エナミの決断(三)

 主従関係にある二人だが、シキはエナミを手のかかる弟のように思っている。接近戦が苦手なエナミとセイヤに剣術の基礎を仕込んだのもシキだ。

 そんなシキが強い拒絶反応を示すのは当然のことだった。エナミはかぶりを振った。


「悪かった、シキ」

「…………。解ってくれたのか? 本当に?」

「あんたが出来ないのなら自分でやる」

「はっ?」


 敷布に置いていた脇差しをエナミが拾った。当然それを使わせる訳にはいかないシキとセイヤが、前後から挟む形でエナミの身体を拘束した。


「ふざけんな糞ガキが、そういうことじゃねぇよ!!」


 あるじに対してあんまりな罵倒だが、それだけシキはエナミの身が大切だった。亡命してまで仕えてきたのは自殺幇助ほうじょの為ではない。

 セイヤはエナミだけではなく感情的になっているシキも止めたくて、意識して穏やかな口調を心掛けた。


「エナミ駄目だ、危険が大き過ぎる。マサオミ様の言う通りだよ、姉ちゃんが地獄に落ちたとは限らねぇんだからさ、一旦落ち着こうぜ」

「……俺は冷静だよ」

「ならその刀を渡してくれ。お願いだ」


 エナミは逆らわず力を抜き、右手の脇差しをセイヤへ手渡した。それからエナミは、ひとまず安堵した様子のシキとセイヤにこう尋ねた。


「なぁ二人とも、もしも姉さんが地獄に落ちたとして、無事に現世へ戻ってこられると思うか?」

「………………」


 シキとセイヤは答えに詰まった。マサオミすらも。

 二年前に彼らが地獄に落ちた時は、国の垣根を越えて十人以上の仲間ができた。だが全員での生還は果たせなかった。生者の塔へ辿り着く前に管理人に殺されたり、現世の肉体に限界が来てしまったりで、完全に死んで地獄の下層へ落ちていった仲間達を何人も見送ってきた。


「仲間が居れば生存の確率は上がる。でも姉さんはきっと独りだ。一緒にいた剣士二人は即死かそれに近い状態だったから、地獄で姉さんの相棒にはなれないだろう」


 そうかもしれない。地獄を経験した者達はエナミの言を否定できなかった。

 エナミは覇気が消えた声で続けた。


「……たった一人で、姉さんが管理人を倒せるとは思えない」


 生前の能力を底上げされている管理人に、生者は一対一ではかなわない。それを生還組は身をもって知っていた。


「姉さんはさらわれた隠密隊で……、過酷な環境の中で必死に生きてきたんだ。なのに身を捨てて俺を庇った。ずっと離れて暮らしていたのに、姉さんは優しい姉さんのままだったんだよ……?」


 父親と共に桜里オウリへ移り住んで親友と居場所を得たエナミ。彼は州央スオウに残された姉キサラに対して負い目を感じていた。それなのにキサラはエナミを恨むことなく姉であろうとした。

 

「俺はそんな姉さんを死なせたくない。何もしないで見殺しになんかできない!」


 再び決意の色を濃くしたエナミの瞳がシキを捉えた。


「シキ、酷いことを頼んでいるのは承知の上だ。あんたを選んだのは、あんたを信頼しているからなんだ」

「………………」

「あんたは決して俺を死なせない。俺も決してあんたを置いて死なない。俺達はもう一蓮托生いちれんたくしょうなんだって、あんたは二年前に言ってくれただろう?」

「!………………」


 シキは奥歯をギリッと音を立てて嚙み合わせた。


「頼むよシキ。地獄はこちらより時間の流れが六十倍も早い。もうあちらでは一日経ってる。こうしている間にも姉さんに危険が迫っているんだ」

「………………」


 シキは諦めたように、そして哀しそうに笑った。


「……後で仕置きだからな? 馬鹿主人が」

「うん……ゴメン」


 シキがエナミから身体を離して、自身の装備品である脇差しを抜いた。


「お、おい……待てよシキ、本当にやる気なのか!?」

「ああそうだ。セイヤ、おまえも離れろ」

「そんな! 駄目だやめろ!! マサオミ様、こいつらを止めて下さい!!」

「………………」

「マサオミ様っ!!」


 黙って聞いてはいたものの、こめかみに血管を浮かび上がらせた怒れる大将はエナミに苦言を呈した。


「エナミ、俺も地獄に落ちた人間だから知っている。酷なことを言うがな、おまえさん一人が援護に駆け付けたとしても、姉ちゃんが生き延びられる確率はそう変わらないぞ?」

「それでも俺は行きます。俺のせいで危篤状態になった姉を放ってはおけ……」

「あ、俺も行きますんで大丈夫です」


 しれっと参加表明したシキに彼以外の全員が目をいた。あんぐりと口まで開いて埴輪はにわのような表情に男達はなってしまったが、いち早く我を取り戻したのはエナミだった。


「なっ……シキ、何言い出すんだ! あんたにまで無謀な賭けをさせられるか!!」

「あ~ご主人、自分が無謀なことをやらかす寸前だって自覚は有ったんだな」

「主人の揚げ足を取るな! 俺はいいんだよ!」

「良くねーよ」


 シキが真面目な顔で言った。


「俺らは一蓮托生だろう? 地獄の最下層にだって付いていってやるよ」

「あ、あれは……絶対に死なないから、信じて待っててくれって意味で言ったんだ」

「俺にとってはそうじゃねぇ。文字通り、どんな結果になろうとあんたと運命を共にするって意味だ。あんたの影になると決めた二年前からその覚悟は出来ている」

「シキ……」


 エナミはシキの本気を感じた。周囲の者達も悟った。もうこの二人は止められないのだと。

 唇を一度キュッと結んでからセイヤが挙手した。


「だったら俺も行く! 連れてけ!!」

「駄目だ」

「おまえは残れ」


 即座にエナミとシキの両名がセイヤの申し出を却下した。


「何でだよ!? 二年前の足手まといだった俺とは違う! 今の俺は役に立てるはずだ!!」

「ああ。二年前のおまえも決して足手まといではなかったが、今のおまえは更に頼もしい戦士に成長している」

「だったら……」


 すがる幼馴染みをエナミは優しくさとした。


「そんなおまえだから俺が居ない間、小隊のあいつらのことを任せたいんだ」

「あ…………」

「マサオミ様から預かった二十名の新兵を、俺とおまえとシキの三人で鍛えて戦えるまでに育てたんだ。託せるのはおまえしか居ない」

「………………」

「任せたぞ、セイヤ分隊長」


 セイヤはつらそうだったが、一歩エナミから離れた。


「畜生……。絶対に姉ちゃん連れて生きて戻れよ!? 失敗したら許さねぇからな!」

「ああ。約束する」

「ま……待って、キミ達は本当にやる気なのかい……? ねぇマサオミは止めるよね? 絶対に無茶だよ」


 医師であるアキラが自殺行為を許せるはずがなかった。しかし頼りのマサオミは腕組みをして大きく息を吐いたのだった。


「駄目だわアキラ、こうなったらもう止められん。おまえも受け入れて、医者としてこいつらが死なないように処置してやってくれ」

「ちょ……うわあぁぁ、キミ達、緊急手術の準備して!!」


 せわしなくテント内を軍医と衛生兵達が動き回った。

 エナミとシキは顔を見合わせて互いに頷いた。もう心は決まっていた。

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