彼(三)

(ほげえぇぇぇぇぇぇ!!!!!!)


 再び情けない悲鳴が心と頭にこだました。実際には歯を食いしばって声は漏らしていない。せめてもの意地だ。でも痛────い!! あばばばば。


(シスイ、こん畜生。恩人だけれども)


 私に口づけした彼は何事も無かったかのように顔を離した。しれっとしている。くそ。

 シスイが行為に及んだのは私に気が有ったからではなく、騒ぐ私の意識を分散させて短刀を抜きやすくする為だ。完全にそれだけ。女としてちと傷付いた。


「慣れてますね。口づけ」


 つい嫌味を言ってしまった。


「……別に」


 シスイは私の右手を取ると、袖を掴んでバリッと破いた。ふおぉっ! 二の腕まで肌が露出したよ。脇の下も見えちゃってるんだけど?

 色白な餅肌。男どもは私のこの肌に吸い寄せられたものだか、シスイにとってはただの肉の塊に過ぎなかった。破り取った袖を私の背中にギュッと当てて圧迫止血に集中していた。

 手当てをしてもらっている身で我儘わがままだけれど、シスイのその涼しい顔に腹が立った。少しは照れるとかさー、何とか無いのー?。


「シスイさんは実直そうな方に見えたので、口づけは本当にいた相手にしかやらないと油断してしまいました」

「だろうな。それを狙ってやった」

「それだけの為に私へ触れたんですか?」

「そうだ。感情を込めない接触だ、どうということはない」


 は? 恩人さんがまさかのヤリ〇ン発言!?


「どうでもいいんですか? 知らない女にちゅーしても、あなたには抵抗感が全く無いんですか? ムラムラとかしないんですか? 私これでも美人で通っているんですが!」

「目的の為だと割り切っている」

「え、ええと、では必要なら男女のむつごとも……しちゃったり?」

「必要ならばな」

「ええええええ……」


 肯定されて私はガッカリしてしまった。シスイが不思議そうに問い返した。


「おまえは口づけごときで何をいつまでも動揺している? くのいちなら肌の接触など今更だろう?」


 うん。くのいちの私ならね。でもあなたは違うんじゃ…………おや?

 発言したシスイが表情を曇らせた。


「……失礼な言い草だった」

「?」

「おまえの職業をおとしめるつもりはないんだ、すまない」


 彼の謝罪はこれまた予想外だった。調子が狂うな。


「ああ、気にしないで下さい。いろいろ言われるのはいつものことなんで……」


 忍びは優れた技を持っている。しかし所詮は権力者に飼われている「犬」なのだ。戦場で侍以上の活躍を見せたとしても、同軍の兵士達からさげすみの目を向けられる。主人の為なら何でもやるプライドの無い者として。

 そんな私に謝るなんてさ。

 シスイはやっぱり真面目だよね。だから好きでもない相手とホイホイ関係を持って欲しくないなぁ。いつか彼自身が傷付いてしまいそうな気がするから。

 うーん、私より若く見える彼に姉目線になってしまう。


「…………ん?」


 シスイが空を仰いだ。


「どうかしました?」

「新しい魂が落ちてきたようだ」

「そんなことまで判るんですね」

「いや、俺でも通常は気づけない。第一階層を見通せるのは案内人だけだ」

「ああ……アイツ」


 全て他人事の嫌な鳥ね。


「ではシスイさん、今回どうして魂が落ちてきたと判ったんです?」

「魂が非常に強い気を放っているからだ。稀に居るんだ、地獄と相性が良い魂を持つ人間が」

「相性? 地獄に相性が良い悪いが有るんですか?」

「有る。普通の魂は地獄で過ごす内に少しずつ摩耗まもうしてしまい、半年ほどで死と同じ状態となる」

「え」


 急に明かされたよ、新たなキッツイ設定が。


「そうなのですか!?」

「そうなんだ」


 サラッと言わないで。現世への生還ミッションの難易度がまた上がったのですが。

 ああでも、そもそも管理人をけて半年も地獄で生活なんてできないか。いくら飲食不要とはいえ。


「普通の魂が半年なら、相性が良い魂はどれくらいの期間を地獄で過ごせるんですか? 参考までに」

「永遠だ」

「はい?」

「相性の良い者は地獄の空気と馴染み、永遠にこの地で存在し続けることが可能だ。そういった魂が地獄の住人となり、統治者に仕える」

「え……」


 地獄の住人。目の前の彼は自分のことをそう言っていた。


「ではシスイさんも?」

「そうだ。こう見えて、もう地獄で百二十年間も活動している」

「えっ、百歳を超えていらしたんですか……」


 長老やん。ハセ爺ちゃんより年上だったのか。

 あらら、姉目線で見ていてゴメンね。でも言われてみれば歳を重ねた貫禄が有るかも。


「今落ちてきた魂も、いつか地獄の住人となるんですか?」

「地獄の統治者が器を認め、本人が希望した場合のみだ。そうそう有ることでは……」


 シスイが途中で言葉を止めた。


「今度はどうしました?」

「あの魂は────────まさか!」


 シスイはある方向へ駆け出した。おおい、そっちは崖だよぅ!!


「落ちます、止まって!」


 瞬発力が自慢の私はシスイに追い付き、後ろから抱きしめて彼の足を止めた。ぐぎっ、今ので背中の傷口が余計に開いたんじゃない!?

 痛みでブルブル震える私へシスイがまた詫びた。


「すまない。……もう大丈夫だ」

「ひょっとしてシスイさんは、崖から落ちても平気だったりします?」

「いや。俺には管理人のような翼が無いから落ちたら大怪我をする。止めてくれて助かった、ありがとう」

「ええええええ……」


 どんだけ我を忘れてんの。前言撤回する。この人には貫禄も落ち着きも無い。


「何で崖から飛ぼうとしたんですか、翼が無いのに!」

「……別に」


 「別に」の使い方がおかしいぞ。私が前へ回した腕から彼の早くなった胸の鼓動が伝わる。

 初対面の私に無感情で口づけした人が、今は明らかな焦りを見せている。


「新しい魂はどちらの方角へ落ちたんですか?」

「………………」


 返事は無かったが、何となくシスイが走った方向に落ちた気がした。彼が冷静さを欠いたのは新しい魂が登場してからだもん。

 私は崖から下を確認してみた。サエが隠れている林が在る。その先は丘、更に先は私にとっての始まりの地、岩山の方角だ。


「……キサラ」

「はい?」

「俺はもう行く。腕を離せ」

「あ、はい」


 私が離れると、彼は私の胴体に巻いていた紐を回収した。


「傷口を上にしてしばらく寝転がっていろ」

「ですね。いいかげん休息を取って傷を治さないと」

「……動かない方が、きっと早く見つけてもらえるだろう」

「え? 誰にですか?」

「………………」


 シスイは質問には答えず、別の指示を出してきた。


「俺のことを他の魂達に話すな」


 話しちゃいけないの? シスイの存在は基本的に秘密事項なのだろうか。

 あ、そうか、彼に助けてもらえると期待しちゃ駄目ってことだね。魂同士で協力し合って何とかせーよと。


「解りました。本当にいろいろとお世話になりました」

「……達者でな」

「はい。シスイさんもお元気で! ……あ」


 地獄の住人って死んだ人間なんだった。間抜けな挨拶をしてしまったな。

 しかしシスイは馬鹿にせず、私に軽く手を振ってから去っていった。

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