彼(二)

「くぷっ」


 胃を刺激された状態で会話をしていたので、ゲップらしきものが出てしまった。一応は若い女である私は恥ずかしさで顔を背けたのに、


「おい、こちらを向け。顔を見せろ」


 無駄に美しい青年が意地の悪い要望を出してきた。恩人なので無視する訳にはいかず、背筋はいきんを使って青年の肩の上で少し身体を起こして、顔がよく見えるようにした。傷に響いた。


「特に似ている訳ではないな……」


 青年は私の顔を穴が空く程に見つめている。似ているって……誰かの面影を探しているの?


「おまえのその姿、傭兵か何かか?」

「あー……ええと」


 正体を言わないのが忍びの鉄則だけれどここは地獄だ。それにこの人はもう死んで地獄の住人になったそうだし、現世で私を邪魔することは無いよね。


「私は州央スオウの国王、イズハ様の為に働く隠密です」

「!…………」


 青年の切れ長の瞳が見開かれた。ん? どうした?


「おまえに弟は居るか?」


 この質問には違和感を抱いた。何で限定なんだろう。


「……居ますけど」

「何という名だ!!」


 青年に凄い食い付き方をされて、私はビクッと身体を震わせてまた傷が痛んだ。あの赤髪の侍にハニートラップを仕掛けてからこっち、怪我ばかりしている気がする。


「え、エナミです」

「!?」


 青年は一瞬顔を硬直させたが、すぐに前方へ向き直って歩みを速めた。

 もう山道に入っている。ここへ落ちた魂が大勢通ったのか、獣道ではなく人が使う登山道のように地面が踏み固められていた。最初の岩山と違って歩きやすそうだ。


「あの、弟や私がどうかしましたか?」

「……何でもない」


 青年は否定したがあの反応、絶対に何か有る。隠されると気になる。でも機嫌を損ねて肩から落とされたら嫌なので、この件に関する追及はやめておこう。今は。


「あ、あの~、それであなたの名前は何ておっしゃるんでしょう?」


 放置されていた質問へ話題を戻した。青年はそっけなく答えた。


「好きに呼べ」

「はい?」

「俺の本当の名前は、地獄を統治する王へ捧げているので使えないんだ。だから勝手に名付けて好きに呼んだらいい」


 いいのか。だからといって「美丈夫さん」とかだと小馬鹿にしたように聞こえそうだ。青年は綺麗で管理人を停止できて腰の左右に刀を差す剣士だ。特徴を捉えて尚且つ相手を讃える呼び名となると……。


「時を操る麗しの剣士様」

「正気か?」


 即座にダメ出しが入った。


「マズイですかね?」

「冷静に判断してみろ。その名前では呼ぶおまえも呼ばれる俺も、周囲から痛い奴だと認定されるぞ」


 そうかもしれない。思春期の少年が喜んでつけそうな渾名あだなだ。


「ちょっと華美でしたか」

「だいぶ大袈裟おおげさだ。それと長い。名前なんてものは地味でも解りやすく、慣れ親しんだ響きの方がいいんだ」


 地味で短くて解りやすくて耳に慣れた形容と言うと……。


「ロン毛さん」

「……山の頂上から投げ落とすぞ」


 やっぱ駄目か。

 しかしまだ呼び名が無い青年、私を抱えた状態で息を切らさず登り道をスイスイ進んでいく。彼もまた管理人のように生前の能力が底上げされている感じだ。

 と思ったら青年が「はあぁぁ」と大きく息を吐いた。これは疲れたのではなく私に呆れた溜め息だろう。


「……俺のことはシスイと呼べ」


 ついには自分で名前をつけちゃった。完全に私の発想を諦めたな。


「シスイさんですか?」

明鏡止水めいきょうしすいのシスイだ。剣士は邪念の無い、澄み切って落ち着いた心境に到達したいと願うものなんだ」


 剣士の願いか。……アキオもそうだったのかな。


「シスイさん、いいお名前ですね」


 もう居ない私を愛してくれた隊長。うう、あれだけ泣いたのに思い出すとまた涙が落ちそうだ。


「……この辺りでいいな」


 頂上ではなく、山の中腹で青年……シスイは私を降ろした。座った姿勢となった私へ助言をくれた。


「まずはここで身体を休めろ。元気になったら更に上へ登って地獄の遠くまで見渡してみたらいい。ただし上にばかり居ると、下を通る他の魂達に気づけなくなる。地形を把握したらまたこのくらいの高さまで戻ってきた方がいい。そして仲間になってくれそうな相手を捜すんだ」

「なるほどですね、そうします。いろいろとありがとうございました」


 私はシスイが助けてくれたことと、話し相手になってくれたことに感謝していた。アキオに去られてサエに裏切られて、身体だけではなく心もボロボロだった。


「これでシスイさんとは……お別れなんですよね?」


 名残惜しい。せめて傷が癒える間だけでも傍に居て欲しいと願ってしまう。


「そうだな。だが最後の仕上げが残っている」


 そう言うとシスイは刀のさやを縛り留めていた紐を解いた。そして紐を私の腰から背中へかけて巻き付けた。


「あの、シスイさんはいったい何を……いっ!!」


 かなりキツく縛られて痛い。何事?


「背中に刺さっている短刀を抜いてやろう」

「ま、待ってー! 待って──! それ絶対に凄く痛いヤツ!!」


 手を伸ばしてくるシスイを慌てて止めた。


「痛いだろうな」


 認めたよ。もう痛みは勘弁して。


「装備品も時間と共に持ち主の元へ戻るのでしょう? なら放っておいてもいいんじゃないですか!?」

「ああ。だが戻るには数時間かかる。その間、おまえの身体は傷の回復ができずに体内で血を流し続けるぞ。最悪死に至る」

「それは嫌ぁ!」

「だろう? だから抜いてやる」

「痛いのも嫌ぁ!!」

「忍びだろうが。痛みには慣れているのではないのか?」

「瘦せ我慢しているだけで痛いのは痛いです! 赤髪から逃げる為に窓をブチ破って窓枠刺さって二階から転げ落ちて、その数日後には弓隊に矢を射掛けられてモロさんに斬られて!」

「……何を言っている?」

「ここ最近、痛さのオンパレードなんですよ! もう痛いのヤダぁ!!」


 シスイは大きく舌打ちをした。そして私へ顔を近付けた。


(……えっ?)


 近くで見たシスイの顔は本当に綺麗だった。わー睫毛まつげ長ーいとか肌のキメが細かーいとか、どうでもいい感想が次から次へと湧き出て私は無防備になった。

 その隙に重なったのだ。シスイの唇が私の唇に。


「!?」


 色仕掛けは私の十八番おはこだ。でも狙った相手にしかしない。そしてまさか真面目そうなシスイがこんなことをするとは思っていなかったので、くのいちとして情けないが大きく動揺してしまった。


(ほげえぇぇぇぇぇぇ!!!!!!)


 不意打ちで口づけされた私は目を開けたまま固まった。次の瞬間シスイは私の背中へ片手を回して、一気にサエの短刀を引き抜いたのだった。


「……っ!」


 激痛が走り目の前に星がまたたいた。

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