴き出した。それを見てサエはようやく悲鳴を上げられた。


「アアァァァァァァア────!!!!」


 翼を折り畳んで、サエの脚を切断した者が大地へ降り立った。大鎌を手にたずさえた男であった。

 その姿は紛れもなく管理人。しかしキサラと戦った管理人が顔半分を隠す仮面を付けていたのに対し、こちらの管理人は顔全体を覆うタイプの仮面を装着していた。


「あう……ああ」


 サエはこの仮面に見覚えが無かった。塔を護る女、キサラと戦った男、その他に第三の管理人が居たのか? 地獄の説明をしてくれた案内鳥は、欠員が出て現在の管理人は二人体制だと言っていたのに。

 サエが冷静であったなら、この管理人が誰だか判っただろう。彼女も会っていた人物なのだから。


「嫌……嫌、お願い、殺さないで……」


 サエは激しい痛みに気が狂いそうになりつつも、必死に言葉をつむいで命乞いをした。


「何でもします……。心を入れ替えて真人間になります。だからお願い、見逃して下さい……」


 案内鳥はこうも言っていた。手足を欠損しても静かに魂を休ませれば回復できると。

 致死レベルに感じるこの痛み、とても回復するとは思えないが、サエにはもうその可能性に賭けるしかなかった。


「まだ死にたくない……」


 彼女の涙の訴えは聞き届けられなかった。管理人はサエに接近して鎌を大きく振りかぶったのだ。


「うわ、やめて、嫌ぁ!」


 サエは逃げることを諦めて身を丸めた。キサラなら腕一本でも残っていたら這っていただろうに。

 サエにできることは汚らしく吠えることだけだった。


「ちっくしょおぉぉぉぉぉ!!!!!!」


 鈍い光を放ち鎌は落とされた。刃先がサエのこめかみから入り、頭蓋骨を粉砕し脳ミソに到達した。

 すぐにサエの瞳から生命の色が消えて、口と鼻から血が垂れた。

 十秒も経たない間に身体から黒いモヤが発生して、サエだった物体は霧のように散って消えてしまった。その場に残ったのはか細く光る一つの玉。

 光の玉は空中で二、三度クルクル回転して、それから大地へ吸い込まれていった。サエの魂が下層へと落ちたのだ。


 一連の流れを確認してから管理人は、大地にまで突き刺さっていた鎌を引き抜いた。

 新しく管理人となったは死神としての初仕事を終え、悠々と空へ飛び去ったのであった。

 キサラを裏切ったサエが、キサラを愛したアキオに殺された。これもまた因果応報なのかもしれない。

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